トヨタ自動車、新型スープラ開発責任者・多田哲哉氏。GAZOO Racing Company GR開発統括部チーフエンジニア。新型スープラ開発責任者。スバルとのコラボカー「86」を担当後、現職

来春、トヨタの看板スポーツカー「スープラ」が復活する。それも提携している独BMWとの初の共同開発車だ。仕事はどう進んだのか? 自動車ジャーナリストの小沢コージが聞いた。

■86から始まった新スポーツカー戦略

いよいよトヨタスポーツカー夏の陣、アキオ計画が本格始動だ! そもそも今から約10年前の、2007年、副社長だった豊田章男社長が「今のトヨタには若い人が憧れるクルマがない」「技術部が本当にいいスポーツカーを造ってくれるのなら、万難を排してでも売る」の思いから始まり、12年に発売された大衆FRスポーツ「86(ハチロク)」の復活劇。

以来、思いはさらに進化、「道が人を鍛え、人がクルマをつくる」という章男社長の号令の下、ル・マン24時間レースはもちろん、WRC(世界ラリー選手権)にも復帰。

16年4月にはモータースポーツと一体化してスポーツカーを造るGRカンパニーを設立した。そして来春、いよいよトヨタの看板スポーツカーであるスープラが復活する。

トヨタ自動車、豊田章男社長。トヨタとBMWは12年にスポーツカーの共同開発を発表。当時、豊田章男社長は「世界中のクルマ好きを興奮させる」と話していた

新型スープラを手がけたのは、86を担当した多田哲哉チーフエンジニアだ。86でスバルとの協業を成功させたからなのか、12年の86海外試乗会現場でトヨタ首脳陣から直々に「そのままBMWとの協業の可能性を探ってこい」との指示を受け、試乗会中にドイツに飛び、自ら今回のスープラ復活を総指揮してきた生粋のスポーツカーバカ。

今は一年の半分以上を海外で過ごすというキーマン多田氏を直撃し、BMWとの折衝や新型スープラの狙いを聞いた。

■自動運転時代になぜ?

―考えると不思議なんです。今年初め、北米ラスベガスのCES(家電見本市)で、章男社長自ら「自動車メーカーからモビリティプロバイダーになる」と宣言したトヨタ。それが来年に本格スポーツカー、それもあのBMWと組んでスープラを復活させるなんてある意味、真逆に進んでませんか?

多田 一般メディアからはよく同じことを聞かれますが、僕らの中ではごく自然な融合です。自動運転やAI技術、そういう先進テクノロジーを使うことでスポーツカーもまったく違った方向に進化することができる。簡単に言えばバーチャル方向に。

―バーチャルというと?

多田 86にはすでに投入されてる技術ですが、今やどんなクルマにもCAN-BUSというデータ出力装置がついていて、走行中の細かい車速やエンジンデータをすべてダウンロードしてUSBに保存できます。

多田氏が開発責任者を務めた86。7月2日には「GRスポーツ」を設定して販売を開始。6速MT車が378万円、6速AT車が384万6960円

―保存できると何ができるんでしたっけ?

多田 例えば86で富士スピードウェイを走ったときのデータをダウンロードし、それを自動車ゲームの『グランツーリスモ』に入れると、ゲーム中に自分の走りが再現できる。

―リプレイできると。

多田 しかも、今は「プロドライバーが86で走ったときのデータ」と「自分が走ったときのデータ」を重ねて、比べることもできる。要はサーキットでの正しいライン取りをはじめ、ブレーキやアクセルを踏む最適のタイミングを教えてくれるわけです。

―まるでゴルフスイングをタイガー・ウッズと重ねながらラウンドできるようなもんじゃないっスか?

多田 結果、簡単にタイムが1秒くらい縮まる。ちっとも速くならない!とレースを辞める人がスゴく減りました。

―それがスープラでは?

多田 ものすごく進化しています。今回、新型スープラは北米人気レースのNASCAR(ナスカー)への参戦が決まりましたが、本物のレースカーにこの機能を投入すると、レースが始まった途端、その映像や音や挙動をそっくりそのまま自分のパソコンやスマホ、ゲームに送ることができる。まさにレースの臨場感がそのまま家にいながら楽しめちゃう。

―スゴい。自宅で本物のレースの臨場感を味わえると。レースの見方が変わる?

