「検閲は白か黒かではなく、グレーと考える。黒と決めつけて思考停止すると、『検閲がなぜいけないのか』という本質を見失う」と語る辻田真佐憲氏

忖度(そんたく)。昨年、森友学園や加計(かけ)学園の問題を報じる際に頻用され、新語・流行語大賞の「年間大賞」を受賞するほど脚光を浴びた、この言葉。何も今に始まったことではなく、ずっと昔からこの国に根づいてきたネガティブな文化なのだ。

近現代史研究家で『空気の検閲 大日本帝国の表現規制』著者の辻田真佐憲(つじた・まさのり)氏は戦前、特に1928年から終戦までの時期に忖度が大きく働いていたと指摘する。当局はメディア側に空気を読ませて意向を忖度させ、自主検閲や自主規制を行なわせていた。いわゆる「空気の検閲」は正規の検閲以上に機能していたというのだ。

戦前日本の検閲の実態に迫ることで浮かび上がってきた、現代まで続く「忖度」の源とは一体、なんなのか?

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―1928年から終戦までの時期を取り上げた理由は?

辻田 まず、具体的に検閲がどのように行なわれていたかがわかる『出版警察報』が1928年から発刊されていたことが挙げられます。それに、ちょうど左翼運動の取り締まりが強化されたことやエログロナンセンスという社会風潮もありました。その後、日中戦争、太平洋戦争に向かっていきましたから、検閲のありようが変わっていく様子もよくわかります。発禁のおかしさ、根拠となる法整備の実務や実態を紹介しています。

―発禁のおかしさとは?

辻田 一般的には、「検閲は戦前の暗黒時代を象徴している」というイメージが強いと思います。でも、権力側が一方的に発禁処分を出して弾圧していたのではなく、検閲官と表現者とのコミュニケーションがあったんです。ただ、不問にするか、発禁処分にするかの基準は非常にあいまい。『出版警察報』には、なぜ問題なのかが綿々とつづられていて、おかしいんです。

特にエロ表現の個別の判断基準は非常に難しい。「近親相姦(そうかん)や獣姦、SMはダメ」「こういう表現ならOK」というようなバカげたことがやたらと起きています。検閲官個人の趣味を押しつけるところも滑稽(こっけい)です。「今回は注意処分で見逃してやるから、次からはちゃんとしろ」とお目こぼしをすることもありますからね。

―言うことを聞かなかったら、発禁処分にするという。表現者に忖度を働きかけるわけですね。

辻田 例えば、レコードの検閲の場合、発売後に発禁処分を食らうと、プレスした費用が無駄になるわけです。ですから、その事態を避けるため、事前に検閲官に確認をしてもらう「内閲」をむしろ積極的に行なっていた。表現側にとってもうまく検閲を利用してビジネスを回していました。ある意味、ウィンウィンの関係だったんです。

―「空気の検閲」がうまく機能していたんですね。

辻田 検閲官も少数精鋭で、柔軟な対応ができていました。しかし、「空気の検閲」は権力側の意向が反映されやすいというマイナス面もありました。さらに、戦時体制になって、表現規制の空気が広がると、みんな畏縮して何も言えなくなってしまった。

―日中戦争後、内務省だけでなく、陸軍省や海軍省も検閲に口出しするようになりました。

辻田 空気の読み合いが崩れて、それまでの慣習が通用しなくなってしまったんです。権力はいろいろな組織が牽制(けんせい)しながら働くもの。例えば、森友学園問題でも巨悪がすべてを統制しているのではなく、さまざまな組織が利害関係のなかで動いている。そこに過剰な力が加われば、どこかにひずみが出てくるのです。現在の政治問題を考える上でも、戦前の検閲の歴史はひとつの参考になると思います。

人工知能による「システムの検閲」が進むかもしれない

―検閲は憲法で禁止されていて、絶対悪とされています。でも、本書を読むと、必ずしもそうではないとも思えてきます。

辻田 白か黒かではなく、グレーと考えたほうがいい。黒と決めつけて思考停止すると、「なぜ検閲がいけないのか」という本質を見失う。検閲の具体的な事例のおかしさや怖さ、ほころびから、表現規制はどういうものなのかを考えるべきです。

―忖度も必ずしも悪ではない?

辻田 そもそも忖度をしない組織はありません。きちんと先読みして、事前に根回しや準備をする人間は有能とされますからね。特に役人はそういう傾向が強いんですが、少数精鋭で回していくには、どうしてもそういう人材でなければならない。

―他国では今も検閲している国があります。

辻田 検閲や表現規制、情報統制は人ごとのように考えがちですが、実は身近なものでもあるんです。例えば、中国での検閲はニュースになることも多いですよね。最近も「くまのプーさん」の画像が制限されていると報じられました。「習近平国家主席がプーさんに似ているから」というくだらない理由のようですが、同じような検閲は戦前の日本にもありました。ですから、自分たちの問題として考えたほうがいい。

―人ごとではないんですね。

辻田 他国やほかの時代と比較するためにも、戦前の「空気の検閲」を明らかにしたかった。最近でも文科省前事務次官の前川喜平氏が中学校で講演した際、文科省が何度もメールで問い合わせをしていたことを「検閲」として批判する向きがありましたが、これも戦前の検閲の事例を知らないと、検閲かどうか正しく判断できないはずなんです。

今、イデオロギー的に極端なことを言う人が増えていますが、そういう人たちは歴史を本当に知らない。知らないからこそ、検閲でもなんでも、「反安倍」のスタンスで物事をとらえてしまう。逆に教育勅語など戦前はすべてが素晴らしかったと考えるような「親安倍」の人たちも、きちんと歴史を学んでいない。どちらも、戦前の複雑な歴史を単純にとらえているんです。

―辻田さんは技術革新による「新たな検閲」についても警鐘を鳴らしています。

辻田 ネットでは人工知能(AI)でテキストや画像から自動的に検索できるようになってきています。今後、そういった「システムの検閲」が進むかもしれません。例えば、ログデータが把握・蓄積されて、検閲される可能性もある。今後、テクノロジーの進化によって、さまざまなパターンでの表現規制ができるようになります。そこで改めて、戦前の「空気の検閲」、繰り返される忖度の歴史を知ることが必要になってくるんです。

(取材・文/羽柴重文)

●辻田真佐憲(つじた・まさのり)1984年生まれ、大阪府出身。作家、近現代史研究家。慶應義塾大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科中退。政治と文化・娯楽の関係を中心に執筆活動を行なっている。『世界軍歌全集 歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代』で作家デビュー。『文部省の研究 「理想の日本人像」を求めた百五十年』『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』『ふしぎな君が代』『たのしいプロパガンダ』ほか、著書多数。『日本の軍歌アーカイブス』など軍歌のCDも監修している

■『空気の検閲 大日本帝国の表現規制』 (光文社新書 880円+税)絶対悪とされる「検閲」。だが、戦前日本で「検閲」がどのように行なわれていたのかは、いまだにあまり明らかにされていない。“エロ本評論家”と化す検閲官、新聞・出版から興行・映画・放送・レコードまで広がる検閲対象のメディア、太平洋戦争中の軍部による非正規な検閲の暴走ぶり……。著者は1928年から終戦までの貴重な資料を追いながら、戦前日本の検閲事情をひもとき、現代まで続く“忖度”のルーツを探っていく