最近では女性の裸体をカンバスにボディペイント作品も…マルチな異才を発揮する東學さん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

前回、歌舞伎役者の尾上右近さんからご紹介いただいた第57回のゲストは墨絵師・アートディレクターの東學(あずま・がく)さん。

京都生まれ、父親が扇絵師という環境で幼少時から絵筆に親しみ、アメリカに留学したハイスクール時に描いた『フランス人形』がメトロポリタン美術館に買い上げられるという早熟の天才ぶりを発揮。

帰国後、舞台・演劇シーンで数多のポスターデザインを手掛け、墨絵師としては遊女シリーズなどで異才を発揮。ライブパフォーマンスでもジャンルを超越し活動する“平成の浮世絵師”である。

日常から作務衣姿の風体で大阪ミナミを拠点とする、その素顔とは…。前回は漫画家を目指していた子供時代から米留学の経緯などを伺ったがーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―やはりマセてるのか(笑)、中1でヌードを描くのも早いですけど。

 ところがアメリカの高校行って、美術の授業でデッサンがあったんですよ。それが黒人の女生徒が来るんですけど、さすがにヌードじゃなくレオタードみたいなの着てね、目の前にポンって座りよったんです。それがもうめっちゃカワイい人で。

僕、もう恥ずかしくて、顔ばっかり…体は描けへんみたいな。空想ではヌードを描けるけども、目の前にしたらあまりにもキレイすぎて、うわぁ~みたいに(笑)。

―そこはウブというか、女性を崇める純粋さも感じますけど。でもそれで早くにコンクールで賞を獲って、自信つくし、調子に乗るところですよね。

 ほんで、賞2回獲るわけですからね、もう調子乗るでしょ、普通。そんな乗ってはないけど(笑)。でも、絵は人に言われて描くもんじゃねぇと思ってたんで。イラストレーターにはならないでおこう、デザイナーになって、好きな絵は好きな時に描こうと。

―生業として、金を稼ぐ手段とは別にしといたほうがええわと?

 そうそう。まぁ親父も最初、注文されてずっと松の絵ばっか描いてたけど、途中でイヤになって、自分の好きな花を描いてたんで。きっとそういうのもどっかにあってね。

―若くしてある意味、メトロポリタンのお墨付きもあって。やっていけるはずという強気やプライドもあったんですかね。

 だけど、その後ね、僕の経歴にメトロポリタン永久保存とか書いてたんですけど、どんどん不安になってくるんですよ。ほんまに俺の絵、あるの?って。お買い上げの電話は受けて、賞金も振り込まれたけど、本当だったの?みたいな。自分で見たことないし、どんどん怖くなって。なかったらどうしようと。

―最近ですか? ていうか、今まで自分で確認しに観に行ってないんですか!

東 そうそう(笑)。ほんで、今年の1月にボディペイントやって、その描いてほしいっていうモデルが来てね。なんで俺のこと知ってたの?って聞いたら「7年前にメトロポリタンで絵を観たんです」と。「マジかー! あったんやー」って(笑)。

―経歴詐称じゃなかったと(苦笑)。ほんと、なんでその前に自分で観に行こうとしなかったんですか(笑)。

東 うん、まぁなかったらなかったでしゃあないわって思ってるくらいなんで。ニューヨークも2回行ってるけど、自然史博物館ばっかり行ってる。恐竜すげー!みたいな。

―自然史博物館もいいですけど(笑)、避けてたというか、自分の絵が本当にあるのか、直面したくなかったのも?

東 あっ、それはあるかもですね。もしなかったらどうしよう、観に行かんとこうみたいな。

―現実を知るのが怖かった(笑)。

東 そうそうそう、わからんけど(笑)。でも自然史博物館のほうが魅力的やったんですよね。ちょうど「トリケラトプス展」やってたんですよ。いろんな骨とか、わぁすっげぇすっげぇ、それラプトル?みたいな(笑)。もう大興奮!

