公文書という「国家の記録」は、歴史の記述に欠かせないものであり、後世の政策選択のためにも参照されるべき国民共有のだいじな知的資源である。だが、情報公開法と公文書管理法があるにも関わらず、この数年を振り返ってみれば森友・加計問題をはじめ、公文書をめぐる問題が途絶える気配がない。

現在発売中の集英社新書『国家と記録 政府はなぜ公文書を隠すのか?』は、この問題を概観し、あるべき公文書管理体制を展望している。政府が公文書を勝手に作成せず、破棄したり、隠す理由は何か。著者の瀬畑源(せばた・はじめ)氏が、情報公開請求で南スーダン自衛隊日報隠蔽問題を暴いたジャーナリスト・布施祐仁(ふせ・ゆうじん)氏を招いて公文書問題の本質を語りあった。

※この記事は、集英社新書編集部が作成・構成したものを、週プレNEWSで配信しています。

「僕らが残してほしい文書と官僚が残したい文書は違う」

瀬畑 私は集英社新書から本を出すのは三回目で、最初は久保亨さんとの共著『国家と秘密 隠される公文書』、二冊目は『公文書問題 日本の「闇」の核心』、そして今回が『国家と記録 政府はなぜ公文書を隠すのか?』。こういう本を出しているんですけれども、元々は公文書問題が専門じゃないんです。象徴天皇制の研究者で、10月22日の即位の時も天皇の「おことば」の解説を新聞でやっていたり、8月にNHKが、初代宮内庁長官が昭和天皇との拝謁の時に付けていた記録が大量に出てきたんですが、その分析班のひとりだったんです。平成の天皇が子供の時にどういう教育を受けていたか、というようなことを大学院で研究し始めたら、存命中の天皇の資料というのはなかなか出てこなくて。その時たまたま情報公開法が施行されたので「宮内庁に文書の公開請求をしたら資料が出てくるかも」と思い、請求し始めたのが公文書に関わるきっかけでした。

それで宮内庁にいろいろ請求してみたんですが「こういうふうに決まりました」っていう決裁文書は出てきても、歴史研究者の私が知りたい「どうしてそうなったのか」という政策決定の途中過程の文書が出てこないんです。宮内庁という秘密体質の役所なので、「どうせ隠蔽しているんだろう」と思いながら、職員に「これはどういうことですか」と尋ねてみたんです。最初はこっちのほしい文書が何かをなかなかわかってくれなかったんですが、説明している内に「ああ、そういう文書が欲しいんですか」とわかってくれたものの、「申し訳ないけれど、途中過程の文書っていうのは、私たちには必要がないんです。だからそういう文書は残しません。別に隠蔽とかそういう話じゃなく、私たちは必要があるかどうかで文書を残す、残さないを決めるんです。決裁された文書は絶対必要だから残す。最後にどう決定したかですから。それに基づいて行政が行なわれるから。けれど、どういうふうにして決まったかというのは官僚にとって重要じゃないんです」と言われました。

つまりこっちが残してほしいと思う文書と、官僚が残したいと思う文書というのは元々ズレてるんです。それに気づいて「何でこんなことになっているんだ?」と思い、そこから公文書の話を調べ始めたんです。それでいつのまにか本職の天皇制研究よりも公文書問題の方が専門、と誤解されるようになってしまいました(笑)。ただ、公文書問題ももう完全にライフワークと化しているので、両方とも重要だと思いながらやっている状態です。

「米兵犯罪の統計を開示請求したら驚くべき言い訳でごまかしてきた」

瀬畑 布施さんは、自衛隊の南スーダンPKOの日報を公開請求して防衛省と闘った方で、その経過を私も読んで(『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』三浦英之氏との共著/2018年、集英社)、すごく面白いことをされているな、と思っていました。それ以外にも経済的徴兵制とか、日米安保に関する密約の本も書かれています。それらを読むと、実は以前から情報公開のヘビーユーザーだということがわかります。布施さんはなぜそもそも情報公開請求しようと思ったんですか。

