今年1月には「清元栄寿太夫」も襲名、歌舞伎界の二刀流でますます注目される尾上右近さん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

前回、彫金職人・デザイナーの青山正隆さんからご紹介いただいた第56回のゲストは歌舞伎役者の尾上右近さん。

清元宗家の次男として誕生しながら、2000年4月に歌舞伎役者として初舞台。七代目尾上菊五郎に師事し修行した後、05年1月には二代目尾上右近を襲名。若手実力派として人気を誇る中、今年1月には「清元栄寿太夫」も襲名し話題に。

最近では出演した『ワンピース歌舞伎』で座長の市川猿之助が大怪我で降板すると代役で主演のルフィを見事、勤め上げたことでも評価を高めている。前回はその舞台裏や家業を継ぐことの覚悟、一方でプライベートでの幸せを感じる瞬間まで明かしてもらったがーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―では、そのルフィ役を自分がやるしかないとなって、実際やり終えた時…達成感なのか脱力感なのか、何か見えたものはありました?

右近 本当に無でした。無ですね。

―真っさらになった!?

右近 あっ、終わったーって。やってる最中はいろいろ感じてたのかもしれないけど、常にその日その日だったんですよ。それこそ風邪ひく日もあったし、いろんな瞬間がありましたけど、それでも毎日やっぱりフラットにやるってことを目標にしていて。

もちろん、みんな疲れていたし、僕を支えるっていう意味では、周りも通常以上に力を果たしている部分もあったから。それに応えなくちゃってだけで…。

―それこそ俗な話をすれば、チケットの動向とか、お客さんの評判で比べられてどうなのかとか、ネガティブなことを考える要素もあったのではと…。

右近 それはやっぱり代役とはいえ、ただやることやって代わりを勤めてればいいってわけでもないし。個人の力がすごく試される部分もあるので、チケットの売れ行きとかはすごい気になりましたね。猿之助兄さんが作ったお芝居で、すごく責任も感じたし。

だから払い戻しを極力少なくしたいっていう気持ちはあって、それは自主公演もやってたからだと思うんですけど、その多いか少ないかが唯一、僕の頑張りの測りになる部分でもあったんで。

またそれが不思議なもので、毎日やっている中で徐々にペースを掴んでくると、それなりに余裕が出て、余裕が出てくるとそういうことを考えたりするんです。

―結果、それでいうと影響がなかったというのもすごかったですし、自信にもなったのではと。

右近 まぁちょっとは(笑)。いや、嬉しいなと思いました。よかったって。やっぱり、あんまり払い戻しが激しいと猿之助兄さんにも顔向けできなくなっちゃうから(笑)。

―そこで繋いだことで、ロングラン公演でまた大阪にもね。

右近 でも、だから先のこと考えてもわからないし、ましてや猿之助のお兄さんの代わりを僕が務める日が来るなんて、全く想像もしないことじゃないですか。その瞬間、それ自体がお芝居を観ているみたいだったんですよ。こういう劇的なお芝居あるなっていう(笑)。

絶対的に信頼している兄のような…客席からも関係者からも厚い、揺るぎない信頼をえている役者が想像もつかないアクシデントに巻き込まれて、慕っている弟みたいな存在が代わりを務めることになって、さあ、どうなる!?みたいな。これどっかで観たことあるなっていう風にちょっと思ってましたね。

―それも面白いというか、本人にしかわからない感覚ですね。俯瞰(ふかん)して第三者的立ち位置で眺めてるような…。

右近 なんか、激しく頭をぶつけたり、衝突に巻き込まれた時って、痛みの大きさがわからなくてびっくりするじゃないですか? 「痛っ!」と思って見たら血だらけだったり…そういう感覚でしたよね、あまりにも大きなアクシデントでしたから。事の次第の大きさがわからないだけで、あまりにショックが大きすぎるとそうなるって言いますからね、人は。

―公演を終わって、それこそ無にもなると(笑)。ちょっとした記憶障害で覚えてないくらいの。

右近 ほんと、衝撃的にはね。

「すごく自分のダメな部分がイヤだー!って」

―でもそれを経て、もう怖いものないなって感覚もあります?

