X JAPANのギタリストとして、そしてソロアーティストとしても人気絶頂のなか、1998年に永眠したhide。毎年、命日の5月2日には献花式やメモリアルイベントが開催され、今年は23回忌法要が行なわれる予定だったが、残念ながら新型コロナウイルスの影響により中止となってしまった。

週プレNEWSでは、これまでも彼のステージを支えたダンサーやギターテクニシャン、デビュー前からの彼を知る音楽ライターに取材してきたが、今回はカメラマンの管野秀夫(かんの・ひでお)氏にインタビューを行なった。

hideはX JAPANのメジャーデビューに際して、ヴィジュアル系の語源になったと言われる「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」というフレーズを考案。1992年には写真集『無言激』を発表するなど、視覚表現でも突出した輝きを放っていた。

その『無言激』をはじめ、彼のオフィシャル写真を撮り続けてきた管野氏から見たhideは、どんな人物だったのだろうか――。

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管野は1980年代初頭、ニューヨークに滞在し、バスキアやキース・ヘリングといった著名なアーティストを撮影。ポップアートのシーンに魅了され帰国した。

「1982~84年頃のニューヨークは、どこに行ってもウォールペイントがされていて、ものすごくパワーがありました。クラブカルチャーでもレゲエやヒップホップが盛り上がってきた頃で、ナイフダンサーとか過激な連中がパフォーマンスをしていた。

そこにいたことはすごく楽しかったし、僕自身にもポップアートの流れが染み込んだというか。hideくんとやるときに、そういうテイストをぶつけていた部分は多少あったと思います」

帰国後はブルース・スプリングスティーンやロン・ウッドなど、洋楽のアーティストを中心に撮影していた管野だったが、X JAPANと出会ったことで「一気に邦楽に意識が向いた」という。そのきっかけとなったのが、音楽誌『SHOXX』の編集長だった星子誠一(ほしこ・せいいち)氏だ。

「星子さんから呼び出されて、『X JAPANをメインに雑誌を作りたいんだよ』って熱く語られたんですよね。当時はそれほどX JAPANのことを知らなかったんですけど、洋楽好きの星子さんが、こんなに日本のバンドのことを言うなら、相当いいんだろうなって」

管野は初めてhideの撮影をしたときを「ものすごい緊張感があった」と振り返る。

「最初はお互いに探り合いというか、『なんなの?』みたいな感じがあったんですよ(笑)。でも撮っているうちに、これは気持ちいいなって。カメラをパッと向けると、hideくんもパッと動いて、ポージングが同調する。こちらも彼がグッと来たら寄るし、彼が外したらこっちも外す。ボクシングのスパーリングをしているような感じでした。

それに奇妙なポーズをするし、髪の毛もド派手だったし、撮りがいがあるというか、自然と気持ちが持っていかれちゃったのを覚えています」

恐らく、その時点でふたりの波長は合っていたのだろうが、hideが信頼を寄せたのは撮影だけでなく、管野のプリント技術にもあった。当時はデジカメではなくフィルムの時代。自動現像機が発売されたばかりで、カラープリントのコントラストを強めるなど、新しい写真表現のテクニックが生まれていた時期だったという。

「新しいものは大好きなほうなので、いち早く誰かで表現したいなっていうのがあったんです。そういうタイミングでhideくんに出会って、これはピッタリだなって。彼にプリントした写真を見せたら『面白いね! どうやんの?』って興味を持ってくれて、それから『じゃあ、こういう衣装を着よう』とか、『こういう世界観がいいんじゃない?』とか、いろんなアイデアが出てきたんです。

だから、そのフォトセッションとhideっていうキャラクターと、このプリントワークがハマった感じがあって。彼もすごい気に入ってくれたんですよね。そこの部分で随分、信頼してくれたんじゃないかな」

以降、管野は"hideを撮り続けた写真家"として、数多くの作品を残してきた。写真のテーマはhideから出てきたキーワードを広げて入念な準備を行ない、後は現場で"セッション"して作り上げていくことが多かったという。『SHOXX』に掲載された、hideがペンキをぶち撒く写真撮影を管野は振り返る。

「スタジオの機材だけは壊れないように保護しておいて、『じゃあ、hideくん。ペンキで遊ぼうぜ』って。そこから何をするかは決めてないんですけど、彼のテンションが上がってくると、考えてもいなかったことが次々と出てくる。まさに"セッション"ですよね。

それは相手の世界観のなかに入って写真を押さえていくドキュメンタリーというよりは、撮られる側と撮る側がレスポンスしながら作り上げていく、共同作業という面が強かったと思います」