布施 南スーダンの日報問題が話題になったんですが、僕自身は最初、2007年に情報公開制度を使ったんです。きっかけはこの年に、新原昭治さんという日米関係を研究されている方が、アメリカの国立公文書館で日米関係に関わるある密約の原文を入手したことです。これについて取材し、『日米密約 裁かれない米兵犯罪』(2010年、岩波書店)というルポを書いたんです。

日本にいる米軍関係者が日本で犯罪を犯した場合、非常に甘く処分されているんじゃないかと以前から言われていました。日本人だったら処罰されるのに米兵は処罰されなかったり起訴されなかったりしていたからです。その根っこに実は密約がありました。

日米地位協定では、米兵が公務中に事件や事故を起こした場合、刑事裁判権はアメリカが優先的に行使することになっています。でも、公務外で、たとえば全くプライベートで酒を飲みに行って暴行事件を起こしたなどという場合は、日本側が優先的に裁判権を行使できます。ところが、日本政府は日米合同委員会という非公開の協議の場で、「重要な事件以外、日本側は裁判権を行使しない」という約束を秘密に行なっていたのです。この密約のせいで、米兵の犯罪に非常に甘い処分がなされていたことがわかった。でも日本政府は、アメリカの国立公文書館からそういう文書が出てきたのに「そんなものはない」と言い張りました。当時は自民党政権でした。

「じゃあ、どうしたら認めさせることができるか」と僕は考え、密約があるというだけじゃなく、実際に米軍の犯罪が甘く処分されているということを、起訴率というファクトで証明できないか、と思ったんです。それで、米兵犯罪の起訴・不起訴状況がわかる検察の統計を法務省に情報公開請求しました。僕にとって、これが初めての情報公開請求でしたが、法務省の対応は本当にひどかったんです。

最初に僕が請求したのは、日本側に優先裁判権がある「公務外の事件」に関する統計でした。すると法務省は「ない」と言うんです。でも別ルートで調べると、実はあることがわかったので問いただすと、「あなたは、公務外の米兵犯罪に関する統計って請求しましたよね。あるのは公務外だけじゃなく公務中も合わせた統計ですから」と。統計には、僕が請求した「公務外」の米兵犯罪に関する情報も含まれているのに、ピンポイントで請求してないからダメだ、と言うわけです。

――典型的な「ご飯論法」(*)ですね。(*「ご飯は食べたか?」という質問に「食べてない。食べたのはパンだから」と答える詭弁)

布施 はい。それであらためて請求し直したんです。でも、すぐに出てこない。それでまた尋ねると、「ある統計は、『米軍等』、『米兵等』の統計で、米兵だけじゃなくて軍属と家族も含まれる。米兵だけに絞った統計はない」って言うんです(苦笑)。そういう不毛なやりとりをしばらく繰り返して、「じゃあ、『等』も含めた統計を出してくれ」と言うと、今度は1年分しか出してこない。密約が結ばれたのは1953年で、それ以降の統計のすべてを請求したのに、出てきたのは直近の1年分だけ。「1年分しかないのか」と尋ねると、「ええ、この文書の保存期間は1年になってますから」と言うのです。

でも、日本に大勢の米兵がいて、日本で犯罪を起こした場合に、日本側がどれだけ裁判権を行使しているかということは、主権にかかわる重要な問題ですよね。それなのに、それを記録した統計を1年しか保存してないはずはない。おかしいと思って、また法務省と色々なやりとりをした結果、しばらくして2001年以降の7年分が出てきました。そこで、「保存期間が1年だから過去の分は全部廃棄したと言っていたじゃないか」と問いただすと、「『統計』として保存されているのは、保存期間が1年だから1年分しかない。今回開示した過去の分は、あくまで『コピー』です」と。

ふざけるな、と思いますよね? この経験を通じて、官僚たちが「いかに文書を出さないか」ということに優秀な頭を使ってるんだなと学びました。そこから僕は、官僚たちの姑息なやり方にだまされずに、相手の手も読んで「いかに出させるか」という攻防をずっとやってます(笑)。

