千房の中井社長。社訓は『出逢いは己の羅針盤。小さな心のふれあいに己を賭けよ。そこから己の路が照らされる』

ニッポンには人を大切にする“ホワイト企業”がまだまだ残っている…。連載『こんな会社で働きたい!』第24回は、大阪市に本社を置くお好み焼きチェーンの千房ホールディングス株式会社(以下、千房)だ。

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大阪にはお好み焼き屋が約6千店舗あるが、このうち全国的に展開している企業は数社に過ぎない。それくらいにお好み焼きの経営は難しい。

そのひとつ「千房」は大阪府で22店舗、全国では66店舗を展開し、お好み焼きといえば千房と言われるほど大阪での知名度は高い。そして、ここ10年で千房の名を新たに知らしめているのは、刑務所などからの出所者の採用に熱心であることだ。

「人間には無限の可能性があります。失敗したとしても立ち直れる、私はそのお手伝いをしたいんです」

千房を創業した中井政嗣(まさつぐ)社長の声は力強い。

中井社長に言わせると「創業直後から社員の中に出所者や元非行少年はいた」。ただ、初めから出所者雇用のための条件を提示したわけではない。当初は「学歴・経験一切不問」「履歴書不要」で応募者全員を即採用していた(『学歴・経験一切不問』は今も変わらない)。

千房は1973年12月に1号店(本店)を出店して以来、幾度も求人をするが、必要なのは「意欲」であり、入社後に会社が社員の過去を掘り下げて尋ねることもない。中井社長には、中卒の自分でも社長になれたその経験から「人間は誰でも無限の可能性をもっている」との信念があるからだ。

社員の中に出所者や元非行少年がいたのを知ったのは偶然だった。1976年春、中井社長は社員寮にふらりと立ち寄った。ある社員の部屋でフォトアルバムを見せてもらうと、そこには鉢巻(はちまき)をして、太い棒を持ってオートバイにまたがった非行少年が写っている。

「これ、誰?」「あ、私です」「暴走族やってたんか? 人間、変われるんやなぁ」

こんな社員が何人かいた。だが、出所者でも元非行少年でも実力があれば幹部社員に登用する。重視するのは過去ではなく、その人の今だ。中井社長は商売繁盛の秘訣(ひけつ)をこう言い切っている。

「飲食業は、味やメニューや立地は成功の半分の要素に過ぎません。大切なのは人間力、いかにお客様と接する社員が魅力的であるかです」

創業から4年後、千房は2号店を出すことになる。これを機に、それまで本店の店長を兼務していた中井社長は現場を退いた。すると本店の売り上げは激減。中井社長がいない店から客が離れたためだ。

店では客の多くが「マスターはどこ?」と尋ねてきたという。

「私のお客様だから、私がいなくなったら来なくなったんです。確かに、味や立地は商売の基本ではありますが、それだけでは売上増には繋がりません。味は真似できるし、立地だって似たようなところはいくらでもある。でも、働く人間は真似できない。商売に肝心なのは『人に人が集まる』ことです。

あの時、私が店に戻れば売り上げは復活したけど、それではウチはいつまでたっても企業になれないと思いました。ここでやるべきは、私が店を流行らせてきたノウハウを店長に提供することでした」

社長が決断、「受刑者を助ける!」

以来、常に店長に「自分のウリは何?」「お客様は何に魅力を感じる?」「どんな店にしたい?」と問い続けた。千房の店舗経営にマニュアルはない。「店長なりの店舗経営」に任せるのが基本なのだ。

そうして3ヵ月経つと店の雰囲気は明るくなり、新店長に客も付くようになって、本店はV字回復を果たした。「私はこれで千房のチェーン展開ができるなと思いました」。

以後、中井社長のポリシーはそれぞれの店長から部下に引き継がれ、今の全国展開に至る。

ところが創業から40年以上も経つと、会社は店舗数、従業員数とも飛躍的に伸びたが、中井社長は自身の会社に「活気がない」と感じるようになっていた。

「確かにひとつひとつの店は頑張っています。社員の多くが会社の暖簾(のれん)に安定を求めてマンネリ化しているように思えたんです」

創業前後、20代だった中井社長は金策に走り回り、社内で無理だと言われた立地にも敢えて店を出したこともあった。心臓病の女のコを救うために店内に絵馬を置いて募金してもらい、それがマスコミで取り上げられ話題にもなった。

少人数でも社員一丸で汗を流し、確固たる信念を持ち、将来のビジョンに向かって一直線に走り抜けていた日々の活気――それが感じられなくなっていたというのだ。

だが、09年に転機が訪れる。当時、法務省経由で山口県にある刑務所『美祢(みね)社会復帰促進センター』から「受刑者の就労支援をやってもらえないですか」との打診を受けた。出所者や非行少年を受け入れてきた会社の実績が買われたのだ。

やってみたい」――創業当時のあの活気を取り戻せる契機になるのではないのか、との思いもあった。

とはいえ、受刑者の置かれている現状に詳しいわけではないので、中井社長はまず大阪府内の10社ほどに声をかけ、美祢社会復帰促進センターへの視察を実施。そこでセンター長から話を聞くと、以下のことがわかった。

