「AIがいつも『最適な答え』を探すのではなく、あたかも『心』があるように、一定の幅やゆらぎがあるほうが、人間の生活とうまく融合していける」と語る松原仁氏

AI(人工知能)に執筆させた小説が「星新一賞」の1次審査を通過して話題となった「きまぐれ人工知能プロジェクト作家ですのよ」。それを主宰するAI研究者、はこだて未来大学の松原仁(ひとし)教授が挑むのはAIに「人の心」を宿すこと。

今やプロ棋士の実力をも凌駕(りょうが)するAIが「心」を宿し、限りなく人に近い存在として社会進出する日は来るのか? 研究の最前線から見えてきたAI時代の到来について、正面から向き合ったのが松原氏の新著『AIに心は宿るのか』だ。

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―2045年にはAIが人間の能力を超える「シンギュラリティ」の時代を迎えるともいわれますが、戸惑いを感じる人も少なくないように思います。

松原 実は、私のようなAIの研究者も、おそらく皆さんとは別の意味で戸惑っています。

もちろん、これまで30年以上も研究されてきたAIが実用化を遂げ、こうして世の中で広く評価されるようになったことは素直にうれしいです。かつてAIというのは理系の世界では、あまり期待されない学問でした。人工知能の研究が人間の「知性」や「心」という、良くも悪くも文系的でよくわかっていない曖昧な概念を扱わざるをえないからです。

一般的な機械であれば、「重量を半分にした」「40%小型化した」「処理速度が倍になった」とか、数値化できる目標や成果で評価できますが、知性や心の定義すら定まらないのでは明確な評価の基準もつくれません。そんなAI研究がこうして脚光を浴び、政府から「成長戦略の切り札」のように言われると、うれしい半面で「期待されるのはいいけれど、勝手に期待して、後で勝手にがっかりされたくない」という不安もあります。

なぜなら世間では、AIの研究開発が8合目あたりまで来ているように考えている人が多いのですが、僕の個人的な感覚だと現在地はせいぜい「3合目」あたりだからです。

―なぜ3合目だと?

松原 これも具体的、定量的に表現するのは難しくて、AI研究30年の勘…という感じなのですが、ひと言でいえば、「人間ってそんなに甘いもんじゃない」ということですね。

もちろん、囲碁や将棋に勝つといった「決められた課題を解決する作業」に限れば、人間の能力に匹敵したり、一部ではそれを凌駕するレベルにまで来ているものもあります。でも、人がなぜ「将棋を指すのか」とか「小説を書くのか」といった人間の動機づけの部分はまだよくわかっていません。

今が3合目なら、残る課題が7割。そのうち2割がコンピューターのハードウエアの性能、2割がソフトウエアの課題だとすると、残る3割は「心とは何か」「知性とは何か」「人間とは何か」という定量化、数値化できないものなのです。言い換えるなら、それこそが「人間のすごさ」でもあり、これからのAI研究にとっての大きな課題だといえるでしょう。

AIには「欲望」というものがない

―そこで松原さんが取り組んでいるのがAIに心を宿らせるという研究ですが、その場合の「心」ってなんなのでしょう?

松原 例えば、家に帰ってきて「ああ暑いな」と言ったとしましょう。それに対してAIが「今日は38℃です、ご主人さま、何がしたいですか?」と尋ねる。このやりとりに、あまり心は感じられませんよね。でも、これが気の利いた奥さんだったらよく冷えたビールが出てきたり、お風呂を入れてくれたりするかもしれない。そうすると「ああ、私の気持ちがわかっている」と感じる。私は、そういうことの積み重ねが「心」なんだと思います。

もちろん、その日は体調が悪くてビールの気分じゃないのにAIが勝手に「気を利かせよう」と、うっかりビールを出してしまう「不確実性」もあります。これが原発の運転をサポートするAIなら、よけいな気を使って不確実性を生み出すよりも前者のしゃくし定規に答えるAIのほうが望ましいでしょう。

ただしこの先、AIがわれわれの日常生活にどんどんと広がってゆくなかで、しゃくし定規にいつも「最適な答え」を探すのではなく、あたかも心があるように、AIの反応に一定の幅やゆらぎがあるほうが、人間の生活とうまく融合していけると私は考えています。

―人間はひとりひとり違いますし、環境によっても変化します。AIにもそうした多様性や個性が生まれるのでしょうか?

松原 生物ではないので、作ったときはみんな同じ「赤ちゃんAI」ですが、その後、異なる環境で異なる情報を見聞しながら「成長」すれば、当然AIにも「個性」は生まれます。

もちろん、その過程で人間にとって「良い子」に育たなかったAIが出てくる可能性もある。その場合は、育ったAIの中から、人間に都合のいいものを選んで「間引き」する必要も出てくるかもしれません。

―SF映画『2001年宇宙の旅』や『ブレードランナー』では人工知能やレプリカントと呼ばれる人造人間が、人間に反乱を起こす様子が描かれています。現実の世界において、そうした危険性はありますか?

松原 基本的にはないでしょう。なぜならAIには「欲望」というものがないからです。AIには人間のような「生存本能」がありませんから、誰かが「破壊されないことを最優先しろ」とプログラムしたり、「自分のプログラムをほかにコピーせよ」とか「種の保存」を命令したりしない限り、人間と敵対することはありません。

ただし、人間が意図せずに指示したことが、誤って理解される恐れはあるかもしれません。例えば、AIに「環境保護は重要だ」「生物多様性の維持が最重要課題だ」と教えると、AIが「環境破壊しているのは人類だから人類を消そう」と考える可能性はあるかもしれない。

しかし、AIはすでに社会の一部になりつつあって、もはやAIのない世界に後戻りすることはできません。むやみにAI脅威論をあおっても意味がありませんし、AIとどう付き合うのかは人間が決めることです。その点、伝統的に一神教的な文化ではなく、「モノ」にも魂が宿ると考える日本は、世界で最もAIと相性がいい国なのです。

AIを単に成長の道具ではなく、どう社会に融合させてゆくのか。日本は率先して「AIリテラシー」ともいうべきものを社会全体で高めてゆく必要があると思いますね。

(インタビュー・文/川喜田 研 撮影/岡倉禎志)

●松原 仁(まつばら・ひとし)1959年生まれ、東京都出身。東京大学理学部情報科学科卒業、同大学院工学系研究科博士課程修了。通商産業省工業技術院電子技術総合研究所(現産業技術総合研究所)を経て、2000年より公立はこだて未来大学教授。人工知能、ゲーム情報学を専門とし、14年から16年には第15代人工知能学会会長を務める。主な著書に『鉄腕アトムは実現できるか?』(河出書房新社)、『将棋とコンピュータ』(共立出版)など

■『AIに心は宿るのか』 (インターナショナル新書 700円+税)人間のような知性を持った人工物を作るという目標に向かって、さまざまなテーマに取り組んできた著者。「きまぐれ人工知能プロジェクト作家ですのよ」を主宰し、AIに執筆させた小説が「星新一賞」の1次審査を通過したことでも注目を浴びている。今、各分野で研究開発が進むAIは、いずれ人間と区別がつかなくなる存在になるのか? またAIに心を宿すことは可能なのか? その意味とは何か? AI研究の最前線に触れながら、脅威論の先にあるAIの可能性に迫る