トヨタ・セラ、最大のツボはガバッと上方に開くドアトヨタ・セラ、最大のツボはガバッと上方に開くドア

新連載【迷車のツボ】第3回 トヨタ・セラ

世界で初めてのガソリン自動車が生まれてすでに140年以上。その長い自動車史のなかには、ほんの一瞬だけ現れては、瞬く間に消えていった悲運のクルマも多い。

自動車ジャーナリスト・佐野弘宗(さの・ひろむね)氏の新連載「迷車のツボ」では、そんな一部のモノ好き(?)だけが知る、愛すべき"珍車・迷車"たちをご紹介したい。

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■あえてガルウイングドアで登場した理由

というわけで、今回取り上げるのは1990年3月に発売されたトヨタ・セラだ。このクルマ最大のツボといえば、一目瞭然、ガバッと上方に開くドアである。

1987年の東京モーターショーに出展された「トヨタAXV-Ⅱ」。キャッチフレーズの「翼をつけたライブコンパクトビークル」のコンセプトは、セラに受け継がれた1987年の東京モーターショーに出展された「トヨタAXV-Ⅱ」。キャッチフレーズの「翼をつけたライブコンパクトビークル」のコンセプトは、セラに受け継がれた

このような上開きドアは一般的に"ガルウイングドア"と呼ばれることが多いが、厳密には構造によって"シザースドア"と呼ばれたり、セラのように斜め上に開くタイプは"バタフライドア"と呼ばれるともあるが、ここでは便宜的にガルウイングと呼ぶことにする。

いずれにしても、ガルウイングドアを使う機能的な理由は、乗降性を確保するためだ。たとえば、全高がベターッと低いのに開口部の敷居が幅広くて高いレーシングカーなどは、敷居をまたぎやすくするためにガルウイングドアにしたりする。

また、ビッグサイズの2ドアスポーツカーはドアも大きいので、普通の横開きだとせまい場所では少ししか開けられないが、ガルウイングなら(少なくとも屋外なら)せまい場所でも全開にできる。

もっとも、セラはそのどちらにも当てはまらない。セラのボディサイズは全長が3860mm、全幅が1650mm、全高1265mm。現代のトヨタ・ヤリスよりさらにひとまわり小さい。セラが現役だった20年以上前でも、完全なコンパクトカークラスに属していた。

ガラスドームのようなキャビンガラスドームのようなキャビン

寸分の狂いなくピタリと合わさったドーム形状寸分の狂いなくピタリと合わさったドーム形状

つまり、いくら2ドアといっても、ドアの大きさはたかが知れていた。それに全高が極端に低いわけでもないし、ドアを開けたときの敷居も普通だ。それでもセラがあえてガルウイングドアで登場した理由といえば、ずばり、デザインとインパクトのためだろう。

セラのデザインのツボは見てのとおり、ガラスドームのようなキャビンである。現実には複数のガラスを組み合わせているが、もとのデザインを活かすには仕切りはできるだけ少なくしたい。

とくに開放感のために頭上にガラスを回り込ませるには、ガルウイングドアがぴったりだったのだ。

■スーパーカーみたいなガルウイングドアをつくりたい!

ただ、ハッキリいうと、セラのクルマとしての特徴はそれだけだ。シャシーは量産コンパクトのスターレットと共通で、1.5リッターエンジンも性能自体はたいしたものではなかった。

言葉は悪いが、ガルウイングドアをガバッと開けた最初のインパクトだけの"出オチ"感が強いクルマだったのも否めない。

クルマの性能自体は普通だったクルマの性能自体は普通だった

シャシーはスターレットと共通シャシーはスターレットと共通

90年に発売されたセラが着想・企画された1980年代半ばといえば、日本はまさにバブル真っただ中。自動車は右から左へとバカ売れしており、メーカーのフトコロにもお金があふれていた。「なんでもいいから、つくってつくって売りまくれ!」という時代だった。

また、当時は1970年代後半のスーパーカーブームの洗礼を子供や思春期に受けた世代が、自動車産業に就職したり、クルマ購入年齢に到達した時代でもある。

「スーパーカーみたいなガルウイングドアをつくりたい!」という純粋な欲求や「ガルウイングならスーパーカー世代に売れる!?」といった皮算用も、現場にはあっただろう。

今から考えれば、ノリと勢いだけ(?)で生まれた感も強いセラだが、当時、こんなクルマをつくれるのは日本の製造業、それもトヨタくらいしかなかったのも事実だった。

1世代で消滅も、5年半つくり続けた1世代で消滅も、5年半つくり続けた

こんな強い曲面のガラスはそれ自体が驚きだったし、それを寸分の狂いなくピタリと合わさったドーム形状となっていて、さらに天井に走る分割線から雨漏りもまったくしなかった。よくよく考えれば、これは尋常なことではなかった。

さらに、巨大ガラスを抱えるドアはどう考えても重いはずだが、それが女性の腕力でもスッと静かに開閉するのも、専門家からすれば恐ろしいほどの精度と技術だった。

■2000GT以来の少量生産車

発売当時のセラの月販計画は1000台。年間で1万2000台。今の目で見るとそれなりの台数に思えるが、当時は国内だけでカローラが30万台以上、

マークIIやクラウンが20万台以上売れており、セラのそれは「実質的には2000GT以来の少量生産車」といわれたほど少なかった。

そんな少量生産車を160万円台(当時のホンダ・シビックの最上級グレードくらい)の価格で売り出すなんてことは、当時もトヨタにしかできなかっただろう。

トヨタ初の量産ガルウイングトヨタ初の量産ガルウイング

女性の腕力でもスッと静かに開閉できる女性の腕力でもスッと静かに開閉できる

当時の日本メーカーは少なくとも生産技術では欧米を圧倒していた。そんな生産技術の粋を集めたセラを見せられて、欧米の自動車メーカーは心底、震え上がったにちがいない。

セラは最終的に5年半で約1万6000台が生産された。当初計画の3割にも満たない台数で、トヨタ初の量産ガルウイングも1世代かぎりで消滅した。商品としては成功といえないが、それでも5年半つくり続けたしつこさは、さすがトヨタである。

そんなセラは、結果的には迷車というほかないが、そこに込められたつくり手の情熱はとことん熱い。迷車と名車は、ほんのちょっとツボがずれただけの紙一重だ。

【トヨタ・セラ スペック】
1990年 トヨタ・セラ標準仕様
全長×全幅×全高:3860×1650×1265mm
ホイールベース:2300mm
車両重量:890/910kg
エンジン:水冷直列4気筒DOHC・1496cc
変速機:5MT/4AT
最高出力:110ps/6400rpm
最大トルク:13.5kg-m/5200rpm
乗車定員:4人
車両本体価格(1990年月発売時)160万円/167万5000円

●佐野弘宗(さの・ひろむね) 
自動車ライター。自動車専門誌の編集者を務めた後、独立。国内外の自動車エンジニアや商品企画担当者、メーカー役員へのインタビュー経験の豊富さには定評があり、クルマそのものだけでなく、それをつくる人間にも焦点を当てるのがモットー。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

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