「また30本打ちてえなあ、という気持ちでやってます」語る阿部慎之助

阿部慎之助、プロ18年目。今季の開幕直前に39歳の誕生日を迎える。

長く巨人の正捕手、主砲、主将を務め、一時は球界最高年俸選手となったバットマンも、近年は故障が目立ち、捕手から一塁手に転向。昨季は3年ぶりに規定打席に到達し、通算2000本安打を達成したとはいえ、チームは11年ぶりBクラス。自然と周囲の見る目も厳しくなっていく。

「今季ダメなら引退も」―。そんな空気さえ漂うなか、開幕を控えたベテランは何を思うのか。かつてコーチと選手という立場で接し、本音で語り合える関係の伊勢孝夫氏が問う。

■巨人の生え抜きで一番長くやりたい

伊勢 慎之助はもうセ・リーグの野手では、年齢からすると兄やん(広島・新井貴浩)に続く2番目になるのかな?

阿部 新井さん、阪神の福留(ふくどめ)(孝介)さん、あと中日の荒木(雅博)さんが上で、僕は4番目です。

伊勢 でも、まだやれるやろ? 体調さえ万全ならそれなりの答えは出すだろうし。

阿部 やりたいですねえ、周りにピーピー言われても(笑)。僕いろいろな記録を達成させてもらって、今年も400本塁打(*残り12本)がありますけど、巨人の生え抜きで一番長くやった選手を目指してるんで(*記録は王貞治氏の22年)。まだまだ続けたいです。

伊勢 去年キャンプに来たとき、「伊勢さん、ロウソクは消える最後にパッと燃え上がるって知ってます?」なんて言ってたけど、去年はそんな活躍しなかったな(笑)。ということは、まだ最後ではないということかな?

阿部 ハハハ。まあ去年は代打出場もありましたけど、今年はやっぱり基本はフル出場。それで最低でも120試合は出ないとダメですね。ゲームの終盤はヒット打ったら代走出されちゃいますけど。

伊勢 そりゃ仕方ない(笑)。少なくとも一試合3打席あるとして、数字は?

阿部 まだ何番を打つかわからないですけど、クリーンナップ以外の6番あたりで20本くらい打てたら、チームとしてはよりいい打線にはなるかなと思ってます。

―打順に対するこだわりはないんですか?

阿部 それはあんまりないですね。相手からすれば、僕が6番か7番に入ってるとすごくうっとうしいでしょ(笑)。相手目線で考えることって大事だと思うんで。今年は長打力のあるゲレーロを獲とりましたし、マギーもすごく頭がいいし、彼らにクリーンナップを任せていいと思います。

伊勢 しかし、20本じゃ物足りんなあ。25本、いや30本。それだけ打てば当然、打率も残るし、マギーや坂本(勇人)なんかもつられていくだろうから、強烈な打線にはなるよな。

阿部 そうですね。ここ数年は20本も打ててないですけど、やっぱり「また30本打ちてえなあ」という自分の気持ちを大事にしながら、自主トレからずっとやってるんです。若いときの映像なんかも見直して、「この頃はこう打ってたんだよな」とか思い出してみたりもして。

伊勢 持ってる技術を考えたら、30本は手の届かない数字じゃないよ。ただ、あんまり年のこと言いたくはないけど(笑)、やっぱり多少、反応が鈍る部分は出てくるからな。全盛期はどんな球種でも、反応だけでパチーンと打てたバッターだったけど。

阿部 若い頃なら、狙った球は一発で仕留めてましたね。今はどうしても多少ずれてくることはあります。

年度別個人成績

伊勢 そういう意味で今、何か心がけていることはある?

阿部 キャンプだったら、とにかく目いっぱいバットを振ることですかね。この年になると、やっぱり練習でも思うように打球が飛ばないこともあるんですけど、とにかくライトポール目がけてフルスイングするっていう練習も大事かなと思ってやってます。

伊勢 そうやな。阿部はバットコントロールがいいしハンドリングも柔らかいから、ごまかしてヒットは打てる。でも、ごまかしてホームランは打てんから。ことバッターは走り込みや筋トレ以上に、バットを振って下半身を鍛えるっていうのも必要だからね。

阿部 僕もそう思ってます。でないと、長いシーズンもたないですよ。

野球教室で感じた若い世代の「変化」

■野球教室で感じた若い世代の「変化」

伊勢 それと、やっぱり巨人はどうしても若手が伸びてこないというか、物足りない。そのあたりは実際に接していてどう思う?

