陣屋の女将・宮崎知子さん。会社経営も旅館業の経験もなかったが、夫の富夫さんとともに09年に参画後、ジリ貧の老舗旅館を見事に再建した

神奈川県秦野市にある鶴巻温泉は、ピーク時に20軒近くあった旅館が今では3、4軒に激減し、すっかり寂れてしまっている。しかし、来年で創業100年となる老舗『陣屋』は、今も客足が絶えない。約1万平米の庭園に純和風の18の客室を備える贅沢な宿だ。

経営するのは社長で女将の宮崎知子さんとその夫の富夫さん。元々、知子さんはリース会社のOLで、富夫さんはホンダ技研工業のエンジニアだった。ふたりとも旅館業の経験はなかったが、富夫さんの父親である先代社長が急逝、母親の先代女将も病床に倒れたことで家業を継ぐことになった。

その当時、陣屋は10億円の借金を抱え、買い手も見つからず、宮崎夫妻の2児の子どもにまで借金の影響が降りかかる状況に直面し「一家離散を避けるためにも継ぐしか選択肢はなかった」と宮崎夫妻は口をそろえる。

ふたりが再建のため参画したのは09年9月。それから約9年を経た今、売上げは倍増し、社員の平均年収も288万円から400万円に大幅アップ。今や旅館業界の優良企業である。

では、ジリ貧の旅館を"素人女将"と大手自動車メーカーを退社した夫はどう立て直したのか?

客室を改装して1泊9800円から35000円にするなど高級化路線に舵(かじ)を切り、レストランをブライダル会場に改築、接客係には複数業務をこなすマルチタスクを求めた。客への"もてなし力"を高め、価値を向上させたことが新たな客層を掴むことに繋がったと、知子さんがまず女将目線で明かしてくれたが...。(前編「10億の負債で瀕死の有名老舗旅館を劇的に再生させた"素人女将"の決断」参照)

一方の富夫さんが着目したのは旅館の裏側だった。

「この旅館にきてオカシイと感じたのは、接客業なのに予約客や料理を紙に書き写したり、電話応対したりと雑務に追われ、裏方ばかりにスタッフが集まっていたこと。多忙な日には従業員が表の廊下を走り回っている姿もあった。業務連絡は口頭で伝わるから聞き漏れや聞き間違いが多発する上、作業がアナログだから、ちゃんとやる人はやるけど、やらない人はやらないといったバラつきも目につきました」

そこで「従業員にもっと接客に集中させる」ための業務改革に着手した。構想したのは分厚い予約台帳を電子化し、顧客情報から従業員の勤怠、料理の材料などの受発注、売上までを一括管理できるシステムの導入...つまりは"IT化"だった。

まず、「資金が底を付くまであと半年」の状況だったため、安価なシステムを入れようと、自在に機能を進化させられるカスタマイズ性やセキュリティの高さなどを条件に加えて選定に取りかかったが、当時、市販されていた宿泊施設向けの基幹システムにはこの要件を満たすものが存在しなかった。

そこで「自前で開発するしか道はない」と判断。そこはさすが元エンジニア、ホンダ時代に叩きこまれた「コア技術は自分でやれ」とのモノづくり精神が活かされた。

そして自社開発に取りかかった2ヵ月後の12月、富夫さんはまだ普及が進んでなかったクラウドに着目する。「サーバー要らずで初期投資が抑えられる」と考えてのことだったが、SE経験まではなかったため、そこから先が手詰まりになった。SEを新規で雇う資金的余裕もない。

IT化で「接客の仕事が楽しくなった」ワケ

そんな中、接客係の穴埋めのために求人をかけると、面接に来た男性が幸運にも「SE以外の仕事をしたことがない」という経歴の持ち主で、なぜそんな人材が旅館で接客しようと思ったのかは謎だったが、システム開発の話を持ちかけると「面白い、それならやってみたい」と乗ってくれた。その森元博幸さんからは「クラウドならセールスフォースがいい」などと提案され、「やっぱそうだよね」といった具合で「面接そっちのけで話が盛り上がった(苦笑)」(知子さん)という。

そこからはトントン拍子で話が進む。翌年、正月明けに外資のIT大手・セールスフォース社に連絡すると、1月10日には契約、その夜に月額15000円でライセンスを発行してもらった。その後、専用のパソコン1台を購入し、同社のクラウドプラットフォームを土台にしつつ、富夫さんと森元さんは夜勤対応でシステム設計に取りかかった。

2ヵ月後に形にしたのが、従業員の働き方を劇的に改革した『陣屋コネクト』である。当時は予約や顧客情報を管理するだけの機能にとどまっていたが、ふたりはその後も従業員の要望を聞きながら開発を続け、機能性をどんどん高めていった。

導入後はオンライン上での予約受付けが可能になり、紙の予約台帳は不要に。予約情報は瞬時に全スタッフが携帯するiPadに配信され、事前チェックが可能になった。現在は機能が進化し、車が駐車場に到着すると『ご予約の○○様が到着されました』という自動アナウンスがイヤホンに流れる仕組みになっている。さらに、過去の宿泊履歴から同伴者の情報、好みの料理やお酒、浴衣のサイズまで検索情報で表示され、スタッフは十分に"予習"して接客にあたれるという。

