第2のサッカー人生も頑張ってほしいと語るセルジオ越後氏。

時がたつのは早いね。かつて"怪物"と呼ばれた元日本代表のFW平山相太(32歳)が、昨季限りでの現役引退を発表。先日、引退セレモニーを行なった。

平山といえば、やっぱり国見高校時代の活躍が強烈に印象に残っている。全国高校選手権で史上初の2大会連続得点王に輝き、大会通算17得点という記録は今も破られていない。190cmの長身でヘディングが強いのはもちろん、足元もうまくて、右足でも左足でも得点を決めた。高校レベルでは手のつけられない、圧倒的な存在だった。

高校サッカーへの世間的な注目度が下がった今では考えられないことだけど、当時は平山見たさに国立競技場が満員になり、試合翌日のスポーツ紙の1面も彼が飾った。学年が下ながら抜擢(ばってき)された2003年のワールドユース(現U‐20W杯)でも活躍し、飛び級でアテネ五輪候補にも選出。僕に限らず、いつか日本代表のエースとして活躍してくれると期待した人は多かった。

ところが高校卒業後は年を経るごとに輝きを失っていった。Jリーグ各クラブからの誘いを蹴って筑波大学に進学したものの、翌05年には休学してオランダ1部のヘラクレスでプロデビュー。06年にFC東京に移籍し、昨季から仙台に所属していた。2得点を奪ったオランダでのデビュー戦、ハットトリックを決めた日本代表でのデビュー戦(10年イエメン戦)など、時折、目の覚めるようなスーパープレーを見せたけど、継続的な活躍はできなかった。好不調の波が大きく、現役終盤は度重なるケガに泣いた印象だ。

結果論になってしまうけど、あれほどの選手がプロにならずに進学したのはやっぱりもったいなかった。その大学も1年で休学、オランダからも1年で帰国。どちらも中途半端。もし回り道をせず、あの高校時代の勢いのままJリーグ入りしていたら、また違ったサッカー人生になっていたかもしれない。今でもそんな夢を見たくなるほどの才能の持ち主だった。

技術があって、ボールを持たせればうまい選手は増えた

残念ながら今の高校サッカーから、平山のように上のカテゴリーでもすぐに活躍できそうな"怪物"が出てくることはほとんどなくなった。技術があって、ボールを持たせればうまい選手は増えた。以前に比べれば全体的なレベルは底上げされている。でも、小粒というか、似たような選手やチームばかり増えた。指導者ライセンス制度のもと、画一的な指導を行なうようになった弊害があると思う。

平山を育てた国見高校の小嶺(こみね、忠敏)監督(現・長崎総合科学大付)がサッカーを始めたのは高校に入ってから。また、帝京高校を率いた古沼(こぬま、貞雄)監督のように、かつて高校サッカーの名物監督といわれた指導者には、もともとサッカーの素人という人もいた。そして、指導者ライセンス制度という"教科書"がなかったからこそ、いろいろな人に話を聞きに行き、それぞれに練習メニューを工夫していくなかで、個性的なチーム、選手を育て上げてきた。

小嶺さんが自らマイクロバスのハンドルを握って、練習試合をしながら全国各地を巡った話は有名だよね。指導者ライセンス制度を全否定するつもりはないけど、S級ライセンスが水戸黄門の印籠(いんろう)のようになっている現状には違和感を覚えてしまうよ。

平山も今後は指導者を目指すとのことだけど、ぜひ自身の貴重な経験をフルに生かして、第2のサッカー人生も頑張ってほしい。

(構成/渡辺達也)