管野は国内だけでも安全地帯、TM NETWORK、レベッカ、B'z、GLAYなど、数々の大物アーティストを撮影してきているが、彼らと比較してもhideのレスポンスは「ものすごくエキセントリックで激しかった」と評する。

hideが映画『マッドマックス』や『アラビアのロレンス』のようなことがやりたかったと言う、中田島砂丘(静岡県浜松市)で撮影された『無言激』のカットは、特に管野も強く記憶に残っているそうだ。

「突然、hideくんが海のほうに走り出したんです。僕としては『走り出したら撮れってことでしょ?』と。急いで追いかけて撮っていたら、砂浜に転がっちゃうわけですよ。もう持ってかれちゃいますよね。これは撮っておかないとダメだよなという気持ちにさせられる」

どんな動きをするか分からないため、アシスタントは照明の調整に苦労したそうだが、それは観客がいないというだけで、ライブの撮影と変わらないものだったのではないだろうか。管野はhideを撮影する際、ポーズの指示などは一切しなかったという。

「それを言っちゃうと、嘘になっていくんじゃないかという気持ちがあって。足を上げたほうがバランスいいだろうなと思う時もあるんです。でも、例えば蜘蛛(クモ)の格好をしているときに、それを言っちゃったら『俺はせっかく蜘蛛になってるのに、足を上げたら蜘蛛じゃないじゃん』みたいな。やっぱりテンションがあるじゃないですか。そうはしたくなかったんですよね」

『無言激』は、現在では考えられない程のスケールで作られた写真集だ。それだけに、どのカットも準備には相当な時間を要したという。また、hide自身の身体的負担が大きいシチュエーションも少なくない。

hideが蛹(さなぎ)になった写真は、朝に集合して撮影が始まったのは夕方。hideはぐるぐる巻きで身動きが取れないため、管野はできるだけスピーディーに撮ることを心がけたという。hideが仏に扮した写真も体に金粉を塗っていたため、息苦しくならないうちに撮影を行なったそうだ。さらに、こんなエピソードもある。

「大きな白蛇と一緒に撮った写真は、蛇を連れてきた人が『餌を食べさせたばかりなので噛みませんよ』と言ってたんですけど、カゴを開けた途端にガブッて(笑)。目の前で血玉が出て、みんなドン引きしてたけど、hideくんは平気で掴(つか)んでましたね」

ここまでくるとカメラを構える管野も命がけだ。「あれは怖かった」と語るのは、hideのセカンドツアーパンフレット用にロサンゼルスで撮影した、豹(ヒョウ)とhideが並ぶ写真。

「撮影前に豹使いの人が注意事項を説明していたんですけど、もし何かあっても、後ろを向いて逃げることだけはするなと。背中を見せると飛びかかってくるらしいんですよ。hideくんは怖がらないでやっていたけど、撮るほうは怖い。僕の方が近くにいたし、豹の目線がカメラに来てましたから(笑)」

聞いているだけで背筋が凍りそうな話だが、管野はhideの写真にトライする姿勢に対して「人並み外れたものがあった」と語る。

「まぁ、とにかく面白い人でしたよ。僕らが思いつかないようなアイデアを持っている。撮影場所とかは僕から提案したかも知れないですけど、やっぱり彼ありきで、彼がぶつけてくるものに対してカメラを向ける作業だったのかなと思います。本当にいろんな刺激をもらったし、それを返していかないとという気持ちはありましたね」

以前、ダンサーを務めていた加賀谷早苗(かがや・さなえ)氏にインタビューした際も「hideさんから引き出された」という言葉があったが、それは管野も同じ意見のようだ。

「全くそうだと思いますよ。これをやったら彼は気に入るだろうなっていうものを見せると、何種類かあるなかから絶対にそれを選んでくれるんです。顔の角度とか表情とか、嫌なものもあったと思うんですけど、NGを出されたことは一度もなかった。

それは僕を気遣ってくれた部分でもあり、任せてくれていた感じはありますね。だから、こちらとしても『じゃあ、次はどこまでいっちゃう?』みたいな、もっといい物を作ろうというモチベーションになっていたと思います」

管野はhideを撮り続けるなかで、彼の変化をどのように感じていたのだろうか。

「変化というか、進化というか。初期の髪をおっ立てていた頃は、和の匂いをすごく感じて、歌舞伎や花魁(おいらん)のような世界観はハマるだろうなと思っていました。それからだんだんサイバーチックな要素を取り入れるようになって、後期のヘアスタイルなんかはポップアートの流れも入っていたのかなと思います。

hideくんは新しくて、楽しくて、面白いものを常に求めていたと思うんです。写真に関しても、こういう技術でプリント出来るようになったからやってみようとか。その時々の技術の進化を遊んでいく。だから彼が生きていたら、まだまだいろんな技術とセッションしながら作っていけた気がするんですけどね」

hideが旅立ってから22年――。当時、フィルムが主流だった撮影はデジタルが当たり前になり、スマホやタブレットなど写真を見る環境も大きく進化した。もし今、hideを撮れるとしたら、管野はどのような形で表現をするのだろうか。