また、それまではインカムに頼っていた業務上の指示や"報連相"も音声認識機能が付いた社内SNSでできるようになり、胸元に装着したマイクに話しかければ、その内容がチャット形式で活字化され、履歴も自在に閲覧できる。これにより指示や連絡事項を忘れたり、聞き漏らしたりすることもなくなった。接客係の江畑真理子さんが「スタッフはいつどこにいてもお客様の情報を瞬時に共有できます。忙しく館内を走り回ることがなくなり、余裕を持ってお客様との接客を楽しめるようになった」と嬉しそうに明かしてくれた。

その一方で、ベテランを中心に多くの従業員が辞めていったという。50代、60代という高齢の影響も大きかったが、ひとりにマルチタスクを求めたり、代々守り続けてきた"聖域"ともいえる炭焼きレストランを潰してブライダル会場にするなどドラスティックな改革に不満を抱き、「ついていけない」と去っていった人も少なくなかった。

当初、改革の途上で手薄になった接客係に若い人材を採用しても、多忙を極める業務についていけず、「ほとんどが数ヵ月で辞めていった」という。

こうして09年時点で120人だった従業員は現在、40人までスリム化された。しかし、逆をいえば3分の1の人数でも旅館とブライダル会場、レストランの3つの施設を切り盛りできる身の丈経営になったということ。「3人分の仕事をひとりで回せるようになった」(富夫さん)のは、まず『陣屋コネクト』がバックヤードの業務を省力化した成果が大きい。

運用開始から約1年後、富夫さんは『陣屋コネクト』を他の旅館にも販売することを決断する。それも1ユーザーの月間利用料3500円という破格の安さでだ。劇的なコスト削減効果を生む自前のシステムなのだから、もっと高値で売っていいし、専売特許として自社だけでそのうまみを享受し続ける選択肢もあったはずだが...。これをあえて、安価な料金でオープン化したのは?

追いつめられた女将がぶち切れた!

全従業員が持つタブレットを通じて業務に関わるすべての情報が瞬時に共有される

「『陣屋コネクト』をもっと進化させたかったからです」

それは経営者というより"技術屋"の目線だった。富夫さんが続ける。

「その時点で陣屋の従業員はシステムの扱いに慣れ、性能にも満足し、改善要望が出てこない状況にありました。これではせっかくの技術が社内でガラパゴス化し、進化が止まる。もっと使い勝手を良くしていくためにも社外に出す必要がありました」

そこで何をやったかというと、キャンピングカーを購入した。

「11年から12年の2年間、平日の5日間は全国の旅館を回っては『陣屋コネクト』の営業や導入支援をひとりでやっていたんです。最初は普通車で回っていましたが、運転中に眠気が襲って何度か危うい目に遭いましてね(苦笑)。キャンピングカー購入後は眠くなったらコンビニの駐車場とかで仮眠をとるといったことを繰り返しながら、フットワーク軽く旅館に営業をかけられるようになりました」

こうして週末の2日しか戻らず、キャンピングカーを相棒に全国行脚する日々を過ごし、訪問した宿泊施設は2年間で約100軒。その成果もあって『陣屋コネクト』は今では旅館を中心にビジネスホテル、リゾートホテル、ゲストハウス...など全国250施設に導入され、年間1億円超を稼ぐ収益の柱となっている。

そして、富夫さんが全国を巡っていた頃、陣屋は黒字化に成功した(11年末)。旅館の高価格化とブライダル事業が軌道に乗ったのだ。借金も10億円から半分程度まで減り、借り入れ先を地元の地銀に一本化。同時に、借金の連帯保証人から富夫さん以外の家族が外され、「一家離散の危機を回避することができた」(富夫さん)

だが、『陣屋コネクト』の効果があったとはいえ、人手が減り続ける陣屋の館内では従業員が疲弊していた。いまだ離職率が高く、新規採用してもすぐに辞めるという悪循環から抜け出せずにいたのだ。富夫さんは自身への不満も感じ取っていた。

「その当時、従業員は私のことを『利益のことしか考えない鬼経営者』と見ていたと思います。さんざんIT化を推し進め、給与は上げず、辞めていく人が次々現れても『致し方ない』と思って引き留めなかったですから。でも、当時は本当にこの旅館が倒産すると思っていたから、そこまで気を回す余裕がなかったんです」

そんな時、出産直後から「3年間、休まず働き続けた」という女将の知子さんも体重が17kgも激減、精神的にも限界にきていた。免疫が弱くなって毎月のように風邪をひき、最終的には「立ち上がるのもつらい」(知子さん)状態に...。

そんな心も体も追いつめられたところで、ついに女将がぶち切れた! 「子どもと接する時間も全然なくて、私は一体、なんのために働いてるの!?って」。

富夫さん自身も、経営が上向くのと反比例するように「夫婦関係が悪くなっているのを感じていた」という。そこを修復できないまま、最終的には「家内が"発狂"した(苦笑)」ことを受け、母親である先代女将も交えて家族会議を決行。そこで出た結論が「黒字化もしたし、この際、みんなで休もう!」だった――。

★続編⇒業界では常識破りの週休3日で従業員の年収もアップーー老舗有名旅館を再生した"素人女将"の働き方改革とは

(取材・文/興山英雄)