―いや、自分の作品が飾られてるのを見たい欲求のほうが強いはずでは…(苦笑)。

 ははは、なかったですね~。その頃、全然考えてなかったなぁ。あるかどうかはどうでもいい。今から思たら、ほんとそうですわ。

「マジかよ!いうて、めっちゃ感動した」

―やはり不思議な方というか、ある意味、風変わりですね(笑)。

 ほんとだ…。いまだに観てないですもん。そのコが観たって初めて聞いて、もう感動しましたから。そうなんやー!いうて。ほんっと危ない危ない。信じてなかったのは本人だけみたいなね。

―プロフィールにもウィキペディアにも載ってますから(笑)。でも、それまで知人とか関係者でも誰かが見てて不思議ないはずではと。

 ねぇ。ただ、入れ替えとかあると思うんですよ。たまたまそのモデルのコは7年前に観に行って「あなた、日本人?」って学芸員の人に聞かれて。じゃあ、この絵を観なさいって案内されたのが僕の絵やったんですって。

―なるほど、確かに常設されてるわけではなく所蔵品はかなりの数でしょうから。

 そうそうそう。だからまぁ時期的に偶然ね。なんか倉庫とかに連れて行かれたん?って聞いたら、壁に飾ってあったと。マジかよ!いうて、めっちゃ感動しました。

―メトロポリタンもお買い上げしたっきりで…。キュレーターがその作家の作品をずっと追ってそうなものですけどね。

 追ってきてないですね。でもまぁ世界には腐るほどいるんでしょうね、絵描きみたいなもんは。

―まぁそれで帰国後も道を外れて挫折したわけでもなく。ポスター含めて、舞台芸術の第一線で活躍されながら、墨絵師として幸せな仕事をやれてる感じですよね。

 そうですね、デザイン大好きですし、絵も大好きなんで。まぁ恵まれてますね。バランスとれてるんだろうなとは思いますけど。気分ようやってるっちゅうことはそういうことですよね。

―最初に仰っていたように、自分からガツガツいくわけでもなく。周りの求めもあって、自然と手がけるものが広がって。

 ガツガツはしてないなぁ。アピール下手なんですかね、これ。

―いやいや(笑)。巨匠になるべく、いろんなハードル上げてアピールしてとか欲深さはないんですか?

 自分の中で、こんな絵を描くぞっていうハードルはあるんですよ。死ぬまでに仏さんを描こうとか。ただ、今はちょっと迷い道クネクネの状態でもあるんかなと。いろんなことをこちょこちょやって、見つける作業ですね。

―未だまだ逆に定まってないがゆえに、他の可能性を模索して?

 もう、ここらにあるオネエちゃんの絵のタッチはコンプリートかな、みたいなのもあるんで。ちょっと今、違うことをやり始めてますね。それがボディペイントだったり。

「龍はねぇ、やっぱり僕は北斎ですね」

―そういえば、歌舞伎町のど真ん中にある弁財天の公園に描かれた龍虎の壁画も見させてもらいました。昔からあそこらへんで飲み歩いていながらスルーしがちなんですけど(笑)。あれもここ数年の新境地ですか。

 おぉ~。なんか新宿区のあそこが落書き絶えないからって、オファーされて描いたんですよ。アートイベントやってる蟹江杏ちゃんってコが友達で、顔怖い龍とか描いてくれるから頼もうって言ったみたいで。新宿区の区長が来て、喋ってたら寅年っていうのがわかって、じゃあこっちの壁には虎描こうってなって(笑)。

―それこそ俵屋宗達的なものとかを受け継いでる感じはあるんですか?

 あー、風神雷神は僕の中でもすごいトップなんですよ。(葛飾)北斎の波もそうですけど。だからいつか描いたろうと思って、オネエちゃんので描いてたのもありますし。絵柄の中に結構、虎とかもいるので、まぁ全然描けるよって。

―では当たり前に好きというか、やはり日本画も自然と身近にあって。

 うんうん、大好き。ただそれもアメリカ行ってから、日本文化がなんか良く見えてくるんですよね。向こうで浮世絵展とかやってるの観て、すげーやって思って。

―逆に海外のほうがリスペクトされてたりしますよね。それこそ若冲がこんなブームになる前から向こうで所蔵されてたりとか。

 そうそう。っていうのがありーので、日本の浮世絵とか大好きになって。逆にそれは良かったと思ってますね。

ほんで僕、風神雷神とか描いてたら、なんやかんや知れ渡ってNHKからオファーきたんですね。現代の作家で5人選んで、番組出るみたいな。で、京都の国立博物館の風神雷神を観に行くんですよ。

普通はガラス越しじゃないですか、一般で観るのは。それがガラス開くんです。色、全然ちゃう!みたいな。ちょっとグリーンがかってるんですよ。もう、めっちゃキレイ! うっわー、こんなんなんや!みたいな。感動ですよ。

