ナプロアースの池本篤社長

福島県伊達市で自動車リサイクル業を営む株式会社ナプロアース。廃車や事故車を買い取り、クルマから取り出したパーツを新品同様に再生させ、国内外に向けて販売している。

同社の池本篤社長はかつて、社員を罵倒すれば手も出し、儲けにならないと判断した協力会社とは迷いなく取引きを絶つ、数字がすべての「ひどい社長だった」という。

それがガラリと変わるきっかけとなったのは東日本大震災。津波に社屋を飲まれ、社員の多くは原発事故で県外避難を余儀なくされた。そんな中でも必死に生きようとする被災者の姿と、震災前に取引きを絶った協力会社からの食糧支援に心を打たれ、避難所から会社の再起を願う社員のSNSのメッセージに突き動かされた。

「福島から逃げない」と決めた池本社長は8割が新入社員という再スタートながら、"社員がワクワク自主的に働く"会社へと再生させ、震災から1年で過去最高益を叩き出したのだ(前回記事参照)。その詳しい経緯は池本社長の著書『浪江町発、廃車リサイクル工場 奇跡の経営』にも記されているが、では社員がワクワクする会社にするためにどうしたか?

まず、かつてのように社員を叱り飛ばすことは一切やめ、社員の自主性を信じることにしたというが、入社3年目の社員、貿易課の浅野祐雅(ゆうが)さん(21歳)に話を聞いた。

自動車知識ゼロの浅野さんが第一志望でナプロアースに就職しようと思ったのは、高校卒業前の工場見学で触れた明るい雰囲気だった。若い社員が多く活気がある。工場見学の担当社員の説明も丁寧だった。

入社後、ひと通りの部署を経験した後、配属されたのは海外にリサイクル部品を輸出する貿易課。英語は堪能ではないが、メールや電話で輸出先との値段交渉や条件の設定についてやりとりする毎日だ。

だがある日、確認不足から高く仕入れた品物を安く売ってしまったことで損益を出す。

「でもこの時、叱り飛ばす人は誰もいませんでした。むしろ、そこから『自主的に』再発防止策を示したことでそれ以上、問題視されることはなかったんです」

また、浅野さんも先輩社員の渡辺堅敬(たかひろ)さん(33歳)も口をそろえて言うのは「風通しがいい社風」ということだ。

「僕たちの意見はいつでも上司に上げることができます。そして、出した意見は大体通ります。なぜかというと、労働効率がよくなるからです。あと社内の『改善委員会』に意見や提案を上げる方法もある。これも使えます」(渡辺さん)

改善委員会とは5人の社員で構成され、社内のネットシステムに挙がる様々な提案の採用の可否を決める部署だ。採用されたら提案者には500円の奨励金が支払われるので結構な数の提案があるという。

例えば「乾燥の季節が近づいたので、万が一のため、ガソリンスタンドに静電気除去シートを置く」、「本社、各営業所のパソコンでもホットガレージ伊達店のタイヤの在庫を見れるようにする」等々、業務改善につながる提案はすぐに採用されている。

ナプロアースで尊重されるのはあくまでも『自主性』。浅野さんは21歳ながら、「大きな目標でいえば、将来的には自分の部署を自分でまとめたい。売り上げ目標達成は難しいですが、自分たちの力で達成したい」との夢を描いている。

業界の悪しき慣習を断ち切る

生産課の浅野祐雅さん(右)と先輩社員の渡辺堅敬さん

こんな社員が育つことが嬉しいという池本社長だが、大切にするのは社員だけではない。

取引先の場合、協力会社との取引きはすべて現金決済だ。「手形決済は互いにきつい」というのがその理由で、協力会社の社員にも生活がある以上、入金が何ヵ月も先になる手形はやるべきではないと考えている。同じ理屈で、ナプロアースの社員の生活を守るためにも手形を切る会社とは取引きはしないそうだ。

また、08年に立ち上げた『廃車ドットコム』では、顧客にも利益還元をということで、査定0円が当たり前だった廃車を適正価格で買い取る取り組みを進めている。

それだけではない。廃車時には自賠責保険や自動車重量税の有効期間が残っているケースが多く、本来、その残存分のお金は顧客に還付されるべきだが、実際には車の名義を自社に代えてそのお金を利益にしている会社が少なくない。