右近 いや、怖いものはやっぱりたくさんあります。本当に想像もつかないものに常に左右されている…自分の力なんて本当にごくわずかなもので、もっともっと目に見えない大きなものが働いて生かされてるという感覚ですか。だから今も懸命にやることだけだと思うし。

―ただ、そういう想像もつかないようなものに対する準備というか、覚悟が備わった部分はあるのでは。

右近 それはそうかもしれない。まぁ受け入れざるをえないというか。

―こうやってお話させてもらうと、大人すぎて怖いというか、しっかりしすぎという印象ですが(笑)。どこか、しょうもない部分はあるんですかね?

右近 むちゃむちゃありますよ(笑)。ほんと、しょうもないですよ。今まではそれがまずいとか、すごく自分のダメな部分がイヤだー!って思ってたんですけど。それは治らないんですよね、おそらく。

それよりも受け入れてしまったほうが人にも隙を見せることができるし、それでいこうって変わったのは、その代役がすごく大きかったかもしれないです。できないことはできないし、苦手なことは苦手なことで克服すべきなんだって。

力が及ばない部分があるけどやらなきゃいけない…それでも踏ん張って、やれることをやるっていうモチベーションが強くなるわけじゃないですか? その経験を通じて、人間としてもやるべきことをやって、できないことは自分の中で受け入れるっていう作業を覚えたきっかけだと思ってるんですけど。

―だからこそ、外の世界に触れたいという欲求も増してきたとか。

右近 全てが重なってるんですかね。その頃、ちょうど新しい出会いとかで人と触れ合っていくこともできるようになっていったわけですから。

まぁ、あくまでもその代役はきっかけのひとつだと思ってるけど、時期としてそういう流れだったんじゃないかなと。なんか、人に隙を見せるっていう勇気がなかったのが、いきなりできるようになったのは。

―それで随分、楽になりました?

右近 楽になりましたね。どう思われてるかっていうよりも、自分がどう思ってるかの割合が前より強くなった感じです。自分の思われたいように100%思われるんだったらいいけど、そうじゃないんだからしょうがないっていう。

―あの…ふと思ったんですが、自分に対するのと同様、周りにも厳しかったり…特に女性に対してとかどうなんですか?

右近 僕ですか? そんなことないですよ(笑)。厳しくされたいほうですから、むしろ。そのほうがありがたいし。

―自分を甘やかさない女性がいいと?

右近 そうですね。割とそのほうがわかりやすいというか…やっぱり母の影響が強いかな。結局、母を追い求めている部分はあるし、厳しくて優しい人が一番安心できる。なんでもいいって言ってくれる人は逆に心配になっちゃうし。

「結婚とか子供もできないかもしれないし…」

―なるほど。そこに最上級のモデルケースがあるわけですね。

右近 ただ、その中でも僕は僕で男として、母の教育の範囲外で人生を経験している部分がどんどん広がってると思うので。必ずしもその理想像が自分の中で当てはまるわけでもないなっていう。

それと、やっぱり究極、縁で繋がってるから。それはすごい大事に思ってることなんですよ。女性と出会うって、その究極の形だと。自分の今の在り方っていうのがそのまんま出ませんか?

―身近に一番接して、それこそ自分の弱い部分とか隙までも見せられないとしんどいですよね。

右近 無理でしょうね。そこまでさすがに息苦しい生き方は選択できないですから。

―それでいうと、特殊な世界に入って一緒に連れ添うという覚悟を持ってきてくれるだけでもハードル高いのかなと(笑)。

右近 そうなんですよ。だからそれだけでいいです。あとはもう僕が全て折れますから(笑)。だって、本当にそうですよ。かなり厳しくなってますから。

結婚できたとして、尚且つ錯覚ではなくして、それだけでいいって女性はなかなかいませんから。本当にこうボードを持って、超えてもらうべき壁を箇条書きしてね。来てくださいって言わないと、来てくれないんじゃないかって(笑)。

―(笑)でも、そう言えることがまた立派すぎるというか。女性ファンが悶絶しそうな(笑)。

右近 いや、でも本当にそうでね。まぁ子供は欲しいし、看取ってもらいたいっていうのもありますから、ゆくゆくは。ひとりで死ぬのはイヤだなっていう。

―芸を受け継いでもらいたいとかじゃなく、看取ってもらいたい?