瀬畑 それはすごいと思います。文書は実は、けっこうあるんですよ。でも、官僚は「情報公開って面倒くさい」って思ってることもあって、絞ろうとする傾向があります。例えば「日米地位協定に関する全ての文書」と請求されたら向こうも困るわけで、そうすると「どれが欲しいんですか」という電話がかかってくる。それで、だんだん絞り込まされる。で、例えば議事録が欲しいと言うと「議事録はない」と。でも実は「議事概要」はあったり。議事録を請求すると「議事録に附属している文書」が出てこない、とか。とにかく官僚側はすごく狭く狭く解釈しようとする。たぶん面倒くさいということも、警戒しているということも、両方あるんでしょう。でも布施さんはそこで諦めないのがすごい。新聞記者でも心が折れて諦めちゃう人が多いんです。諦めずにやろうとしたのはなぜですか。

「マスメディアは意外に公開請求を使わない」

布施 ひとつは、最初の法務省の対応があまりにひどかったので、官僚たちのこういうやり方に屈してはならないと強く思ったからです。あとは、僕のようにマスメディアに所属せず、記者クラブに入れないジャーナリストにとっては、情報公開制度は政府から情報をとる数少ない手段だからです。

防衛省の日報隠蔽問題の時には、僕自身が当事者になったので、マスメディアの取材をたくさん受けたんですけれども、「本来こういう情報公開請求は私たちマスメディアがやっておかなきゃいけないことだったんですよね」と記者の人から何度も言われました。マスメディアの人たちは、情報公開制度を意外に使っていないんだなと感じました。

日本には記者クラブ制度というのがあって、マスメディアに所属してないと入れません。そして、政府の各省庁は、記者クラブのメンバーにしか記者会見への出席を認めないとか、記者クラブには出す情報も記者クラブに所属していない記者には出さないこともよくあります。つまり、記者クラブに所属していないと、政府内部の情報になかなかアクセスできないんです。

情報公開制度を使うと何ヵ月、ひどいときは3~4年待たされることもありますが、官庁の中に入って直接取材して情報を取れる記者クラブの人は、そんな面倒なことをする必要があまりない。でも、記者クラブ制度によって政府内部の情報へのアクセスがブロックされている僕は、誰でも権利として請求できる情報公開制度を最大限使おうと思って使い続けてきたんです。

瀬畑 なるほど。ただ、マスメディアの中でも、毎日新聞の社会部はけっこう情報公開請求をかけるんですよ。情報公開で出てきた文書の裏を、当事者に取材してさらに情報を取りに行くんです。正面から行きつつ裏も取る。すると「他にこういう文書もある」とわかって、それに公開請求をかける。そして毎日新聞が面白いのは、「ない」ことを報道する点です。記者の多くが、公文書そのものがないとだいたい諦めますが、毎日新聞社会部は「本来こういう文書が残っていないのはおかしい。なぜ残ってないのか」と書くんです。本来なくてはいけない文書って、いっぱいあるはずです。

布施 そうですね。僕は南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣されていた自衛隊の部隊の日報を公開請求したんですが、ないとおかしい日報が「既に廃棄されていて存在しない」という決定通知が来たので、「こんなんじゃ自衛隊の海外派遣について検証できないよ」とツイッターでつぶやいたんです。それをマスメディアが拾ってくれて、東京新聞は一面トップで大きく「黒塗りより深刻」って書いたんです。「ない」こと自体を重大なニュースとして取り上げてくれた。開示されたけれど、出てきたものは「のり弁」のように真っ黒に塗りつぶされているということはよくありますが、それより悪いと。それが火をつけた面もありますね。

瀬畑 そうですよね。最近安倍首相の「桜を見る会」が話題になってますが、問題になってるのは、名簿を捨てたという話です。招待客に安倍支持者がいっぱいいるんじゃないか、前夜祭にも何百人も集めてやってるんだから、名簿があるはずです。なのに「名簿は残っていない」と言う。1年未満で捨てていると内閣府が説明していて、おかしいんですよね。