池本社長はこの業界の"悪しき慣習"を断ち切り、『廃車ドットコム』の利用者に保険料や税金の残存分を全額還付している。これを始めた当初は心ない一部の同業者から恨みが寄せられ、無言電話が頻繁(ひんぱん)に鳴り、一時は「身の危険も感じた」というが、そんな圧力にも屈しない地道な活動の結果、『廃車ドットコム』は53社が加盟する全国組織に成長した。

さらに再起後、特に力を入れたというのが「地域貢献」だ。池本社長にすれば、それはひとたびどん底にまで沈んだ会社が同業者や協力会社、そして被災者に支援されて再生できたことで芽生えた使命でもあった。

現在、ナプロアースは地域に根差し、東北出身者が行なうスポーツ活動も積極支援している。それも半端な数ではない。ボクシング、カーレース、サーフィン、プロ野球独立リーグ等々。加えて、少年野球を応援しようと毎年のように「ナプロアース杯」と名付けた2日間にわたる東北リトルリーグの野球大会も実施。今や東北の少年野球にはなくてはならない存在になっている。

加えて、地域では朝の清掃活動、植樹、養護施設訪問、障がい児施設へのクリスマスプレゼントなどを継続的に続けている。

また、車を扱うだけに交通遺児をめぐる状況にも敏感だ。交通遺児に無利子の奨学金を貸与する「交通遺児育英会」を支援しているが、将来的にはいろいろな社会問題を解決するための寄付財団を作ることも構想中だという。

「志を共にする仲間、(中古タイヤの販売などを行う)サンパワーの川村社長や、アップライジングの齋藤社長とお付き合いをする中で、アイデアを得て検討しているところです。

例えば、他地域の同業社と協力し、社員が『1年くらい他の会社で修業したい』というのも可能になります。違う会社や社会を見る。そしてみんなでいろいろな社会貢献のアイデアを出す。企業間でそんな人材育成があってもいいと思うんですよ」

「ああ、経営者になってよかった」

なぜ、社会貢献をここまで手広く行なうのか? 今年2月下旬、池本社長は社員に向けての『社長通信』にこう書いている。

「『自利』の精神では親友や頼れる仲間を見つけることはできません。『利他』の精神で人に与えること(お金では買えないもの)によって他者を思いやり、多くの人を幸せに導ける人は誰からも愛されます。私は、そういう人を目指して成長する仲間と仕事を続けたい。当社ではこの考えのもと、地域清掃や講演会、また障害を抱える方の施設へ訪問活動、それぞれのチーム活動もこれらの教えが基礎となり計画されています。それらの本質に早く気づいて欲しいというのが経営者としての考えです」

池本社長が貫いているのは、人のために生きようとの哲学だ。さらに今後、力を入れたいのは障がい者雇用だという。

現在は障がい者の「施設外就労」を受け入れている。施設外就労とは、障がい者支援の福祉施設から派遣されてくる障がい者を受け入れ、それぞれの能力や特性を活かせる業務に一定期間、従事してもらうための制度。

この制度を活用する形で、ナプロアースには昨年7月から精神障がい者の支援団体「NPO法人ボネール」(伊達市)から派遣されたOさんが働いている。重い部品も扱うだけに当初は心配されたが、今では職場が"居場所"と言うほどに会社になじんでいる。池本社長が感心したのは、指導する社員全員が障がい者だからと特別視せず、Oさんと普通に接するようになったことだった。

社会で働きたい。この当たり前の願いを体験したOさんは施設の機関誌に短い投稿をした。

「解体した部品の磨きや外したドアの磨きなどをしています。最初は外で仕事をしたことがなかったので不安でしたが、周りの方がとても優しくしてくれたので、今では自分一人でできる作業も増えました」

こんな短いコメントでも、かつてはなかった幸福感を池本社長は感じる。ある時には、施設外就労に従事したが会話もできなかった若い障がい者が寄せ書きに「池本社長。ありがとうございます」と書いた。それを見た瞬間、「ああ、経営者になってよかった」と社長として一番嬉しい瞬間を味わったという。

「僕はこれまでの経験で、お金よりも価値のあるものに気付かされました。それは、お互いに幸せになる。これが仕事だと思うんです」

最後に、池本社長がどうしても実現したいことを紹介する。かつて地震と津波で破壊された工場の再稼動だ。

「浜通りの南相馬市の工場は現在、2人のみの稼働となっており、双葉郡広野町にある工場は再開が未定です。でも、なんとか来年には社員を集めて再開したいんです。震災でいったんは避難せざるを得なくなった仲間と、また一緒に働いて福島に『和』のある組織を作りたいんです」

(取材・文/樫田秀樹)