携帯ゲーム機の元祖ともいえるゲームボーイが誕生したのは平成元年(1989年)の4月。つまり、平成30年史は携帯ゲーム機の歴史でもあるのだ。平成の終わりに携帯ゲーム機史をプレイバック!

■携帯ゲーム機史は平成元年から始まる

俺たちが夢中で遊んだ携帯ゲーム機。その元祖であるゲームボーイが任天堂から発売されたのは1989(平成元)年4月のこと。つまり「平成30年史」は、そのまま「携帯ゲーム機史」ともいえるのだ!

そんな携帯ゲーム機の栄枯盛衰を振り返っていこう。まずは『教養としてのゲーム史』(ちくま新書)など、ゲーム関連の著書を多数手がけるフリーライターの多根清史(たね・きよし)さんに話を聞いた。

「やはりゲームボーイがなければ、携帯ゲーム機の歴史も存在しなかったでしょう。1989年6月発売の『テトリス』ともども、めちゃくちゃ売れましたよね。爆発的なヒット作がしばらく出ずに低迷した時期もありますが、それでも1996年に今度は『ポケットモンスター』(以下、『ポケモン』)というエポックメイキングな作品が登場し、息を吹き返しました」

ゲームボーイ【1989年発売/任天堂】モノクロ液晶はスペックを抑えて定価を安くするという任天堂の美学の表れ。互換機には「ポケット」「ライト」「カラー」がある。発売時の定価は1万2500円

そもそも、ゲームボーイのすごさとは?

「当時のゲームはファミコン(ファミリーコンピュータ)のようにテレビにつながないと遊べませんでした。しかしテレビは現在ほど安くはなく、一家に1台、リビングにあるのが一般的。

いちいち親の了解を得なければゲームで遊べなかった時代の子供たちにとって、ゲームボーイはとても歓迎されたのです。友達同士で持ち寄って外で遊ぶこともでき、ゲームのコミュニティを大きく広げてみせたことも大きいですね」

なるほど。あらためて任天堂の偉業には感嘆せざるをえない。

「ポイントは任天堂の山内溥(ひろし)社長(当時)の存在。社長はゲームボーイの試作品を、いきなり床に放り投げたという逸話があります。周囲の人が驚くのをよそに、『これで壊れへんかったら大丈夫や』と(笑)。

要は、子供が乱暴に扱うのを想定し、本体は頑丈に作らないといけないと伝えたんですね。社長はあまり技術的なことには詳しくない人だったそうですが、"おもちゃの玄人"の目線を持っていたんです」

その後も携帯ゲーム機業界では任天堂の天下が続き、2004年12月にはニンテンドーDS(以下、DS)が発売された。

「DSはそこまで高度な技術ではないのに、2画面&タッチペンというアイデアがとにかく斬新でした。現代のスマホの発想が全部詰まっていて、ゲーム人口をさらに広げたんです」

確かに、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』や『Nintendogs』など、固定観念を覆したゲームも多数。

ニンテンドーDS【2004年発売/任天堂】(画像はDSi)ゲーム&ウオッチ以来となる2画面式で、タッチスクリーンやすれ違い通信などの個性的機能を搭載。携帯ゲーム機の新たなる可能性を示す。発売時の定価は1万5000円

ゲームボーイ、ゲームボーイアドバンス、DS、3DSと携帯ゲーム機史は任天堂ハードの歴史ともいえますが、他メーカー製で特筆すべきハードは?

「NECのPCエンジンGTは、技術的には最先端だったと思いますが、惜しむらくは4万7040円という値段。こんな高額じゃ、なかなか誰も買えない(笑)。それにPCエンジンGTはカラーだから消費電力が大きく、電池が持つのがたった3時間程度だったんですよね」

PCエンジンGT【1990年発売/NECホームエレクトロニクス】 他社ハードと比べ非常に高価だが、カラー液晶の美しさは当時ピカイチ。チューナーをつければテレビも見られた。現代の市場では希少性が高い。発売時の定価は4万7040円

携帯ゲーム機の"外で遊べる利便性"を、なかば無視するような仕様だったわけか。

「ゲームボーイの生みの親である横井軍平さん(任天堂、当時)は、他社製品がカラー液晶で発売されたことを喜んでいたそうですよ。あの時代においてはモノクロ液晶で妥協するのが正解だったと、最初から見切っていたんでしょう。

ただし、PCエンジンGTと同時期にセガが発売したゲームギアもカラー液晶でしたが、こちらは善戦しました。世界販売台数が1億台を突破したゲームボーイと比べたら失敗と言われがちですが、ゲームギアだって1000万台以上売れましたからね。価格を約2万円に抑えたことが、PCエンジンGTとの明暗を分けたのでしょう」

ゲームギア【1990年発売/セガ・エンタープライゼス】セガはカラー液晶を搭載した機種でゲームボーイと勝負! セガ擁する『ソニック』シリーズや『ぷよぷよ』シリーズも投入。発売時の定価は2万790円

■任天堂一強時代を打ち破ったPSP!

任天堂の天下が続くなか、セガのゲームギア以上に任天堂に肉薄したハードを忘れてはいけない。中古ゲームショップ「駿河屋」などを運営するエーツー代表の杉山綱重さんは語る。

「DS発売の10日後にSCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント、当時)から登場したPSP『プレイステーション・ポータブル』(以下、PSP)です」

PlayStation(以下、PS)シリーズで据え置き機の天下を取っていたSCEが、携帯ゲーム機市場も奪いにきた形だった。

「PSPは、当時の主流据え置き機だったPS2と近しい性能を持ち運べるという、画期的なハイスペックさでした。そういう意味でPCエンジンGTと似ていますが、PCエンジンGTで足を引っ張った異様な高価格やプレイ時間の短さなどのネックは解消していました」

PSP『プレイステーション・ポータブル』【2004年発売/ソニー・コンピュータエンタテインメント】PS2級の美麗グラフィックを誇り、PSブランドの力を見せつけた。メディアプレイヤーやブラウザとしても使えるマルチな携帯ゲーム機。発売時の定価は2万790円

発売当初はDSの勢いに押され続けたPSPだが、そのスペックの高さがあればこその転機が訪れる。

「PS2から『モンスターハンター』(以下、『モンハン』)シリーズを移植できたのが、確実にターニングポイント。『モンハン』はPSPのグラフィックのきれいさがないと、成立しないゲームでしたからね。

『ポケモン』が主に小学生ユーザーから支持が厚かったのに対し、『モンハン』は高校生や大学生の男子がメインユーザー。こうしてPSPは、任天堂ハードとの世代的なすみ分けを初めて実現できたのです。

後継機のPlayStation Vita(以下、Vita)は、当時の新技術だった有機ELをタッチスクリーンに採用するなど、ハイスペック路線をさらに極めていました。Vitaより約10ヵ月早くリリースされていたニンテンドー3DSの立派な対抗馬になったといえるでしょう」

今はスマホに押され気味だが、新しい"遊びのスタイル"を示してくれたのは間違いなく携帯ゲーム機だった。平成後の新時代でも輝き続けてくれ!

取材協力/ゲーム、古本、DVD、CD、トレカ、フィギュア通販ショップ「駿河屋」https://www.suruga-ya.jp/

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