右近 受け継いでもらいたいというのはあんまり思わない。父と僕も全然違うけど、自我が強い分、子供は分身って認識を僕はすごくすると思うんですね。そうなるとやっぱり、すごく1から10まで気になっちゃうし、放っとけないっていう。

でも放っとかなくちゃいけない。そこのジレンマとの戦いって、これから人生を歩んでいくと、役者と清元とすでにふた筋の道なのに、父親としてのそれまで関わってくると、さすがにキャパオーバーだと思うんですよ。

だからそこはあんまり心配しないような…やっぱり奥様になってもらう人に求めることとしては、子供を委ねられる人がいいですね。たまに自分が出ていって、バカやろう!って言うだけで。

―存在を示すだけで(笑)。なんか結婚どころか、その先まで考えちゃってますね。

右近 うん。そこは先を見ないと…足元を見たらすごく慎重にならざるをえないので。でも、わからないもんね、女性の考えてることさっぱり(笑)。こんなこと言ってるけど、結婚とか子供もできないかもしれないし、わかんないですよ。

北野武監督作品が「僕、すごい好きです」

―またファンが悶絶してそう(笑)。まぁそれでどういう女性とご縁があるかもですし、公私ともに新しい出会いや縁が楽しみじゃないですか。

右近 そうですね。本当に縁だと思います。だから僕がそういうアンテナを持ってるからなのか、あるいはきっかけをいただけることによってアンテナができるのかわからないですけど。自分の中できっちりと肯定的に、健康的なメンタルで全てに向き合っていれば、変なことにはならないと。それは漠然と信じてますね。

―これまでの自分を信じられるからこそのポジティブなスパイラルというか。

右近 今までもそうだと思うし。それでやってきて、間違ってないんじゃないかなって思える要素が多かったですから。

―ではお仕事も出会いと縁で、特に自分からこれに挑戦したいとかは…。

右近 特別やりたいっていうのは、任侠ものとか不良映画が…なんか本当に漠然とですけどやりたいんですよ。

―お祖父さんの鶴田浩二さん的なイメージが浮かびますね!

右近 シンパシーなのかもしれないし、本当にずっとやりたくて…。自分の中での要素としてはあるけど、出すタイミングというか、出しどころのない悪の部分を役を通して出したいなと。それによって、僕のことを応援してくださっている人も惑わされるような…「どういうやつなの、こいつ?」ってところにいきたいんで。すごくやってみたいですね。

―それが新しい境地に? 任侠映画的といったら、今だと北野武監督とかになりますかね。

右近 僕、すごい好きです。映画も結構観ていて、人間の裏側みたいなものだとか、すごい影響を受けていますね。優しい人は内心冷たくて、優しく見える人は冷たい部分を悟られまいとしてるみたいな裏返しの部分があるじゃないですか。それをたけしさんが仰ってるのもすごい好きで。

今の時代、何か一面だけを追うような部分がどんどんそうなってるじゃないですか。いい人悪い人、好き嫌いとかじゃなく、多面性があるものの一面だけが目立って、そこだけ評価したり…。そうじゃなくて、いろんな面があるのを面白い、楽しいって思う客観的な視野の広さはほしいかなって。

―確かに、両極端に偏ってますよね。でも歌舞伎自体、描いているのは人間の善悪裏返しみたいな、喜劇と悲劇が表裏だったりね。

右近 そうなんですよ。今年の自主公演はまさに近松門左衛門のお芝居の多面性、両面性みたいなお話で。最初は笑える、なんか意地悪なことも笑っちゃえる空気から一気に笑えなくなっていくんですけど。その感覚って他にあんまりなくて、近松って人は本当に現代まで通じる、人というものがある以上は絶対に理解できてしまう普遍性があるなと。

いや、そういう話も尽きませんが…役者をされて、言葉を持っている人は多いですが、本当に20代でさすがというか(笑)。もっと伺いたいところですが、残念ながらそろそろお時間ということで。本日はありがとうございました!

●語っていいとも! 第57回ゲスト・東學「漫画家を諦めて、中1からヌードとか描いてたんです」

(撮影/塔下智士)

●尾上右近(おのえ・うこん)1992年5月28日、東京都生まれ。清元宗家七代目清元延寿太夫の次男として誕生し、2000年4月に『舞鶴雪花月』で初舞台を踏む。その後、七代目尾上菊五郎に従事し修行。05年1月には二代目尾上右近を襲名し、今年1月には名取式にて「清元栄寿太夫」も襲名。今夏、『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル ~スプーン一杯の水、それは一歩を踏み出すための人生のレシピ~』で初現代劇主演予定。詳細 http://www.parco-play.com/

主演予定の初現代劇『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』。東京公演は紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAにて7月6日(金)~7月22日(日)。チケットは4月21日(土)より発売。地方都市公演も予定