「桜を見る会」や園遊会、勲章の叙勲もそうですが基本は省庁推薦なんです。例えば勲章だと内閣府の賞勲局が毎年秋とか春に各省庁に「推薦者を出せ」と通達します。各課ごとに何人、という枠が割り当てられていて。社会福祉関係で何人とか老人福祉関係で何人、みたいな名簿を作って、推薦理由を書き、提出する。おそらく「桜を見る会」も同じで、各省庁ごとに推薦枠がある。そして推薦する側は5年とか10年保存するんです。推薦する側は、来年度の業務に使うから文書を残すのは当然ですから。

布施 各省庁の推薦とは別に、安倍首相の後援会の人が850人参加しているって、報道されてますね。(*その後、「桜を見る会」の出席者には、首相枠、首相夫人枠まであることが判明)

「南スーダンの自衛隊の映像記録が「私的記録」?」

布施 今、自衛隊が海外に派遣される時は危険な紛争地に行っているので、戦闘に巻き込まれたり自衛官が武器を使ってしまう可能性もあります。そうした場合に、それが例えば国際人道法違反などに問われる可能性もあるので、自衛隊は常に映像で記録しています。たくさんカメラを使って、今はもう自衛隊員ひとりひとりにカメラを付けて記録するようにしているほどで。南スーダンに派遣されている時、自衛隊の宿営地の目の前で戦闘が起こって日報で問題になった事件も、記録した映像を僕は開示請求したんですが、数分の映像が1点しか出てきませんでした。でもおそらく全部保管されているはずです。あるのに「公的記録ではない」「行政文書ではない」などと理屈をつけて出さない。でも、あれを私的に撮っているわけがないですからね。

瀬畑 でしょうね。公文書になる三条件というのがありますが、ひとつは「業務上作成・取得している」。つまり仕事上で作ったり受け取ったりしているということ。二つ目は「組織で共有されている」、つまり個人的にとったんじゃなくて組織的に使われているということ。三つめは「今もその部署で保存されている」。この三つを満たすものが公文書、行政文書と言われるものなんです。だから自衛隊の映像記録も公文書です。もし私的に撮っているなら自分のポケットマネーで撮らなきゃいけないんで、その予算はどこから出たんだという話になります。だから本当は撮ってるはずだし、税金を使って撮ってるんだから絶対「公文書」なんです。だけど、そう認めると開示請求されるので「撮ってない」とか「捨ててしまった」ことにする。

日報問題でよくわかりましたが、防衛省の中では、たぶん原本を捨ててコピーを取ってあるんじゃないか。「コピーは公文書じゃない」と彼らは言えるから。本当はコピーだって業務に利用していれば公文書なんですが、そういう言い訳で情報公開法をすり抜けようとしているのが、布施さんの事例から見えてきます。自衛隊の映像も「映像の原本を捨てた」ことにして、実際にはどこかの部署のハードディスクか何かに入っているはず。「ない」とされていたイラク派遣陸自の日報も去年、防衛省から出てきましたし。

『国家と記録 政府はなぜ公文書を隠すのか?』の著者・瀬畑源氏

布施 おそらくそうですね。それは国民の知る権利が損なわれているという点で問題です。日報問題でもそうでしたが、外務省に僕が日米地位協定に関する交渉記録を請求したら、タイトル以外ほとんど真っ黒になって出てきたんですよ。最近の話です。でもその文書は外務省が持っている外交史料館で、数年前に全部フルオープンしていた文書だったんです。自ら数年前にフルオープンしていた文書を、真っ黒に黒塗りして出してきた。

何でこんなおかしなことが起こるかというと、れっきとした行政文書なのに行政文書ではないとか言って姑息な情報公開逃れを重ねてきた結果、自分たちでもわけがわからなくなってるんですね。重要な外交記録が、きちんと管理されていない。それで、過去にみずから公開した文書でも黒塗りして出してしまったり、探すのにすごく時間がかかったり。要は非効率になっちゃってるんです。

今回の外務省の件でも、何でこんなことが起こったんだと聞くと、「忙しくて(外交史料館ですでに公開していることを)チェックし切れなかった」と言うのですが、あまりにもおそまつです。官僚が自分たち自身でも文書を管理できてないという非常にまずい状況になっているんじゃないかと思います。

「民主党政権の岡田外相は情報公開に積極的だった」

瀬畑 そうですね、本当にできていないんだと思います。布施さんの事例は民主党政権時代に岡田外相が確か出していましたよね?

