「中国の『意識の低い職場』って、日本の『働き方改革』の上をいっているのでは? そう思う瞬間がありました」と語る西谷格氏

最近の中国の話題といえば、まずはいかつい政治の話。それにIT先進国として著しい発展を遂げる同国を前に、「日本は遅れているぞ!」などと“識者”がハッパをかける意識高い系の話。でも、それって中国の本当の姿なの?

『ルポ中国「潜入バイト」日記』は、そんな日本の「中国ヤバイ論」に風穴をあける一冊だ。トホホで笑えるけれど、意外な人情味にあふれたトンデモバイトの世界から、中国人の今を映し出した。著者の西谷格(にしたに・ただす)氏に聞いた。

* * *

―上海のすし屋、山東省のパクリ遊園地、抗日ドラマの撮影所……と、本書での潜入先は多岐にわたります。日本人が飛び入りで働いて、怪しまれないものなんですか?

西谷 「とにかくやりたいんです!」と熱意を示したところ、雇用側から「ああ、物好きがいる」と勝手に納得され、なぜか雇ってもらえるんですよね。中国社会の末端の職場ばかりなので、ビザの問題についても雇用側の意識がユルくて。「パスポートを見せてもらったからいいか」みたいなノリでした。

潜入先ではむしろ、同僚たちにバレないかに気を使いました。本名で働いたので、検索すると身元が割れる。できるだけ、「西谷(シーグー)」と名字で呼んでもらい、下の名前を意識されないよう気をつけました。結果的に誰にもバレていないのですが、僕があまり取材オーラを出さず、ヒマでアホな日本人みたいなノリでいたことが成功の理由かもしれません。

―各職場での取材期間は?

西谷 けっこうバラバラです。というのも、本書の発端は『SAPIO』(小学館)編集部から「中国の食品問題を地元の飲食店で働いてルポして」と、当時上海で暮らしていた僕に電話が来たこと。

序盤の潜入先であるすし屋、抗日ドラマ撮影所、パクリ遊園地の3ヵ所は、同誌の締め切りに追われつつ行なったので、取材期間は数日程度。逆に上海のホストクラブ、爆買いツアーガイド、留学生寮管理人は数ヵ月をかけましたね。もはや、記者の仕事とどちらが本業かわからなくなっていました(笑)。

―一番居心地がよかった職場と、キツかった職場は?

西谷 給料は激安でしたが、「あーいいわよ」とふたつ返事で雇ってもらえたパクリ遊園地がすてきでした。同僚たちも、深いことを考えず天真爛漫(らんまん)に日々を生きている感じ。僕の好きなタイプのユルい中国人がそろっていて、全体的にまったりした優しい世界だったんです。

キツかったのはホスト。突然1万円くらいのチップをもらえることもある一方で、お客を取るのが本当に大変で、待機所のすさんだ雰囲気がイヤでした。

セクハラもあった。中国のホストクラブは個室なのですが、ふたりきりになって「可以嗎(いいだろ?)」と迫られ、腰に回された手がパンツの中へ。数分くらいまさぐられました。相手はゲイの方でしたが、男女を問わず好きじゃない相手からそういうことをされると精神的にヘコみますよ。

―それ以外で、潜入バイト先での衝撃体験は?

西谷 最初に行ったすし屋で、料理人が床にまな板を置いて、でかい魚をさばき始めたときですね。すし屋の店内は意外とキレイで、一見すると日本っぽい近代的なキッチン。なのに、まさかの床上調理(笑)。あの光景を「おおっ、きたー!」と思って撮影した瞬間から、この本のネタ集めが始まったともいえるんです。

ヘビ料理店では1日にクビに

―没ネタも多いと聞きます。どんなのがあったんですか?

