「若い人たちに『いたずらに怯えることなかれ』と伝えたい」と語る村西とおる監督

80~90年代にかけ、アダルトビデオの帝王として一時代を築いてきた村西とおる

イロイロあって負債総額50億円で倒産し、命の危険に晒(さら)されながら完済するも5年前に人生初の大病を患い、余命宣告。同時に精神も患い、一時は社会復帰困難かと思いきや、持ち前の“起き上がり小法師(こぼし)”精神で復活。

その村西監督が書いた最新書『禁断の説得術 応酬話法~「ノー」と言わせないテクニック』が、ビジネスマンの参考文献としても人生の指南書としても読めるくらい恐ろしくナイスなんです!

そこで、村西監督の近況や本書にかける思いを伺った。

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―村西監督、最近はAVは撮られてはいないのですか?

村西とおる(以下、村西) オファーがあればもちろん撮ります。最近は中国での活動や国内でのイベント、講演など生意気にもさせていただいております。また、今秋には私のドキュメンタリー映画が公開される予定です。

―映画の話も興味津々ですが、まずは5年前の闘病時代からお伺いしたいです。

村西 25万人にひとりという心臓にカビが生えるありえない病気になっちゃって。「あなたは余命1週間です、この瞬間に死んでもおかしくない」と7人の医者全員に言われたのです。

―心臓に毛じゃなくてカビ! 病院に行く前に何か不調はあったのですか。

村西 6年前に突然、お腹が痛くなって動けなくなり、そこから3ヵ月で30kg痩せました。病院が嫌いだから痛いまま我慢しながらも、おそらく内臓のガンだろうと覚悟していました。しかし、耐え切れず病院に行ったら病巣は心臓だと。

―それで入院をされたのですか?

村西 そう。手術して50日間入院して。心臓の病気の怖いところは、いつ何時、ゴンッと逝くかもという強迫観念に駆られるところ。毎日不安でした。

―入院中はどんな思いでいたのですか。

村西 不安しかありませんよ。ある女医が、点滴が下手で何回も失敗するわけ。手も腫れ上がっちゃって「先生、絶対に大丈夫ですよね?」と聞いたら「医学に絶対はありません!」と怒り出しまして、さすがに私も内心では「許せん!」と思いましたが、「そうですか…」と、ただただ、すがる思いでございました。

―それはひどい…。退院後は徐々に体力気力ともに取り戻したのですか?

村西 いいえ、退院後が地獄でございました。死への怯え、うちの女房や子供、生きてる人の顔を見ることそのものが恐怖になり、家にジッとしていられない。毎日ふらふらと外を徘徊し、夜は睡眠薬を飲んでなんとか眠るという日々でした。

余命宣告で精神病院も3軒くらい行きました

―そこまで監督を苦しめた、死のイメージとはどんなものだったのですか?

村西 自分の死のイメージは火葬場に連れられ、火葬炉の中に入れられて焼かれる、凄まじく熱い、結局何を作り上げて満足したとしても、すべて灰と化してしまうのだという、ものすごく残酷なものでした。

―生々しいですね。しかし本にもありましたが、融資者にダムに連れられ「貸した金は返さないでいいからここから飛び降りろ」と迫られた時も、死に直面したのに乗り越えられた。その時と病気の時とでは何が違ったのですか。

村西 ダムでの出来事に直面した時は“こんなところで死んでたまるか”とファイトしかない。でも病気はそう思えない。特に、死は自分ではコントロールできないもの、いつ死んでもおかしくないからです。医者に言われた、たったひと言の余命宣告で精神的におかしくなり、精神病院も3軒くらい行きました。

―そこからどう復活したのですか!

村西 知人の医療ジャーナリストに紹介していただいた心臓外科医のスペシャリストから「もし何かあったら、私が監督を絶対に、絶対に、絶対に助けます」と3度、「絶対に」というお言葉をいただき、抗うつや睡眠薬漬けの日々から脱却できたのです。

―言葉ひとつで脱却できるとは、さすがですね!

村西 その名医はこうも言いました。「患者はこの苦しさを乗り越えれば元気な自分に戻れると死ぬ瞬間まで思いたいもの。頑張る患者に対し、医者として最大限を尽くすことはあっても、余命宣告するなど神をも畏(おそ)れぬ仕業だ」と。

―その話を聞いて、監督も前向きにその時の自分に立ち向かえたと。

村西 その通りでございます。また、ギリシャの哲学者、エピクロスの言葉で「人間には死がない。古今東西、自分の死を見た人間はひとりもいない。人間というものは自分の死を知ることができない生き物である。だから人間に死はない。どんな富める者も、貧しい者も、等しく死は訪れるけれど、味わうことができないのが死だ」という言葉にも出会い、私の心を強くしていただきました。

―この本には監督が勇気づけられた偉人たちのお言葉の数々が読めることもまた、素晴らしいと感じました。

村西 いかなる時も先人たちの言葉に救われる瞬間があります。私もまた、皆様にとってのそのひとりであればと本書を綴(つづ)りました。若い人たちに伝えたいのは「いたずらに怯(おび)えることなかれ」ということ。生(性)と死、そしてまさに生きることへのノウハウでもあるから、ぜひ読んでいただきたいですね。

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エロで一時代を築き上げ、贅沢の限りを尽くし、そしてどん底を見た村西とおる監督だからこそのナイスすぎる至極の言葉の数々ーー。

次週(4月18日)からは2回にわたり、今まさに生や性と戦う読者から寄せられた悩みを、監督にズバッとお答えいただくナイスな人生相談をお届けします。お楽しみに!

★第2回⇒50億の負債から復活した村西とおる監督がビジネスの悩みに「世の中の役に立たない仕事はありません!」

(取材・文/河合桃子)

●村西とおる1948年、福島県出身。高校卒業後、上京し、水商売、英会話教材や百科事典セールスなどを手掛ける。ゲームリース業で成功を収めた後、裏本制作販売に転じ、北大神田書店グループ会長に就任。84年にわいせつ図画販売目的所持で逮捕され、保釈後、AV監督となる。88年にダイヤモンド映像を設立し、多くの人気作を生み出したものの、衛星放送事業への投資失敗により92年に50億円の負債を抱えて倒産。その後、タオル販売、蕎麦店経営、アダルトグッズ販売などを経て借金を完済、現在に至る

■『禁断の説得術 応酬話法――「ノー」と言わせないテクニック』(祥伝社新書 864円)AV界の帝王・村西とおるが英語の百科事典のセールスマン時代に習得、全国1位の営業成績を上げるに至ったテクニック・応酬話法。ダイヤモンド映像時代には素人女性から有名人までを口説きAV出演を成功させた。会社の倒産で負債総額50億円の過酷な取り立てもこの話法でピンチを脱出した。この秘伝とも言うべき禁断の説得術を、ふんだんな具体例(時に抱腹、時に涙)とともに開陳!