布施 そうですね、民主党政権のときに岡田克也外相のイニシアティブで「外交というのは国民の理解と信頼のもとに交渉していかないと外交力が弱くなる。だから今後は、なるべく情報は公開していく」ということで、1960年の日米安保の交渉のときの記録を、アメリカではもう既にほとんど全部公開されていたんですけども、日本側でも公開しました。

瀬畑 そうなんですよね。岡田さんは『外交をひらく――核軍縮・密約問題の現場で』(岩波書店、2014年)という著書の中で、「外交文書というのはきちんと公開しないと国民の外交力が落ちる」という意味のことを書いています。隠し通していると上のエリートしかわからないという状況になり、国民が外交情勢についていけなくなる、と。例えばさっきの地位協定の裏の密約がきちんと公開されていれば、なぜ沖縄で今あんなひどいことになっているのかを多くの国民が知るはずなんです。でもそれが知られない状況になっていて、その結果、日本政府やアメリカに対して国民からの圧力もかからず、地位協定やその裏の密約も変えられないままです。

「公文書は公文書館に移管すべき」

もともと外務省には、そういった情報をきちんと管理し切れないところがあるんです。外務省って、すごく多くの情報公開請求をかけられているところで、今の北朝鮮問題から、昔の日米関係とか、片っ端から情報公開をかけられている。そして昔から公開が遅いことで有名です。2001年に情報公開法ができたときは、本当に遅くて1、2年も待たせて批判されてます。もともと文書の量も多いし。

でも実は、公文書が一番きちんと残っているのは外務省と宮内庁なんですよ。外務省と宮内庁にとっては途中過程が大事だからなんです。経済産業省とか他の政策系の省庁にとっては、途中過程はどうでもいいんです。決まったことで動いているから途中過程は全部捨てる。でも外交交渉というのは途中が絶対重要じゃないですか。そうすると、外務省では、どんどん公文書が増えていくんです。そこで過去からの事情を全部知っている人が果たして何人いるのか、という問題にもなってくる。しかも、そういう文書を外交資料館に渡さず、50年とか60年前の文書まで自分で持とうとしている。「管理し切れないなら外交史料館(公文書館)に渡してしまえ」と思いますが、どうしても日米関係や地位協定の文書になると、渡したがらないし公開したがらない。後生大事に自分たちで持つわけです。でも請求をかけられると困っちゃんですよ。たぶん経緯がわからないし保管場所もわからない。そうすると、今回の文書も「1万ページぐらいある中から頑張って若手が探し出した」とか言ってるんですけど、事情がわかっていない状態でやっているからミスが起きてしまう。

30年たったら全部外交史料館に渡して、そこで公開すればいいだけなんですよ。そこには公開とか非公開とか判断できる専門的な人(アーキビスト)がいますから。でもそこに渡さないで自分たちで持っていて、自分たちの首を絞めているという状況だと思います。

布施 今回の文書は外交史料館に2009年に移管してるんですよね。原本は外交史料館に移管していることを僕も確認しました。でも外務省はおそらくコピーを持っていて、外交史料館ですべて公開しているのに気づかず、自分らで黒塗りして出しちゃったんでしょう。僕はそれに異議申立てをして「これ、公開されているじゃないか。だからもう一回調べて出してくれ」と。でもそれに対しても「いや、出してません。これを公開すると、アメリカとの信頼関係が損なわれ、外交に支障が出るかもしれないから不開示にします」と反論してきました。これにはさすがに、「外務省、大丈夫か......」と不安になりました。

