ボストン・マラソンでは厳しい冷え込みと大雨、強風という最悪のコンディションをものともせず、世界を驚かせた川内優輝

4月16日、世界6大マラソンのひとつで「ワールド・マラソン・メジャーズ」のボストン・マラソンを川内優輝(31歳)が制した。日本勢としては1987年大会の瀬古利彦以来、実に31年ぶりの快挙だ。

そして、公務員としてフルタイムで働きながら多くのレースに参加する異色のスタイルで注目を集めてきた彼は、ボストンの優勝賞金15万ドル(約1600万円)を手にした勢いそのまま、来春に埼玉県庁を退職してプロに転向する意向を表明した。

今年のボストン・マラソンは強い雨風に加えて、スタート時の気温が3.3℃という季節外れの寒波に襲われ、最悪のコンディションのもと行なわれた。

そんななか川内はタイムこそ2時間15分58秒と平凡だったが、昨年の世界選手権王者ジェフリー・キルイ(ケニア)、同銀メダルのタミラト・トラ(エチオピア)、リオ五輪銅メダルのゲーレン・ラップ(アメリカ)ら例年以上に集まった世界の強豪を差し置いて、誰も予想していなかった優勝を遂げたのだ。

奇跡はなぜ起きたのか? また、“市民ランナーの星”はなぜ突然のプロ転向宣言をしたのか? 本人を直撃した。

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―正直に言えば、レース前に川内選手の優勝は想像できませんでした。ご自身ではどれくらいチャンスがあると思っていたのですか?

「ボストンに行く前は、私も優勝の可能性は0%だと思っていました(笑)。ただ、ボストンに入ってから日に日に気温が下がっていくなか、前日には1%くらい可能性があるんじゃないかと思えるようになったんです。私は暑いのは苦手ですが、雨のレースは得意。

2010年の東京マラソンで当時の自己ベストを約5分更新し、13年の長野マラソンでは日本人初優勝、さらに16年チューリヒ・マラソンでは海外マラソン初優勝と、いずれも雨や雪だったレースで結果を出してきましたから。今年1月にもマイナス17℃という極寒のマーシュフィールド・ニューイヤーズデイ・マラソンを走っています。ほかの選手はそんなレースを経験していないでしょうし、その差が出たのかなと思います」

簡単にレースをふり返る。スタート直後から川内は、現地中継の実況アナウンサーが「ペースが速すぎる。必ず失速する」と思わず嘲笑してしまうほど思い切り飛び出した。5km過ぎで先頭集団に吸収されるも、その後は25km付近でスパートしたキルイを追った。

35km地点でキルイとの差は1分31秒まで開いたが、そこからがまさに“川内劇場”。驚異の粘りを見せ、40km過ぎで足が止まったキルイをとらえると、大歓声のなかトップでテープを切った。

人が考えていないことをやると、みんな混乱するもの

―いつにない積極的な仕掛けでした。

「最初に飛び出したときは、現地の実況の人もただの目立ちたがり屋だと思ったんでしょうね。だって、フルマラソンの入りの1kmを2分41秒で入る選手なんていませんから(笑)。でも、人が考えていないことをやると、みんな混乱するものです。

レベルは違いますが、気温1℃で雪が降っていた13年の長野マラソンもそう。ある実業団選手がレース前に『今日は寒くて“牽制レース”になるだろうから、30kmくらいまではウオーミングアップのつもりでいってラストで勝負』と話をしていたので、思い切って最初から飛び出してみたら勝てたんです。

今回も、周囲の裏をかいて私が最初からぶっ飛ばしたことで、みんなワケがわからなくって体が固くなったのでは。最初の揺さぶりでマークしていたラップ選手を落とし、さらにキルイ選手のスパートを早めることができてスタミナ切れを誘発できた。できすぎた部分はありますが、作戦勝ちです」

★後編⇒“最強の市民ランナー”川内優輝が明かした、プロ転向後…「2時間5分台も狙えるはず。勝負はこれからです」

(取材・文・撮影/栗原正夫)

●川内優輝(かわうち・ゆうき)1987年生まれ、東京都出身。学習院大学を卒業後、埼玉県庁へ。市民ランナーとして力を伸ばし、2011年、13年、17年の世界選手権に出場。自己ベストは2時間8分14秒