―そういう刺激で開眼されて、いつかまた描いたろとか? ちなみに、僕は龍虎だと芦雪が好きなんですが。

 龍はねぇ、やっぱり僕は北斎ですね。晩年の作品で富士山の上をピョッと登ってるのがあって、あの天に登る龍が北斎本人だって言われてるんですけど、一番好きだなぁ。

大阪の「劇団そとばこまち」って、生瀬勝久さんがいた劇団のセットの襖絵も僕、描いてるんです。なんか観に行った時、クソみたいな龍があって、あれあかんって、もう気になって芝居どころちゃうかった。俺が描くわって言うて。つい去年の話ですよ。

―そとばこまちは以前から関わられてますよね。

 そうそう、生瀬さんが座長になってからずっとやってるんですよ、もう30年くらいか。なので、ガーって描いて。

―そもそも舞台のポスターやるって決めて、最初の頃から仕事はあったんですか。

 えっとねぇ、ハタチくらいの頃に関西で劇場がいっぱいできるんですよ。その小劇場マップっていうのを作って、それが一番始めの芝居関係やった。ほんで、「第三エロチカ」の『コックサッカー・ブルース』かな…芝居のチラシを作って。そこくらいからですね。

で、「劇団そとばこまち」やり始めて「劇団☆新感線」やって、みたいな…。芝居観たことないのにポスター作って、イェーイってなってたから(笑)。初めて観に行ったのが新感線なんですよ。まだ劇団が小っちゃい頃で。なんやこれ、わけわからんわ~みたいな(笑)。

麿赤兒さんとも「東くん、飯行こか~」って

―その頃はまだ最初に入社された広告プロダクションに在籍されて?

東 そうそう、だからバイトでやってたんです。黙ってこっそり…。僕ね、ずっと舞踏は観てたんですよ、そのハタチの頃から。「維新派」っていう大阪のと、東京の「大駱駝艦」とか。結構、アングラ好きで。

―それはまた奇遇な…右近さんをお友達で紹介してもらった青山正隆さんも名古屋の出身なんですが、幼少時から家の近所の演劇小屋にきていた大駱駝艦が好きで。麿赤兒(まろ・あかじ)さんリスペクトの応援団だったと…。

 ふははは(笑)。僕も麿さん、大好き。一緒にご飯とか行くぐらいでしたね。

―きっと話が合うのでは。その青山さんが今では麿さんの息子さんで俳優の大森南朋(なお)さんとめっちゃ仲が良くて。一緒にアパレルのブランドを立ち上げるほどという。

東 僕もずっと観てて、大駱駝艦のチラシやりてえなぁとは思ってたんですけど、その頃もう30くらいかなぁ。維新派の仕事が舞い込んでくるんですよ。まぁそこに至るまで、いろんな劇団のをやって。

その当時、自分の作ったチラシのスクラップブックを持ち歩いてたんですけど、憂歌団の木村充揮(あつき)さんのアルバムやりたいってのもあって、ライブとかにそれを持って通うんです。

―いろいろ話が飛びますが(笑)、昔はそういう売り込み的なこともしてたんですね。

東 やってましたね。ほんで、そのライブに知り合いのコがおって、そのスクラップブックを見せたら、いきなり「維新派やる?」って言われて。そのコの会社が維新派にも後援ついてたんですよ。で、「やるやるやるやるー!」って。

―また巡り合わせというか、持ってるんですね…。

 そうそう。思えば、引き寄せの法則で叶うってことをそこらへんからわかりだしたというか。願えば、これできるんだって思って。

―それも全て自分の好きなものだったり、思い入れあることがベースにあって。

東 そうそうそう。で、維新派をやり始めたら、まぁ(主宰の)松本雄吉さんに気に入られて、一昨年に亡くなるまで、20何年やるんですけど。その間に1回だけ、大駱駝鑑をやったんですよ。その時、松本さんが「俺な、おまえを麿に紹介せえへんかってんや」とか言うて。「えっ、なんでですか?」言うたら、「イヤやってん」って(笑)。

―それは自分とこだけやらして奪われたくなかった? ジェラシーというか…。

 そうそう(笑)。なんやそれ~!みたいな。まぁ大駱駝艦もできたんでよかったですけど。もっとできとったかもと(笑)。まぁ、あそこもアラーキー(荒木経惟、写真家)さんと祖父江慎(デザイナー)さんのタッグが強いんで。なかなかそこに入るのは大変みたいなんもありましたけどね。

