江夏豊氏が“盟友”衣笠祥雄氏と共に過ごした広島での3年間をふり返る――

先月、2215試合連続出場記録を持つ、“鉄人”衣笠祥雄氏がこの世を去った。

広島カープ時代のチームメイトであり、お互いを「サチ」「ユタカ」と呼び合う間柄の江夏豊氏が“盟友”との思い出をふり返る。

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それを聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。

4月24日、解説の仕事で愛媛・松山に行く予定があり、朝、自宅でシャワーを浴びて出てみると、携帯電話に「衣笠祥雄」からの着信があった。折り返してみたら、出たのは夫人。前日の夕方にサチが亡くなったと知らされた。

状態がよくないことは知っていた。結果的に彼の最後の解説仕事となった4月19日のDeNA対巨人戦のテレビ中継を見て、あまりにも声がおかしかったから、翌日には「無理するなよ。見ていた人はみんな、普通の状態じゃないとわかってるぞ」と電話で話した。その10日ほど前には、やはり電話で「腹水がたまって苦しい」という話を聞いてもいた。

それでも、サチは5月初旬に予定されていた次の解説日に向けて体調を整えると言っていた。それが、こんなに早くとは……。聞けば、亡くなった23日も家族と一緒に朝食を食べたが、昼頃から容体が急変したのだという。

彼との思い出は尽きないが、本当にうれしかったのは2015年2月、自分が臨時コーチとして招かれた阪神タイガースの春季キャンプ。その前年、がんが発覚して長期入院していたサチは、「おまえが久々にグラウンドに立つ姿をこの目で見ておきたいから」と、無理を押してわざわざ沖縄まで来てくれたのだ。案の定、帰京後は体調を崩してしまったらしい。

この臨時コーチの話を阪神球団から打診された時点で、サチにはすぐに連絡していた。「こんな話が来た」「それはやるべきや」「わかった、じゃあそうするよ」。そんなやりとりがあった。決してしょっちゅう会っていたわけではないが、何かあれば必ず連絡してくるし、何かあればこちらも必ず連絡する。そんな友だった。

これは後になって知ったことだが、がんが発覚した時点で医師からは余命1ヵ月を宣告されていたという。そこから3年半、4年近くも頑張ったんだから、まさに鉄人。本当によく頑張ったと思う。

いくら苦しんでも野球から逃げなかった

■共に過ごした広島での3年間

サチのいる広島カープに自分が移籍したのは1978年。宮崎・日南でキャンプに入ると、食事の席でトレーナーの福永富雄さん、髙橋慶彦、そしてサチと同じテーブルを囲むようになり、だんだん行動を共にするようになっていった。いつの間にかチームでも「江夏と衣笠は合う」という雰囲気になり、翌79年のキャンプではサチと同室をあてがわれるようになった。

そして、本当の意味で“裸の付き合い”になったきっかけは79年5月。岡山での試合で、彼が不振でスタメンを外され、連続フルイニング出場が途切れた日の夜のことだ。

その夜、サチはものの見事に荒れた。最初は福永さんも一緒にいたのだが、門限の時間がきたので先に帰り、自分だけがずっと付き合っていた。すると、サチはぽろりと涙をこぼし、「つらい」と言った。単に打てないからというんじゃなく、自分の思いどおりの野球ができないという歯がゆさ。それを自分に漏らしたのだ。

もうお互いに30を過ぎた男が、そこまで自らの弱いところを見せるというのは、いくら酒の力を借りてもなかなかできることじゃない。それほど付き合いも長くない自分に、裸の衣笠祥雄をさらけ出した――その気持ちがうれしかった。

それからはもう、ふたりとも野球の虜(とりこ)。練習とゲームが終われば、その晩はまた野球談議。日々、その繰り返しだ。サチの言葉からは「ああ、打者はこんなこと考えているのか」と新しい発見が山ほどあり、いくら話しても飽きることはなかった。

彼のすごいところは、いくら苦しんでも野球から逃げなかったこと。オールスターに何度も出ている、タイトルも獲っている、そんな選手が、打てなかったら次の日は一生懸命バットを振るし、打球を捕れなかったら次の日は必死でボールに向かっていく。決して器用な選手ではなかったが、2215試合連続出場という記録は、ユニフォームを着てグラウンドに出れば野球に100%打ち込む情熱の賜物(たまもの)だった。

★後編⇒江夏豊が明かした“裸”の衣笠祥雄「サチとの出会いは大きな救いになった」

(写真/五十嵐和博)

●衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)1947年生まれ、京都府出身。1965年に広島カープに入団。以後、23年間にわたり日本プロ野球界の第一線で活躍を続け、2215試合連続出場など、数々の輝かしい足跡を残す。1987年、国民栄誉賞受賞

●江夏豊(えなつ・ゆたか)1948年生まれ、兵庫県出身。阪神、南海、広島、日本ハム、西武で活躍し、年間401奪三振、オールスター9連続奪三振などのプロ野球記録を持つ、伝説の名投手。通算成績は206勝158敗193セーブ。『週刊プレイボーイ』本誌で「江夏 豊のアウトロー野球論」を連載中