経済アナリストの森永卓郎さんがステージ4のすい臓がんを公表した昨年末以降、長男で同じく経済アナリストの森永康平さんがメディアに登場する機会が増えた。闘病中の父親を公私ともにサポートをしている康平さんが、父子の関係性や森永家ならではの家族観を語る。

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■タバコを吸わない父の姿に危機感

「母親から親父がステージ4のすい臓がんという告知を受けたという話を聞いた時は悲しいとかつらいとか、そういう感情は湧かず、ただただ驚きました。抗がん剤を打ってからやせ細って苦しむ親父の姿を目の当たりにして、『このまま死んでしまうのかもしれない』と思わざるを得なかった」

森永卓郎さんがラジオの生出演ですい臓がんを公表したのは2023年12月27日で、同日に抗がん剤治療を受けた。長男の康平さんが当時を振り返る。

「抗がん剤治療を受けた当日、父は帰宅後もいつもどおり元気でした。仕事もしていましたよ。でも、治療の2日後あたりから急速に衰弱していって、3日目にはこれは普通じゃないと感じました。

『寒い、寒い』と震えている。『なにか羽織ればいいじゃん』と言ったら、『重たくて上着が着れない』と答えるんです。食欲もない。3日間で食べたのがイチゴ2、3粒だけでした。ここままだと餓死してしまうと思いました」

森永卓郎さん(左)と息子の康平さん 森永卓郎さん(左)と息子の康平さん
さらに、康平さんはこう付け加える。

「とてつもなく体調が悪いんだろうなと思ったのが、タバコなんです」

卓郎さんはヘビースモーカーだ。2010年のタバコ税増税の際には、値上げ前に110カートン(当時の値段で38万5000円)を買いだめ。ひと箱1000円になったとしても、その前に「一生分を買い込んで倉庫で冷凍保存する」と発言し、話題になったほどだ。

「タバコをやめろと家族が言ってもいっさい聞く耳をもたなかったし、抗がん剤治療を受けた当日ですら吸っていました。それなのに、衰弱してからは一本も吸わないんです。すぐに入院させるしかない。

母親にそう話をして、さて、どうやってあの頑固親父を説得するかと考えていたら......親父がなにも言わず、おとなしく身支度を始めました。ああ、それほどまでに体調が悪いんだな。本人はもちろん、母親、弟、そして僕も含めて家族が最悪なケースも覚悟しているのがわかりました」

■人生の節目で影響されてきた父の存在

康平さんは卓郎さんに肩を貸し、車に乗せ、母親と弟とともに入院の準備を済ませて病院へ向かった。

「親父が今にも死んでしまいそうな日に変な話ですが、『やはり家族なんだな』と不思議な気持ちになりました。それまで家族4人で協力し合う、みんなが同じ思いを共有して行動に移すなんてことはあまりなかったと思います。幼い頃から、親父が帰宅するのはみんなが寝静まった深夜、土日もパソコンの前で仕事ばかり。遊んでもらうのは年に1、2回でした」

しかし、康平さんは現在、卓郎さんと同じ経済アナリストとして活躍している。人生の節目、節目で大きな影響は受けてきたのだという。最初のターニングポイントとなったのは小学校高学年の頃だ。

「僕は小児ぜんそくとアトピーで体が弱く、運動をすることができない子どもでした。当時はJリーグが開幕したばかり。『週刊少年ジャンプ』では『スラムダンク』が連載中。休み時間になるとクラスメイトがいっせいに教室を飛び出して球技をしにいく。

そんななか、ひとりで漫画やイラストを描いて過ごしていました。それを知った親父が『この紙を使えば?』と使用済みコピー用紙を大量にくれました。勤務先の三和総研(現・三菱UFJリサーチ&コンサルティング)から持って帰ってきてくれたんです。これで好きなだけ絵が描けると思ったんですが......」

「男子は球技」という学校の空気のなかで、康平さんは肩身の狭い思いを強いられたという。

「男のクセに絵なんか描いているとからかわれるのが嫌で、そのうちやめてしまいました。ある時、ふと、紙の裏になにが書いてあるんだろうと見てみたら、小難しい言葉や横文字がびっしり。グラフや表も入っている。読んでみてもさっぱりわからない。親父に話したら『説明する時間がないから、とりあえずこれを読んどけ』と2冊の分厚い経済学の教科書を渡されました」

