試写会イベント時の様子。(左から)司会のDJケチャップさん、高森勇旗さん、佐野慈紀さん、江口カン監督、主演の安部賢一さん、妻役の林田麻里さん。

「上映直後は佐野さんも相当落ち込んでましたね。『あんなもの観た後に、人前でピッカリ投法なんてできへんよ…』って真顔で言ってましたから」

そう証言するのはある映画関係者。5月15日、東京・汐留で行なわれた映画『ガチ星』の試写会イベントに参加した野球解説者の佐野慈紀(しげき)氏が、試写後に控室で思わずそう漏らしたという。

『ガチ星』は戦力外通告を受けた39歳の元プロ野球選手が人生の再起をかけて競輪選手の道を志すという物語。30代前半で戦力外通告を受けた男が妻子に捨てられ、8年間にわたり、酒やパチンコに溺れ、自堕落な生活が日常となった末にようやく重い腰を上げ競輪を目指すという物語話だ。

しかし、ありがちな美しいストーリーとはいかず、その過程にあるキツさや辛さ、そして触れないでほしい現実逃避やカッコ悪い姿までもが徹底的にリアルに描かれる。

「あまりに映画がリアルだったので、佐野さんも自身の戦力外通告の時の記憶をありありと思い出してしまったようです」(前出・映画関係者)

近鉄バファローズ(当時)在籍時は主に中継ぎ投手として活躍した佐野氏。99年オフに交換トレードで中日に移籍するも思うような活躍ができず、人生初の戦力外通告を受けた。その後、米独立リーグなどを経て、2003年にオリックスにテスト入団を果たすも、1軍登板わずか2試合で現役を引退…そうした晩年の苦しかった自身の姿を、映画を観たことで思い出してしまったらしい。

佐野氏自身は、今回のイベントでこんなエピソードを披露している。

「実は今日の試写会に妻も連れてこようと思ってたんですよ。急用で来られなかったんだけど、観なくてよかったですね。この映画を観ちゃったら、当時の僕と重ね合わせて、ね…」

試写会イベントで佐野氏とともに登壇した元横浜ベイスターズの高森勇旗氏も、映画のリアルぶりについてこう語る。

「男って、好きな人の前や家族の前でカッコつけたいじゃないですか。落ちぶれていく紆余曲折なんてなるべく見せたくない。でも、この映画ではそれをまざまざと見せつけられた。嫁さんや子どもがこれ観たら、なんて言われるんだろうかと、怖くて震えるほどです(苦笑)」

当事者たちをそこまで震撼させるほどのリアルさとは…? 佐野氏は主人公のある自堕落な行動を指摘する。

「う~ん、『ガチ星』の主人公は何度も酒やパチンコに逃げてるでしょ。あれ、すっごいわかるんです。自分でもやめればいいってわかってるんだけど、やめられない。僕はそれでも新たなステージに進めたけど、周りには行けなかった人もたくさん見てきた。(自分のことだけでなく)彼らを思うと余計にキツいよね…」

ちなみに「ピッカリ投法なんてできない」と言った佐野氏であったが、その後のトークショーでは、しっかり披露。壇上にて無数のフラッシュに照らされる姿は、心なしかいつも以上に輝いて見えたが…。

「ピッカリ投法」を披露する佐野氏

監督自身もかつて“戦力外通告”を…

■監督自身もかつて“戦力外通告”を受けていた…

現実に戦力外通告を受けた経験のある元プロ野球選手に本気でショックを与える映画『ガチ星』。これほどまでに挫折した者のリアルな気持ちを描写することができたのはなぜか――。

本作の監督は、これが長編デビュー作となる江口カン氏。CMクリエイターとして活動し、カンヌ国際広告祭では3年連続受賞。2013年には東京五輪招致PR映像を担当する他、ドラマ『めんたいぴりり』を監督するなど、経歴を見る限りは充分すぎるほどの成功者である。だが、本人を直撃すると、どうもそうではなかったようだ。

「僕は福岡在住なんですけど、映像は東京じゃなきゃダメだと思って進出を目論んだことがあるんですね。それで20代の終わり頃、東京の関係者に営業をしたんですが、『その年齢で今さら出てきても遅いよ』と結構きつく言われまして。僕、もうダメなのかなと思って、福岡に戻ってしまったんです」

監督自身、その思いが“戦力外通告”を受けたに等しい挫折経験だったらしい。だが、同時に「福岡から一体どんなミサイルを撃てば届くのか、作戦を練ることにした」とのこと。挫折からの再チャレンジ――『ガチ星』にはこの時期の心境が投影されていたのである。それがやがて実を結び、その後の華やかな経歴へと繋がっていくこととなるわけだが、監督はそれでも満足できなかったという。

「CMクリエイターとして活動を続けてきましたが、自分の作品と呼べるようなものは作っていない。40代の半ばに差しかかる頃、そうした焦りが生じてきたんです」

自分はこのまま依頼されたCMを作り続けるだけで終わるのか、それとも…。「江口カンの作品」といえる映画を作る、そう決意し、題材を探し始めた。その頃に偶然、TVで観たのが、競輪学校のドキュメンタリーだった。

「生徒のほとんどは10代の夢しか見ていないようなコたちなんですが、その中に20代後半で野球をクビになった選手がいて、非常に辛そうだったんですね。その姿が自分の年齢やこれまでと重なってきまして…」

身近な人たちの状況もヒントになった。

「ちょうど同じ頃、僕の周囲にもこれまでと全く違うことを始めようとしている、僕よりも年上の人たちがたまたま何人かいたんです。彼らがもがいている姿がなんとも美しく見えたんです」

こうして「いい歳して、もがく」というコンセプトが決まり、『ガチ星』の企画がスタートした。だが、当初は映画として構想されたものの、実現はなかなか難しく、幾度も頓挫しかけることがあったという。そこへ入ってきたのが、TVドラマ化の話。同企画は2016年にドラマとして完成、テレビ西日本で放映され、(地方局のローカル作品ではあったが)映画関係者を含めた多方面からの反響を呼ぶこととなる。

そして2年後となる今年、ついに劇場用映画となった。20代で東京の映像業界から“戦力外通告”を受けた江口カン監督がもがいてもがいて、ついに最初の代表作を生み出したのである。

映画の主人公もまた、もがき続ける。その結果がどうなるかは作品をご覧いただきたいが、彼ら同様、いい歳をして先の見えない状況にある多くの読者へ向けてのエールを監督からいただいた。

「カッコつけてさらっとやっていくのは簡単だと思うけど、いい歳したら、もはやカッコいいも悪いもなくなりますからね。カッコ悪くても何かしら執着してやってみることが大事なんじゃないでしょうか」

もちろん、執着しようとしてもそれを続けるのだってしんどい。そのしんどさゆえの逃避も飲み込んだ上で、なおも我々を応援してくれる映画、それが『ガチ星』なのだ。5月26日より新宿K’s CINEMAを皮切りに、順次全国公開予定。観て、もがけ!

(取材・文・写真/田中 元)

『ガチ星』の監督・江口カン氏。