瀬畑 ダメですね(苦笑)。たぶん外交史料館を外務省の職員自身が使いこなせていないんでしょう。外務省の中で外交史料館ってあまり重きを置かれていない。だからその知見を有効に使えていない。そして外交史料館も人数が足りてないから、研究者が請求してもなかなか出てこないとか、作業が追いつかないみたいな状態になっているようです。そもそも外務省自体の情報公開への対応も、2001年の情報公開法施行から20年近くたってるのに、いまだにあまり改善されてなくて、「現場の根性で何とかしろ」みたいになっている。そういうやり方をしている限り同じことが何度でも起きますよね。

布施 悪循環ですね。朝日新聞が外務省日米安保課の地位協定室に取材したら、通常業務プラス情報公開対応で、文書を探して黒塗りとかする作業のために休日出勤して、嫌になってやめた若手職員もいる、と。なぜそうなるかというと、それを専門的にやるスタッフもいないし、人手が足りない。体制的に無理なんです。これを何とかしないと本当に悪循環で。開示請求する側の僕たちも「いかに開示しないか」という官僚の方針があるから、広く網をかけて請求しなくちゃいけなくなってる。すると結果的に向こうの業務量も増えるし、どんどん悪循環になっていく。

瀬畑 たぶん文書管理を専門に担当するような人をもっと増やしたりしなきゃいけないんだけど、全くそこに人を割いていない。前にも言ったみたいに30年たったら全部手放せばいいんですよ。公文書館や、外務省なら外交史料館に移管して、そこの専門家の人たちの判断で最終的に出す出さないを決めればいい。そういうこともしないし、手放さず持っていても、実際には何を持っているか、自分たちでわかっていない。そもそも目録が全然ダメなんです。

情報公開法ができたときに、行政文書ファイル管理簿という書類の目録を作って公開することになったんですが、この目録がはっきり言って使いものにならない。雑すぎて。あるいは「イラク日報」とか書いちゃうと一発でバレて開示請求をかけられるんで「海外派遣部隊××文書」みたいな、よくわからない名前にしておく。でもそのせいで、中の人も探せなくなるんです。そうすると職人芸の世界になるんです。ある文書がどこにあるのか探せと言われても、キャリアの人は文書のありかなんか知らない。ノンキャリアで昔からずっとその課にいる生き字引みたいな人が「うん、あれはあそこにあるんじゃないかな」とか言って、書庫に行って、勘で探し出すみたいな(笑)。

文書をきちんと目録化して管理していないし、情報公開請求されたくないから文書名を曖昧にする、そのせいで中の人も探せないとか、探すのに時間がかかる。そういうムダが積み重なって情報公開請求がどんどん怖くなってくるんでしょう。

布施 そもそも情報公開法や公文書管理法には、「主権者である国民が行政の政策決定プロセスなどをちゃんと検証するのが民主主義にとって不可欠な機能だ」という前提があって、そのために、しっかりと記録を残して、なるべく情報公開する、というものです。でも官僚側からすると、「なるべく知らせないほうがいい」という、本来の趣旨とは違う方向にベクトルが向かっているんですよね。

瀬畑 ですね。官僚の人たちって、基本的には知らせなくないんですよ。「決まってから知らせる」という人たちですから、途中過程は知らせたくない。途中過程を知らせると、自分たちがやっていることに対して、いろいろ言われる可能性も高まるわけです。

「権力の源である情報を独占する自民党政権と官僚」

野党がよく国会で「どうしてこうなったのかという文書を出せ」と言うと、官僚って、大事なものを出さないんですよ。要するにそれを出すと審議に差しさわりがあるから、などと言って。でも国会議員には出すべきですね。