多田 そのとおり。技術はスポーツカーの楽しみ方そのものを変えるんです。ちなみにこれは通信システムが5Gになって初めて可能になることで、今の4Gだと通信に遅延があって無理です。自動運転技術やビッグデータ処理技術を使えば、アプリクリエイターの発想次第で、こういった新しい楽しみが無限に生まれてきます。

―これはBMWとの協業ビジネスで誕生した技術なんでしょうか? 

多田 いや、トヨタ独自です。しかも僕らはこういった技術を囲い込まず、あえてオープンにしたいと。

―スープラをベースに自動車エンターテインメントがIT技術で爆発的に進化する?

多田 そのとおり。実際、バーチャルのeスポーツレースがFIA(国際自動車連盟)公認になったことはご存じですよね? 具体的にはプレイステーション専用ゲームソフト『グランツーリスモSPORT』ですけど。

―そうそう、このバーチャルレースでシリーズチャンプを獲(と)ったら、なんと年末にパリのベルサイユ宮殿で行なわれるFIA表彰式に出られるとか。ヘタするとF1のルイス・ハミルトンなんかと並んで表彰されちゃう。

多田 スゴい時代ですよね。

■レーシングカート的に曲がる新型スープラ

―肝心の新型スープラですが、実際どういうスポーツカーになるんですか。オザワ的には、BMWの楽しさを持ちつつ、トヨタの安心の保証が得られるだけでもオイシイとこ取りと思ってましたけど。

多田 そこはものすごいパワーがあるとか、そういうことじゃなく、純粋に走りが楽しめるクルマに仕上がっています。どんな状況でもニュートラルステアで走れる。プロはともかく一般ドライバーなら、コーナーにちょっとオーバースピードで入ったらリアタイヤが滑ったりする。

そこでいきなりどっかにすっ飛ぶのではなく徹底的にリカバリーしやすくする。その懐の深さがクルマの楽しさを決めますから。

―スイートスポットが異様に広いテニスラケットみたいなイメージでしょうか?

多田 近いですが、それだとフィールが少し鈍いように聞こえるじゃないですか。実際にはものすごくキレキレでカミソリのように曲がるんです。具体的にはコーナリングに「ターンイン」「旋回」「脱出」がありますけど、ポルシェ・ケイマンだとターンインや旋回は良くても、脱出でちょっとアクセルを踏むタイミングを間違えるとアンダーステアが出たりする。

でもスープラはそのすべてで気持ちいい。ポイントはホイールベースの長さで既存の86より短い。クルマの旋回性能はホイールベースとタイヤ左右のトレッド幅の割合で決まるんですが、86、ポルシェはもちろん量産スポーツの中で最も短い。

―すんげぇクイクイ曲がる上、カウンター一発で修正も可能なんですね。レーシングカートみたいに。

多田 そのとおり。ついでに重心高は86より低く、ボディ剛性は2倍。エンジン馬力はないと言いましたがレクサスのFシリーズとだいたい同じトルク。それでいて車重は300kgも軽い。

―それだと高速での直進安定性が心配になりますが?

多田 テクノロジーをいっぱい使って安定させています。

7月12日から15日に開催された英「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」で新型スープラのプロトタイプが登場。世界中のクルマ好きがザワザワ

■BMWとのコラボはどう進めたのか

―ところで今回のBMWとの初協業はどうでした? 前に86でやったスバルとの協業と比べてみて。

多田 あのときはエラい苦労してもう二度と協業なんてやんねえ!と思ってましたが、今にすると全然楽でした。しょせんは日本の会社ですし。

―スバルのときは4駆メーカーにFRスポーツを造らせる!という宗旨変えが大変でした。今回は?

多田 それ以前の問題ですよ。そもそも日本人とドイツ人の違いとか、最終的には民族の違いみたいなところに行き着く。例えば設計で使うコンピューターシミュレーションですが、使い方の感覚が違う。

僕ら日本人はシミュレーションといっても、結局100パーセントの精度は出ないので「実際にパーツ造ったほうが早いじゃん」となりがちですが、BMWは予想が外れることを前提に造っています。農耕民族と狩猟民族の違い。農耕民族は繰り返しを恐れず、頑張って精度を上げようとしますが、狩猟民族はあるモノをある時間内で効率良く使いこなす。

―なるほど。スバルとの協業時はトヨタの開発手法を投入しましたが、今回は?