西谷 とある中国雑技団で皿回しをやりたいと思い、団長に会う段階までは進んだのですが「こういうのは小学生ぐらいから始めないとダメだ」「すでに体が硬い」と断られました。そもそも、彼らは河南省かどこかの村人だけでやっているらしく、外部の者は入れてはならない決まりもあるそうで。

ほか、中国共産党中央機関紙『人民日報』の発行元に潜入したいと思い、同紙の日本語翻訳者の面接を突破したんですが、おカタい機関だけにビザの切り替えを求められまして。これで1週間で辞めてしまうのは悪いなあと思い、自ら辞退しました。

―逆に、クビになった例は?

西谷 ヘビ料理店です。食用のヘビの頭を手早くちょん切って、腹を切り開いて素手で内臓をより分ける。ヌルヌルしていますし、首を切る前はクネクネ動くので、すごく難しい。

ここではいったん採用してもらえたんですが、ヘビのさばき方が遅い、扱いに慣れていないとかで1日でクビに。慣れてるわけないですよ(苦笑)。

―本書に登場するのは、政治とも大企業の経済とも関係がなさそうな、泥くさい中国の庶民層の世界です。彼らの特徴は?

西谷 気前が良くて、細かいことにこだわらない。時間にきっちりしていると「ちっさいヤツ」と見られそうな雰囲気すらある。あと、彼らは基本的に気まぐれですが、たまに異常なほどの世話好きスイッチが入ります。

日本人の僕に対して、自分が中国人を代表するような態度で「どうだい? 中国人は優しいだろ?」とドヤ顔をしたがる人が多い(笑)。中国人のこういう部分は、けっこう好きですね。

あと、生きるためには法律は関係ない、ルールは破るためにある、と思っているフシがあります。法的にダメなことでも「実際やったらできるんだからいいじゃん」みたいな。適当なノリなんですよね。

―そんな適当な中国人たちの仕事で支えられている中国のGDPは、今や日本の約3倍です。なぜなんでしょう?

西谷 まあ、中国の人口は日本の約10倍いるのに経済力は3倍しかない、ともいえますが。ただ、ある意味で中国のほうが職場のムダは少ないのは事実です。

例えばすし屋なら、開店前のミーティングなどは一切なく業務がいきなり始まり、終業時間になれば各人バラバラに挨拶もなく帰っていく。同じ生産性なら、働く側としてはユルい中国的職場のほうがずっとラクですよ。勤務後の飲み会や、休日のスポーツ大会なんかの拘束もないですし。

僕が潜入した中国のバイト先は給料こそ安いけれど、勤務中に堂々とサボれて、いつでも辞められて、業務以外で時間を縛られることもなかった。

もしかすると中国の「意識の低い職場」って、日本の働き方改革の上をいっているのでは――? ニセすし職人になったりパクリ遊園地でピエロになったりしながら、ふとそう思う一瞬はありました(笑)。

(取材・文/安田峰俊 撮影/五十嵐和博)

●西谷格(にしたに・ただす)1981年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学社会科学部卒。地方新聞の記者を経てフリーライターとして活動。2009年に中国・上海に移住し、15年まで現地から中国の現状をレポート。現地日本人向けのフリーペーパーの編集も務めた。主な著書に『上海 裏の歩き方』(彩図社)、『中国人は雑巾と布巾の区別ができない』(宝島社新書)、『この手紙、とどけ!106歳の日本人教師が88歳の台湾人生徒と再会するまで』(小学館)などがある

■『ルポ中国「潜入バイト」日記』(小学館新書 800円+税)上海のすし屋の店員、抗日ドラマの日本兵役、富裕層向けホスト、パクリキャラだらけの遊園地の踊り子、日本ツアーのガイドなど、中国のありふれた(?)労働現場に、ジャーナリストである著者が“物好きな日本人”を装って潜入! 長期にわたる取材の成果である本作は、市井の中国人たちとの交流や地べたをはった数々の職業体験によって、日本のメディアからでは知ることができない中国人の“雑だけど、人間らしい”働き方を描き出した一冊だ