でも1回だけやらしてもらって、やったーって、超嬉しかった。麿さんとも仲良くなって、『毛皮のマリー』とかで大阪来た時、楽屋挨拶行ったら「東くん、飯行こか~」って。

だからもうね、やりたいやりたいって思ってたり言ってたりすると、だんだん近寄ってくるんですよ。學ちゃん、あんなこと言ってたな、ほな「紹介しよっか」みたいな。

次回ゲストは「LIVEでは魔女になる」…

―ガツガツ主張するわけではないけど、ちょいちょい言って、散らばして(笑)。ほんと仕事の繋がりも自由人的なスタンスというか。ちなみに今、所属されてるのもご自分の個人事務所ではないですが、頭に立つのがイヤとか?

 イヤっていうか、30歳くらいから7年間は自分の会社もやったんですよ、社長で。それがね、スタッフに持ち逃げされて(苦笑)。借金抱えて、畳んだんです。

で、俺は社長に向いてないと。経営とか金勘定が大の苦手でなんにもやってなかったんで持ち逃げされたんですけど(笑)。作り手として頑張りますって、マネージャーの旦那さんが今の社長で、デザイン部門を作ってもらって所属するようになって18年か…。

―好きなことを好きなように専念できてるのが今、楽しいしラクみたいな。

東 そうそう、それが一番。お金じゃなくて、環境に惹かれてみたいなことですね。

―その普段着というか、作務衣のスタイルも定着して楽な感じで(笑)。

 これね、僕が25の時に親父が死んだんですけど、その形見の作務衣を49日間着てやろうと思って、着続けたんですよ。そこから「むっちゃ楽やん、これ」みたいになって。もう、30年とかこれだけ。スーツとか他の着たらコスプレです(笑)。

―(笑)ほんとお似合いで。お話しする前は怖々でしたが、気楽でお茶目なキャラと自由なスタイルが伝わりました(笑)。居心地よく、長居してしまいましたが…そろそろ次のお友達を。事前に、中村中(あたる)さんを挙げていただいて。

 あーちゃんはめっちゃ仲良しですよ。僕、ずっと女やと思ってたんですよ。で、歌だけ聞いてyoutubeとか見てて「ええなあ」って。ほんなら、仲良しの女優の鈴木杏ちゃんと仲良しで。杏ちゃんが語学留学するっていうので、その送迎会が東京であって、その時に行ったら来はったんですよ。

―また持ってるというか(笑)、繋がりが繋がりを呼んで。

 そうそう。ほんで、いつか一緒に仕事しようって名刺渡したんです。ライブとかでこっち来たら絶対行くようにしてるんですけど、どんどん仲良くなって、アルバムのジャケットやるようになって。あーちゃんの絵を描いてて、それが野望やったんですけど。

―やっぱり、これも望めば叶うわけですね。

 そう。ほんまいいコですよ。で、カラス呼べるんですから。本当にアーアーアーって呼んだら、ぶわーって(笑)。僕は霊感とかゼロやし、怖いのあかんけど。

―以前のおふたりの対談では、中さんのことを「LIVEでは魔女になる」と評してましたよね(笑)。ではまたドキドキしつつオファーさせていただきます。

 最近あんまり会えてないんだけど、前はよく杏ちゃんと3人でごはん食べたりしましたね。よろしくいうてLINEしときますわ。

―ありがとうございます! 東さんの今後の創作活動も楽しみにさせていただきます。

(撮影/塔下智士)

●語っていいとも! 第58回ゲスト・中村中「歌を歌い出した時は、ひとりはイヤだなみたいな思いが強くて…」

ミナミ・千日前の路地裏にある事務所にて。柴犬のまめも

■東學(あずま・がく)1963年12月9日、京都生まれ。日本の舞台・演劇シーンで数多のポスターデザインを産みだす異端的アートディレクター。墨を糸のように操り、森羅万象における命の美を描く絵師としても活動。03年にN.Y.のレストランの装飾画として描いた遊女シリーズを皮切りに多くのファンが生まれ、07年には墨画集『天妖』を出版。14年、歌舞伎役者・片岡愛之助とコラボし墨絵のライブパフォーマンスを行なうなどジャンルを問わず様々な分野で活躍を続ける。