結局日本の国会って、今までずっとそうなんですけど、野党に対して「こういう法案ができました」という結果しか出してない。「どうしてこれがこういうことになったのか」という政策決定の部分をろくに野党に見せないで審議が行なわれている。だからよく、「野党の言っていることがズレている」とか「野党は非現実なことばかり言っている」とか、したり顔で言う人がいますけど、それは野党に情報が与えられてないからです。情報がないから、そういう言い方しかできない。

布施 本当にそうですね。自衛隊の海外派遣についてもそう。陸上自衛隊が初めて戦闘が続いている国で活動を行なったのはイラク派遣なんですけれど(*政府は、戦闘が続いている国であっても「非戦闘地域」であれば自衛隊は活動できるというロジックで派遣)、活動が終了してから国会に報告するのは「水をどれぐらい配った」とか、「結局、犠牲者は誰もいませんでした、成功しました」というすごく表面的な結果だけなんです。

でも実際は、戦闘になって自衛官が死んでいてもおかしくないような紙一重の局面もあったわけですが、そういうことはほとんど報告されないので、国会でリアルなリスクが検証されない。それで、「誰も死なずにうまくいった。じゃあ、もっとやろう」みたいな感じでこれまで進んできたので、それはちょっと違うだろう、と。ちゃんと中身を検証した上で今後どうしていくかという議論をしなくちゃいけないのに、国会にさえそういう表面的な結果しか出されないというのは、非常によくないと思ったんです。

瀬畑 そう、本当にそういうふうに進んでいますね。この本より前、秘密保護法ができた時に私は『国家と秘密』という本を久保亨先生と二人で出したんですが、その冒頭で書いたのは、「秘密保護法ができて、情報が出てこなくなるってみんな騒いでるけど、そもそも情報これまで出てきてたの? そういう状況を、皆さんはどこまで知っていますか」ということです。

日本って政権交代がほとんどなくて、自民党政権がずっと続いています。政権交代がないと、必然的に自民党と官僚が情報を独占している。情報って権力の源なんですよ。情報は持っているほうが絶対に強いですから。「官僚はもともと情報を自分たちで隠し持とうする習性がある」とマックス・ウェーバーが言っているように、官僚が自分たちのやりたいように何かを進めるには、人に教えないほうがいいんです。教えちゃったらカラクリがバレるから。カラクリをバラさないようにしておいた方が政策は進めやすいんです。

そういう傾向が元々あるから情報公開が必要なんです。一般の人からもアクセスできるようにするという意味でも。ただ日本の場合は、どうしても長期間政権を握っている自民党と官僚が情報や文書を独占し続け、彼らはそれが権力の源だ、とわかっている。だから野党にはできるだけ出さないし、一般人から請求されても限定して出すべきだ、という考え方になっている。長期政権が続いているがゆえの弊害です。

布施 民主党政権は、いろいろ問題もあったと思うんですが、あの時に政権交代をして、特に外務省は岡田外相のもとで、アメリカの公文書館で見つかった公文書の中の密約も「ちゃんと調査しましょう」と調査し、やっぱりあったことを認めました。「ある」というところから「じゃあ今後どうするのか」という議論が始まるわけですよね。でも歴代の自民党政権は「そんなものはない」と言い続けていたんです。そういう意味でも、政権交代というのは非常に重要だと思いました。

瀬畑 政権交代の意味は大きかったですよね。特に岡田さん。

「公文書管理は行政の効率化のためにも必要」

布施 これからどうしたらいいですかね。せめてアメリカみたいにきちっと外交などについて記録に残して、公文書館に移管して、何十年かたったらしっかり公開して、後からちゃんと検証して、よりよい外交や行政について議論ができるようにするためには......。インフラ的なもの、人や予算、公文書館などをもっと整備しなくちゃいけないと思うんですが、情報公開とか公文書館って地味というか、ふだんなかなか注目されることもないし、票に結び付くこともあまりないので、どうしたら変えていけるかな、と。

