WBC世界フライ級王者・比嘉大吾と師匠・具志堅用高氏。具志堅氏にとって正規世界王者の誕生は、1995年にジムを設立してからの念願だった

 4月15日(日)、神奈川・横浜アリーナでWBC世界フライ級王者、比嘉大吾(ひが・だいご)は3度目の防衛戦に臨む。

2月4日に故郷・沖縄で行なわれたV2戦で比嘉は1R2分32秒、圧巻のKO勝利を飾った。

これ以前に沖縄で開催された世界戦は37年前、比嘉の師匠、具志堅用高(ぐしけん・ようこう)が14度目の防衛戦で初黒星を喫し、そのまま引退した試合だった。かつて沖縄は“ボクシング王国”と称されたが、1992年の平仲明信を最後に県出身の正規世界王者は生まれていなかった。

この防衛戦で「15連続KO」の日本タイ記録に並んだ比嘉は、「昔のオキナワン・ボクサーの再来」と評される。その強さの秘密とは何か? 具志堅氏との師弟対談で迫る!

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―沖縄での防衛戦で、比嘉選手は師匠の無念を晴らしました。どんな気持ちでした?

比嘉 うれしかったですよ! 15連続KOの記録もかかってましたが、それ以上にかつて沖縄で会長が負けたっていうのがあるんで、沖縄を背負って戦う気持ちがありました。沖縄がまた“ボクシング王国”と呼ばれるようになったらいいなって思いますね。

具志堅 俺もスッキリしたね~。自分が14回目の防衛に失敗したときはショックで亡くなったお年寄りがいたなんて話も聞いたことがあるし。

―そんなことが!?

具志堅 37年前ですからね。俺の現役時代は沖縄が返還(72年)されて間もない頃で、どこで興行をやっても揉(も)め事が起きてたようだし、沖縄のときもいろいろと大変だったみたい。2月は本当に素晴らしい世界戦だったね~。

―会場は熱狂の渦だったそうですね、指笛が鳴り響いて。ちなみに比嘉選手は指笛は?

比嘉 いや、僕はできないです。沖縄の人は指笛と三線ができて泳ぎがうまいと思っている人が多いんですけど、僕はその3つ全部できませんから(笑)。

―デビューから全試合KOで、同じ沖縄出身の浜田剛史(つよし)さんの15連続KO記録と並びました。

比嘉 浜田先輩と並べてうれしいです。でも、次もKO勝ちして新記録を作ったとしても、16連続なんていずれ抜かれるから、誰の手も届かないところまで更新し続けたいですね。

―具志堅会長から見て、比嘉選手の強さの秘密とは?

具志堅 もともと小・中学校で野球をやっていて、その頃鍛えた筋肉がボクシングに使えてる。今の17、18歳くらいだと筋肉が細い選手が多いけど、大吾は高校時代に初めて会ったときからしっかりしてました。うちのジムに入ってからは練習とウエートトレーニングでボクシング用の筋肉もついて、パワーは誰よりも強いですよ!

両親が離婚してなければ普通の選手で終わっていた?

「ボクシングの世界王者には夢があるって世間に思わせるくらいにならないと」と比嘉にハッパをかける具志堅氏

―野球の動きは格闘技に応用できるという話をよく聞きます。

具志堅 例えばボールを捕ってすぐ投げるというような、野球で要求される反射神経はボクシングにピッタシです。外野の守備では広い視野で見る目も必要だしね。

―比嘉選手は当初、高校でも野球をやろうと思っていた?

比嘉 はい。でも、ボクシングも好きでテレビでよく見てて。井岡一翔(かずと)選手が世界を獲ったとき、試合が早く終わって会長の試合映像が流れたんです。会長の試合を見たのはそれが初めてでしたが、衝撃を受けて「チャンピオンになりたい。ボクシングをやろう!」って思ったのが決め手でした。

―それでボクシング部がある高校を探した?

比嘉 沖縄本島に住んでたんですけど、会長の母校・興南高校はボクシング部がなくなっていて、沖縄尚学と沖縄水産の2校が強かったんですが、沖尚は私立だし、水産は家から歩いて通えない。

そこで、父が住む宮古島に行ったんです。両親が離婚してて、父は本島から離れていたんですよ。おかげでボクシングの強い宮古工業高校に入れた。それがなければ普通の選手で終わってたと思うので、両親には「離婚してくれてありがとう!」って感謝してます(笑)。

―宮古島に移ったのが運命を決めたと。

比嘉 親父とふたりで暮らしたのも大きかった。中学生の頃は母と暮らしていて、親父の目が届かずやりたい放題でしたから。野球の練習はキャプテンだったからしっかりやってたけど、先生に「(学校の)外周走ってこい!」って言われても、公園に行って『ドラクエ』してたり。給食を盗み食いしたり、タクシーに水風船当てたり(苦笑)。

本島の高校に行ってたら中途半端なままだったでしょう。宮古では親父とふたりなんで、朝走るのをサボったりもできない。でも、自分で決めたことなんで、サボろうという気持ちは全然なかったですけどね。

―会長は宮古島まで行って比嘉選手を自らスカウトしたんですよね。

具志堅 俺の高校の同級生に宮古の人がいて、「比嘉大吾っていうすごいのがいる」って教えてくれたんです。今まで沖縄出身者は何人かジムに入れていて、日本王者や東洋王者は生まれたけど、世界は皆失敗した。

やっぱり世界を獲れるかどうかっていうのは、リングの中でいかに勇気を持てるか。その点、大吾は出会ったときから「われわれの時代のボクサーだな」と思いました。やっと沖縄でそういう選手に出会えた。それまでの選手も皆ボクシングはうまいし、センスもあった。でも足りなかったのは、向かっていく勇気。大吾にはそれがあるんです。

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(取材・文/稲垣 收 撮影/タイコウクニヨシ)

●具志堅用高(ぐしけん・ようこう)1955年生まれ、沖縄県石垣市出身。元WBA世界ライトフライ級王者。世界王座13連続防衛の日本記録はいまだ破られていない。95年、日本人初の世界王者・白井義男と共に「白井・具志堅スポーツジム」を設立。2015年6月、国際ボクシング名誉の殿堂オールドタイマー部門で殿堂入り

●比嘉大吾(ひが・だいご)1995年生まれ、沖縄県浦添市出身。白井・具志堅スポーツジム所属。2014年プロデビュー。17年5月、フアン・エルナンデス(メキシコ)をTKOで破りWBC世界フライ級王座獲得。4月15日(日)、神奈川・横浜アリーナにて同級2位のクリストファー・ロサレス(ニカラグア)を相手に3度目の防衛戦に臨む。15勝15KO無敗