ミクロ経済学とマクロ経済学、それぞれ300ページほどの分厚いプレゼントが、経済アナリストへのきっかけとなる。康平さんは索引を参照しながら理解していき、中学生の頃に読み終える。

「基礎を自力で学んで興味を持ったので、大学でも経済学部に入りました。でも、授業を受けてみたらどれも知っていることばかり。大学へはあまり行かず、バイト、麻雀メインの学生生活を送りました。株を始めたのもこの頃です」

大学4年生になる頃に卓郎さんと交わした短い会話が進路の決め手となった。

「『就活はどうするの?』と聞かれ、『大学院に進もうと思う』と答えました。すると、『一度も働いたことがないやつが経済を研究したって、机上の空論になってしまう。まずは3年間働いてみろ』というので、株の取引に利用していたイー・トレード証券(現・SBI証券)を傘下に持つSBIホールディングスに就職しました。

2018年に会社を辞めて独立してからいくつか連載を持つことになった際、メディアから肩書をつけてほしいと依頼され、親父と一緒はいやだなと"経済ジャーナリスト"を名乗ろうとしたんです。そしたら『ジャーナリストだと毎回取材しないといけないからダルくないか?』と言われて(笑)。父子で同じ肩書きとなりました」

父と同じ経済アナリストとして活動している康平さん 父と同じ経済アナリストとして活動している康平さん
■闘病の姿を見て「人生を悔いなく生きたい」

卓郎さんは今年1月上旬から抗がん剤治療をやめ、免疫療法に切り替えた。PET検査など様々な検査を経て、5名の医師から意見をもらったあとも血液をアメリカに送って検査を続けた。

「1月中旬にはパソコン仕事をやっていました。お見舞いに行った際は『売店でアイスを買ってきて』と言うほど食欲も戻り、今ではすっかり通常運転です。これはもうどうしようもないんですが、おいしそうにタバコも吸っています」

この間、入院中の卓郎さんとともに撮影したYouTube動画には多くのコメントがついた。

「親子で一緒に仕事ができるなんてうらやましいという意見を多数いただきました。一般的な家庭だと、小さい頃にキャッチボールしたりして親子で時間を共有しますが、子どもが独立したら帰省して顔を合わせるくらいですよね。うちは逆パターン。といっても、一緒に仕事をする時以外は今でもそんなに顔を合わせることはないんですけどね(笑)」

卓郎さんの入院中に各メディア出演や講演などで代打を務めたのは親孝行にもなった。

「父が体調の問題で空けてしまう穴を息子として代打できるのは本当にうれしいです。ただ、『康平さんがこんなに立派に育ったなんて、卓郎さんは子育てもしっかりされたんですね』と言われることがあるんですが、それは違います。親父が家にいない間、僕と弟をきっちり見てくれた母親のおかげなんです」

また、卓郎さんの闘病を通じ、経済アナリストとして新たなテーマも見出だしたという。

「僕はこれまでお金を稼ぐ、貯める、増やすことは考えてきたけれど、使うことはテーマにしてこなかたった。その点、親父は食玩とフィギュアなどの収集癖があって、お金も惜しみなく使って、博物館までつくりました。人生を悔いなく生きるには、いかに使うかも大事で、今後は自分なりの答えを探していきたいです」

昨年から始めた格闘技では、3月にキックボクシング大会のリングに上がる予定もある。

「まわりから理解されないことに全力で取り組むっていうのは親父ゆずりですかね(笑)。もうダメかと観念するような状況から復活した親父の姿に、種類は違えど闘う勇気をもらった気がしました」


■森永康平(もりなが・こうへい)
経済アナリスト。1985年、埼玉県生まれ。明治大学政治経済学部を卒業後、証券会社や運用会社でアナリスト、ストラテジストとして日本の中小型株式や新興国経済のリサーチ業務に従事。その後、インドネシア、台湾などアジア各国にて新規事業の立ち上げや法人設立を経験し、事業責任者やCEOを歴任。2018年、金融教育ベンチャー「マネネ」を創業。現在は国内外のベンチャー企業の経営にも参画している。