多田 確かに(スバルのときは)トヨタ流プロセスで造れとやりました。ただ、今度はトヨタ流を押しつけるような発想はなかったし、やりたいとも思わなかった。そもそもBMWは「オマエたちに聞くことは何もない」ってトーンでしたから。最初の契約、そしてプロジェクトを本当にやるまでには数々のハードルがありました。

まず最初にあったのは、こちらが86やレクサスLFA、彼らがM3やM5を持ち寄ってやった試乗会です。遅れてはいかんと1時間以上早く行ったら「機密だらけだから」とわれわれは建物の中に入れてもらえず、テストコース内のテントで待っていなさいと。

―けっこうな扱いですね。

多田 それはいいんですが、試乗会が始まったらトヨタ車は知ってるけど運転した人はほとんどいない。「生まれて初めてトヨタ車を運転した」とか「意外と普通に走るんだな」とか。そんなもんです。

―完全に眼中になし。こっちの話を聞かないわけだ。そこをどうやって切り開いた?

多田 ひたすら説得ですよ。スープラはこうしたいと説明し続けて、できないと言うとウチのエンジニアやデザイナーを連れていって、どうすればできるんだと議論する。

―具体的にBMWに対して、どういうスポーツカーを造りたいと?

多田 ポルシェに負けないスポーツカーをと。そしたら彼らは「だったらポルシェを買収すれば?」と。しかし、ハンドリング以外にもデザイン、エンジン、インテリア、すべてに対し要求しました。

―少し勘違いしてました。最初はトヨタの安心と保証の上で、BMWのスポーツカーに乗れるだけでいいかと思ってました。それは違うと?

多田 そんな丸投げプロジェクトじゃ何も残りませんよ。すべてにおいてトヨタクオリティ、トヨタの販売店でトヨタユーザーに説明できるように開発しました。壊れる壊れないはもちろん、シート下に手を入れてもケガしないとか。

―そこまで求めました? サイドシル幅なんかトヨタ基準ってあるじゃないですか? またいだときにスカートが汚れないような幅とか。それにサスペンションダンパーひとつとっても耐久性の基準がトヨタとBMWじゃ違うはず。

多田 それを一点一点決めていったんです。もう言葉にできないくらい大変でした。

―本当の意味でトヨタとBMWの合作で、エンブレムのつけ替えだけではなく、トヨタの安心感があり、しかも、走りはポルシェに負けていないってことですか?

多田 そのとおりです。ハンドリングすべての点をレーダーチャート化して比べ、ここは勝ってる、ここは負けてるってことを細かくやりました。ポルシェのケイマン、ボクスターの最新型をいつも持ってきて比べてましたから。

―マ、マジで! あのプライド高きBMWのエンジニアたちにそこまで露骨な比較を。

多田 論理的に説明できない限りは彼らは絶対認めない。それを延々とやりました。

―今回のコラボを進めるなかで何がポイントになりました?

多田 結局は個人。その人に実力があれば、ドイツ人も認めて説得に従う。肩書や学歴は一切通じません。

―海外に渡った日本のサッカー選手がゴールを奪い、認められるような?

多田 そのとおりです。そういうのが認められるとあるときからコミュニケーションの質が全然変わりました。

―パスが回ってきた?

多田 そう。1年チョイ前からやっとそんな感じに。

―計画スタートが2012年ですから4年はたってる?

多田 普通のクルマの倍以上はたってますよ。

―やりとりは英語?

多田 それが英語だけだと前に進まなくて。結局、母国語じゃないから必要なことしかしゃべらない。そういう会話だと背景がわからない。だから開発から1年半ぐらいたったときにドイツ生まれの日本人を常駐させた。そしたら急速に「アイツこんなこと言ってたよ」みたいなことが聞けるようになりました。

―最後にズバリ聞きますが、その結果として、今度の新型スープラはポルシェより速く、ポルシェより壊れない超スゴいスポーツカーになったってことですかね?

多田 ノーコメントでお願いします(笑)。

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