「やっぱりバーチャルリアリティかな。『次やるとしたら3Dだよね』なんて話をしていたし、実際にレンチキュラーという立体視のプリントをhideくんに見せていたんです。

残念ながら彼はいなくなってしまったけど、これまで撮ってきた写真を今のテクノロジーと融合させて、新しいものをどんどん作り上げていくことが、hideくんに関わったみんなが思っていることなのかなって。彼を繋いでいかきゃいけない。ずっとオフィシャルで撮ってきた者としての使命感みたいなものがあるんです」

しかし、本人がいないなかで表現することには、少なからず葛藤(かっとう)もあるという。

「今の技術で表現するときに、どうしても誤差みたいなものが出てきちゃうんです。それをどこまで許容(きょよう)するかのジャッジは難しくて。人によって感覚も違いますからね。

でも、やることで次が見える部分もあるので、やり続ける。そこはhideくんも理解してくれてると思うんです。『なんか面白がってやってくれてるじゃん』みたいな。だから僕としては、今も彼と"セッション"をやらせてもらってる感覚なんです」

hideのアーティスト写真は、現在も毎年新しいものに更新されている。それは当然ながら、ただ当時のプリントをスキャンしただけではない。

「例えばこの写真を使いましょうと決まったら、それを今年のモードでどう表現したらいいのか。プリントワークに関しての色調整は、全て僕がやるんですよ。当時、彼が好きだった色とかは、僕にしか分からない所もあって、それは責任を持ってやらせてもらってます。

他の新しいテクノロジーに関しては、僕も分からない所があるので、色んな人の知恵を借りながら作り上げてますね。でも、彼との約束は絶対に守っていかなきゃいけないので、誰もいない部屋で『いいよね?』って話しかけたり。言い訳じみてるんですけど、そういう事をやったうえで発表しているんです」

最後にhideというアーティストを、どのように後世に伝えていきたいかを話してもらった。

「撮ってきた写真をどう未来に表現していけるか。それで新しくhideくんを好きになる子が増えたり、今まで好きだった子も楽しめたり、そこでまた繋がりが膨らんでいったらいいなと思っていて。今はインターネットで世界中と同じ時間にコミュニケーションがとれるので、海外の人にもhideくんをもっと知ってもらいたい。それには写真を使って、まだまだ色んなことが出来ると思うんです。

例えば若いアーティストとコラボレーションするとか、そういうことをやっていけば、新しいものが自然に出てきそうな気はしてて。日本はもちろん、世界中にhideくんの写真を好きな人がいっぱいいるので、そういう人たちと何か出来たら楽しいだろうな、hideくんも一緒に遊んじゃうんだろうなって思いますね」

管野秀夫(かんの・ひでお) 
北海道生まれ 福島県伊達市出身。
著名写真家数名に師事後、ニューヨークにてキース・ヘリング、バスキア、ケニー・シャフィーなど、グラフィティーアーティストたちを撮影。また、J-POP&ROCKシーンでは数多くのミュージシャンたちとのイメージワークに携わり、安全地帯、TM NETWORK、レベッカ、B'z、X JAPAN、YOSHIKI、hide、GLAY、access他、多数のオフィシャルフォトを手掛ける。X JAPAN hideを撮り続けた写真家としてのパブリックイメージも強く、初期ビジュアル系のフォトスタイルをhideと共に築く。近年は、社会貢献プロジェクト・東日本大震災復興支援『#空でつながる』フォトプロジェクトを発起提唱し、『#空でつながる写真展』を実行中。詳細はオフィシャルサイト『管野秀夫写真事務所(CAPSphoto)』にて

hide 
1964年12月13日生まれ 神奈川県横須賀市出身。
X JAPANのギタリスト"HIDE"として、またソロアーティスト"hide"(hide/hide with Spread Beaver/zilch)として活動。hideが発信しつづける音楽やライブパフォーマンスは常に革新的でオリジナリティに溢れ、「まるで移動遊園地やおもちゃ箱をひっくり返したようだ」と表現された。1998年に永眠してから2020年5月2日に23回忌を迎えるにあたり、続々とプロジェクトを展開予定。詳細はオフィシャルサイト『hide-city』にて

©HEADWAX ORGANIZATION CO.,LTD./photo by HIDEO CANNO(CAPS)