阿部 なんで伸びないかって、接していて感じるのは、考えてないですよね。「どうしてこうなるんだろう?」とか。ただ漠然とバットをたくさん振っているような感じで、野球を覚えようとしていないというか。もっと相手と駆け引きするっていう意識を持って試合には臨んでほしいと思います。例えば若手だからって大ヤマ張っちゃいけないとか、そういうこともないと僕は思っています。

今の時期にゲームに出てる選手たちって、シーズン中は与えられるチャンスが少ないと思うんですよ。代打で1打席とか。そういう場面では、相手バッテリーはまともに真っすぐを投げてきてくれない。そのなかでどう勝負するのかとか、そういうことも勉強してほしいですね。

―なぜ、若い選手はそういうことを考えないんでしょう。

阿部 うーん……。僕、野球教室で全国回ってるんですけど、最近の子って極論を求めてくるんですよね。質問コーナーで、いきなり「どうしたら野球がうまくなりますか?」って。そんなのわかるわけないじゃないですか。

だから僕、先手打って言っちゃうんです。「どうしたら野球がうまくなるか、自分でまず考えてください。考えてもわからないことがあったら、『どういう練習が一番いいですか?』とか、そういう聞き方をしてね」って。たぶん、今の20代前半の選手って、それと同じなんです。

伊勢 逆に言えば、今の若手はもったいないよなあ。せっかくプロに入ってきて、チャンスもあって。

阿部 そうですね、ホントにもったいない。わからないことは聞いてきてくれればいいんですけどね。僕も、聞かれてわからないことは「わからない。じゃあ、一緒に考えようか」って言いますし。そのくらいの柔軟さは持ってるつもりなんですけど、あんまり聞いてこない。だから「考えてないんだろうな」って思っちゃうんですよ。

伊勢 まあ、慎之助からすれば「じゃあ、まだまだ俺が主役を張らせてもらうよ」っていうところもあるんやろうけど。でも、やっぱりチームが強くなるには若手とベテランの力がミックスせんとな。

阿部 ええ、若手の力も絶対必要だと思います。困ったときのベテラン頼み、というのはいいと思うんですけど。

伊勢 そういう慎之助は、新人の頃どうだった?

阿部 そうですね……、僕は(キャッチャーとして)配球のことだけでもうテンパッてて、バッティングどころじゃなかったですね(笑)。

近年は故障も目立つが、「試合に出るときにケガを気にするわけじゃない。もちろん注意は払うけど、ケガしたらその瞬間から『どうしたら早く治るかな』と考えるだけ」と語る

ヒット一本打てたら今でもうれしい

■ヒット一本打てたら今でもうれしい

―すごく根本的な質問ですが、野球が楽しくなくなったことってありましたか?

阿部 いや、ないですね。野球好きなんで。飽きたら辞めようかなと思ってますけど(笑)。いや、ホントに。なんていうか……たぶん、自分の思ったとおりにいかなくなりすぎたら、楽しくなくなるのかな。なんでこの打球が飛ばないかなとか、自分で会心の当たりだと思ったのがライトフライだったりとか。そうなったらどんどんつまんなくなってくると思うんで。

伊勢 まだ、そこまではいってないな。

阿部 まだ大丈夫です、はい。

―では逆に、バットマンとして一番心地いい感覚というのは?

阿部 もちろん自分が打って試合が終わったら一番気持ちいいですけど、どんなヒットでも、どんなホームランでも、正直全部うれしいですよ。やっぱりそんな簡単にヒットって打てませんし、10回やって7回失敗しても一流バッターっていわれるんですから。一本ヒット打てたら、それだけでうれしいです。

伊勢 いわば余韻だね。余韻が両手に残るんだよね。それが残っていると、もう一回ああいう打撃がしたいと思う。

阿部 ああ、わかります、その感覚。

伊勢 追っかけてしまうんよな。体力的に若い頃と同じことをするのが難しくても。それを追い求めているうちは、まだまだ終われんよ。

―「終われない」んですか? それとも「終わりたくない」んですか?

阿部 うーん……、まあ、どっちもありますね。

伊勢 夜、銀座辺りで走り回るのも、若い頃を追い求めてるってことかな(笑)。

阿部 ハハハ、なんですかそれ(笑)。最近はもう2日連続で飲んだら、翌日ダメです。

伊勢 俺も70歳になるまではいくら飲んでも二日酔いしなかったのに、今は二日酔いするからな。

阿部 さすが昭和の野球選手(笑)。今、そういうにおいのする選手いないですから。

伊勢 じゃあ、今日はありがとう。今シーズン頑張ってな。

阿部 はい。まだまだやります(笑)。

(取材・構成/木村公一 撮影/小池義弘)

●阿部慎之助(あべ・しんのすけ)1979年生まれ、千葉県出身。身長180cm、体重97kg、右投げ左打ち。中央大学から2000年ドラフト1位で巨人に入団し、不動の正捕手兼主軸打者として7度のリーグ優勝に貢献。15年以降は故障の影響もあり主に一塁手として出場。入団から17年連続2桁本塁打を継続中。昨季は3年ぶりに規定打席に到達し、通算2000本安打を達成。通算400本塁打まで残り12本に迫っている

●伊勢孝夫(いせ・たかお)1944年生まれ、兵庫県出身。現役時代は近鉄、ヤクルトで活躍。引退後35年にわたりヤクルト、広島、近鉄、オリックス、巨人、韓国SKでコーチ、編成担当として活動。的確な打撃指導とデータ分析に定評があり、阿部と山田にもそれぞれコーチとして接した。201 6年からは大阪観光大学野球部のアドバイザーを務める