この夏場所、西前頭二枚目に躍進した阿炎政虎。

今年の初場所から幕内で2場所続けて10勝を挙げた、期待のホープ。

テレビインタビューでは天真爛漫な笑顔を見せ、時にはカメラに向かってピースサイン。

そして、夏場所6日目の18日には横綱・白鵬から金星奪取!!

“相撲界のニュータイプ”阿炎政虎(あび・まさとら)を直撃した!

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スラリとした体形に長い手足。高々と足が上がる美しい四股に、「ビッグマウス」ともいわれるコメント。

これまでの「お相撲さん像」を覆しているのが、この夏場所、前頭二枚目に躍進した阿炎である。

夏場所直前、東京・清澄(きよすみ)の錣山(しころやま)部屋では、早朝から稽古が繰り広げられていた。錣山部屋の師匠は、突っ張り相撲ひと筋で39歳まで現役を務めた、元関脇の寺尾。

「もっと突っ張っていけ! 当たりが弱いぞ!」

厳しい指導で知られる錣山親方は、部屋頭の阿炎にも容赦ない。

「いやぁ、キツイっすね。今日はこれからゆっくり昼寝をします。自分、寝るのが趣味なんで(笑)」

とマイペースを貫く阿炎。こんなところも、相撲界の現代っ子らしい。

阿炎政虎、24歳。埼玉県で過ごした小学生のときから相撲を始め、わんぱく相撲全国大会に出場。中学でも全国大会の個人戦で3位の実績を持つ。流山南高校相撲部で活躍したものの、当初は大相撲の世界に進む意思はなかった。

「子供の頃から相撲を続けていたんですが、相撲自体が好きってわけじゃなかったんです。稽古がキツくて、何度もやめようと思っていたくらい(笑)。高校を卒業したら、親父の仕事(建築業)を手伝うつもりだったんですが、ずっとかわいがっていただいていた錣山親方から『ウチの部屋に来ないか?』と誘ってもらって、やってみる気になったんです」

錣山親方は中学時代から試合に臨む阿炎に対して、親身になってアドバイスを授けていた。「この親方の下なら」と、阿炎はプロの力士になる決意をする。

十両力士だった阿炎は2年近く幕下に…

錣山部屋の師匠、元関脇の寺尾。

こうして、13年夏場所で初土俵を踏んだ阿炎は、序二段、三段目で全勝優勝をするなど、トントン拍子に番付を上げ、入門から2年、20歳で新十両昇進を決める。錣山部屋にとって、豊真将(ほうましょう、現・立田川親方)、青狼(せいろう、現・十両)に続く関取の誕生となった。

十両昇進と同時に四股名を本名の堀切から阿炎へと改めた。実は「アビ」とは、錣山親方の子供の頃からのニックネームで(幼少期に外国人から「a baby」と呼ばれたことが由来)また、「阿修羅のように燃えて戦え」という意味を持つ。師匠の阿炎への期待の大きさを物語るに十分な四股名である。

阿炎の相撲は、現役時代の寺尾と同じ突っ張り相撲。突っ張りから、天性の勝負勘で土俵をヒラリヒラリと飛び回り相手力士を翻弄(ほんろう)。動きの速さを武器に、十両を4場所務めたが、次第にその戦術は研究され、15年九州場所で幕下に陥落してしまう。

十両以上のいわゆる「関取」と幕下以下の力士の決定的な違いは、給料である。月給約100万円がもらえる十両力士に対して、幕下力士は基本無給で、2ヵ月に一度15万円程度の手当のみ。さらに、待遇面でも雲泥の差がある。だからこそ力士は関取を目指すのだが、華やかな十両力士だった阿炎は2年近く幕下に低迷してしまう。

◆後編⇒ファンサービスしない力士はプロじゃない! 角界期待のホープ・阿炎政虎は現代っ子でビッグマウス!?

(取材・文/武田葉月 撮影/ヤナガワゴーッ!)

●錣山親方(しころやま・おやかた)1963年生まれ、55歳。現役時代は元祖イケメン力士として人気を博し、最高位は東関脇。引退後、04年に錣山部屋を創設した。

●阿炎政虎(あび・まさとら)1994年5月4日生まれ、24歳。埼玉県越谷市出身。本名、堀切洸助。身長187cm、体重140kg。得意技は突き、押し。初土俵は2013年5月。最高位は西前頭二枚目(2018年五月場所)。好物はシーフード味のカップ麺。