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宮澤ミシェルがフランス人の父から教わったサッカー選手として大切なこと

[2018年03月12日]

家では日本の学校のことやサッカー部についていろいろと聞いてきて「なんでサッカーをするのに髪型が丸刈りなんだ? 軍隊に入るわけでもないのに」、「なんで監督はあんなに怒鳴るんだ? 論理的に説明すればいいだろう」、「制服の詰め襟は首が苦しくないのか? 苦しいならやめればいい」…すべてを疑問視するような人だったから、当時は「うるさいなぁ」と思ったけれど、質問されるたびにひとつひとつの理由を考えさせられたよ。

そういう「自分の頭で考える習慣」がサッカー選手としてのプレーに役立ったと思っている。監督やコーチに言われたことを言われた通りにプレーするだけなのか、教わったことを理解した上で、さらに自分で考えるのか。この差は大きい。だから、今でも父には感謝しているよ。

そんな父は日本食がちょっと苦手で、家にいる時の食事はいつもフランスの家庭料理。でも、父がコンサートツアーなどの仕事で留守の時は日本の家庭料理が食卓に並んだ。父がほとんど口にしなかったお刺し身やお寿司を食べられることもあったから嬉しかったな。

フランス人らしいというべきか、仕事が終わるとすぐ家に帰ってきて、家族でご飯を食べて、お酒を飲む人だった。あれは食べられない、これは食べたくない。自己主張がはっきりして、わがままな父を見ていたせいか、私は逆に嫌いな食べ物はほとんどないけれどね。つまり、反面教師でもあった。

ただ、サッカーはわがままを言わない「いい人」でいたら、あっという間に相手FWに点を取られてしまうから、グラウンドではフランス人の父を見習って自己主張をはっきりして。父ほどではないにしても、わがままを言っていたよ(笑)。

まぁ、世界中のプロサッカー選手は超がつくわがままな人が結構いるけれど、私がこれまで一緒にプレーしたり対戦した選手に父ほどのタイプはいなかったから、選手として対応がうまくできたし、そこも感謝しなくちゃいけないかもね(笑)。

父が亡くなったのは、もう29年前の1989年。日本で暮らしながら、最後までフランス流を貫いた。

82年W杯スペイン大会の準決勝で、フランスが西ドイツ(当時)からリードを奪った時は、夜中に私の大学の寮まで「3−1だぞ、TV観ているか」と電話してきた。結局、逆転負けしたんだけど、そうしたらなんの音沙汰もなし。後日、母に聞いたら、相当落ち込んでいたらしい。

フランスサッカーを愛していた父には、98年フランス大会でのフランス代表のW杯初優勝を見てほしかったとも思う。父が亡くなってからもW杯でフランス代表の試合を観るたびに「生きていたら大会前は意気揚々と優勝を宣言して、できないと大会後は肩を落とすのだろうな」と思う。

私が今年のW杯で日本代表の次に注目しているのは、やはりフランス代表。日本代表がいい結果を出して私が喜ぶのと同じくらい、フランス代表も活躍して父を喜ばせてほしい。

■宮澤ミシェル
1963年 7月14日生まれ 千葉県出身 身長177cm フランス人の父を持つハーフ。86年にフジタ工業サッカー部に加入し、1992年に移籍したジェフ市原で4年間プレー。93年に日本国籍を取得し、翌年には日本代表に選出。現役引退後は、サッカー解説を始め、情報番組やラジオ番組などで幅広く活躍。出演番組はWOWOW『リーガ・エスパニョーラ』『リーガダイジェスト!』NHK『Jリーグ中継』『Jリーグタイム』など。


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