受刑者ひとりに1年間で約300万円の経費(税金)がかかること。また、出所後5年以内に約半数が再犯で再び収監される。そこには出所者の7割が職に就くことができないため、微罪を犯して3食と寝床のある刑務所暮らしに戻ろうとする背景があり、それゆえ犯罪組織に身を寄せる人が少なくない現実もあった。

こうした受刑者の現実を伝えた上で、センター長は中井社長に「是非協力をしていただきたい」と要請した。

「私はこれを聞いて、やらねばと思いました。職場の提供は再犯防止に有効。千房にはその実績があります」

役員会で紛糾、「すべての責任は私が取る!」

ところが、すぐに役員会議に諮(はか)ると予想通り賛否両論の議論となった。

「ウチはサービス業。人気商売です。そんなん採用したら、お客様が怖がって来てくれません。会社が潰れます」との反対意見。一方で「いや、『千房はいいことしてんねんな』と応援してくれるお客様もいるはずです」との賛成意見。

それまでも出所者や元非行少年が働いていた実績はあるが、だからといって「人間は立ち直れる」との社長の認識が社内で共有されていたわけではない。「たまたま同僚にそういう過去があっただけ」と認識しているに過ぎない社員もいて、会社として出所者採用することに社内の意見はまとまらなかった。

いろいろな意見が出た後、中井社長が口を開く。

「これは企業にとって得か損かではなく、善か悪かで考えたらどうや? 言うまでもなく善やろ。だったら、やろう。ここにいる幹部のキミたちはどうやってここまでになれたと思う? どんなに能力があったからて、誰かの引き立てがなければ人は輝かへん。

経営も教育もマラソンではなく駅伝や。自分がしてもらったことを次にバトンタッチしてあげたいと思わないか? 過去は変えられなくても、未来と自分は変えられる」

そして、こう締めた――「すべての責任は私が取る!

中井社長はこの時のことをこう振り返っている。

「確かに受刑者は罪を犯したが、面接をすると決まって家庭崩壊の話が出てくる。それがグレる理由にはならないかもしれないけど、私は、彼ら彼女らも社会の被害者であるように思うんです。罪を償い、社会に役立つ人間になってもらいたい。私は雇用という形でその機会をあげたかった」

こう話しながら、目の前の紙にある言葉――「経世済民」を書いた。

「これは、『経済』の元の言葉で『世を經め(おさめ)、民を濟う(すくう)』という意味で、お金儲(もう)けとは書いてありません。振り返れば、千房の歴史はまさにこの『経世済民』です。だったら、やるしかないとあの時、決断しましたね」

その出所者採用にあたり、千房が決めた原則がある。それは、出所者が働いていることをオープンにするということだった。

そこには、関西では名が知られている千房による出所者の就労支援が世間に知られれば注目度が高まり、出所者への偏見を緩和することができるという考えがあった。

「私は、出所者雇用は当たり前のことなんだとの認識を社会に広めたいんです」

元詐欺師の女性を不採用にしたワケ

すべてオープンにする――この言葉通り、まず中井社長はつきあいのあったTV局関係者に「こういう取り組みをやるけど取材しませんか?」と声をかけると、興味を持ったその局が番組作りに賛同し、入社を希望する受刑者と千房との面接からカメラを入れた。面接場所は刑務所内だ。

当初、千房の求人に応じたのは13人。いきなり大人数は採用できないので、そのうち4人の受刑者と面接をすることになる。面接にかけた時間はひとり1時間半。どういう子ども時代を過ごしてきたのか、どういう家庭環境だったのか、なぜ犯罪を犯したのか、何を望んでいるのか…その話に中井社長は泣いたという。

「4人が4人とも家庭崩壊の中で生きてきたんです。私は彼らの罪を100%咎(とが)めることはできなかった

そして、4人のうちふたりの男性受刑者に即、内定を出す。ちなみに、面接で不採用になったふたりはどちらも女性だった。その理由について中井社長は「いやぁ、いい人すぎたんです」と明かす。

「詐欺で収監されていました。つまり、男には魅力的に見えるんです。そんな人が入社したら、ウチの男性社員が落ち着かなくなるので(笑)。でも、不採用を告げた時、私は彼女らに言ったんです。仮出所したら、いつでも訪ねてきてくださいと」

すると、ひとりは会社を訪ね、もうひとりは手紙をくれて、同じことを中井社長に伝えてきた。

「採用されたふたりが羨ましいです。出所者として働いていることをオープンにしてもらって。私たちは未だに履歴を偽っているんです。過去を伏せています。いつもオドオドしています。千房では皆が出所者を受け入れている。羨ましいです」ーー。

中井社長は採用者の出所に合わせ、自身が身元引受人となり、衣服や社員寮(ふたり用の2DKのマンション)も用意した。この取り組みはTVが密着取材したが、いざ放映となると怖くなったという。

「大風呂敷は広げましたが、役員が言ったように本当にお客様が来なくなったらどうしようと不安になりました。でも逆にこれで会社が潰れるようなら、日本という国だってもうお終いだとも開き直りました」

だが採用したふたりは一所懸命に働いた。3年も経つと、そのうちひとりは店のNo.2である主任にまでなっていた。雇ってよかった…中井社長は安堵したという。

だが、そのひとりに裏切られる時がくる。

★この記事の続き、後編は6月17日に配信予定。

(取材・文/樫田秀樹)