瀬畑 これは本当に難しい問題ですね。でも公文書管理法という法律は、国民に対して説明責任を果たすというだけでなく、行政の効率化という面もあるんです。先ほども外務省の話がありましたが、行政って相当非効率で。いろいろな省庁に情報公開請求をかけるとよくわかるんですけど、各省庁ごとに、あるいは各課ごとに、出てくる文書の形式が違ったりしていて。そのせいでなかなか効率が上がらないという問題もある。本来なら行政の効率を上げるために文書をどういうふうに作るべきかとか、いちいち「隠すとか隠さない」とか考えずにバーッと自動的に作ってどんどん公文書として登録していって、検索しやすくするとか、行政の効率を上げるためにも、公文書をもっときちんと管理すべきなんです。今、内閣府が電子文書化ということで一応そういうことをやろうとしている感じはあるけど、うまくいくかどうか定かではないです。

ただ、そういった文書管理ができる専門的職員を育てるということも本来必要なんですが、そこになかなか関心がいかない。それは、国民の側の問題でもあります。公文書をどう管理するかとか、情報公開とかに関心がなく、情報公開請求というのは、私や布施さんみたいな「特殊な人」がやるものだ、と皆思っている節があるので。

「実は情報開示請求の手続きは簡単」

布施 情報開示請求というのは、僕も正直、最初に使うまではすごく面倒くさいのかなと思ってました。でも実は簡単ですよね。請求したいものを書いて、印紙を貼って郵便で出せば勝手に進めてくれますから、実際に自分でやってみると、「思ったより簡単だな」と思うはずです。最初はハードルが高いかもしれないけど。

瀬畑 簡単ですね。国に対する情報公開請求とかいうと難しそうに思いがちですが、例えば市町村レベルとか、そういったところで起きていること、例えば最近台風や水害でかなり被害が出ましたが、どういう対策をとっていたのかとかいうことを、市町村に情報公開請求をかけてみると、いろいろなものが出てくるはずです。そういった情報公開請求というのは別に特殊な人のためのものではないんですよ。でも情報公開を使う人は特殊だと見られたり、そういうものに関心があると「左翼じゃないか」と言われたりすることもありますが、そんなことはありません。

布施 「政府が公表していない外交や防衛の情報をわざわざ取りにいこうとするヤツはテロリストじゃないか」みたいな(苦笑)。

瀬畑 違うんですよね(苦笑)。本来はもっとよくしようと思って請求をかけてる人がいっぱいいるわけです。実際の話、「自衛隊の現状をもっとよくしよう」とか、そういうことにだって、情報公開は使えるはずなのに、「使うのは特殊な人だ」という偏見みたいなことが国民の側にもあって。

「「どうしたら変えていけるのか」というところまで関心を持ち続ける」

瀬畑 でも、実際に公文書がきちんと管理されていなければ情報公開は機能しないんです。だけど国民の側に関心がないからプレッシャーがかからず、こういったものが全然良くならない。森友とか加計の問題で、やっと「公文書は何かおかしい」と気づき始めた人が結構いると思うんですけど、長続きしないんです。「どういうふうに文書を管理していたからあんな問題が起きたのか」というところまで関心が行かない。

この『国家と記録』という本の後ろの方で情報公開クリアリングハウスの三木由希子さんと僕が対談していて、その中で三木さんが言っているのは、「みんな墨塗りだといってワアワア騒ぐけど、なぜそうなったのか、とか、じゃあ、それをどうすれば剥がせるのか、とか、そういうところの関心が皆さん、全くないですよね」ということです。どういうふうにこれを変えていくか、というところに皆さんの関心がいかないと、ただ「墨を塗られているからけしからん」「隠蔽だからけしからん」「安倍はけしからん」だけで終わっちゃう。

それは教育の問題とも関わりがあるのかもしれません。本当は高校の公民や現代社会の授業で、もっと情報公開について教えるべきです。実際に使ってみたり、それで行政のあり方についてどう考えるかという体験をさせてみたり。本当はそういうことを地道にやらないと、日本の「お任せ民主主義」というか「自民党に任せておけばいいんじゃないか」みたいな考えは変わらない気がします。自分たちの側の意識をどう高めていくかが、かなり大きいです。

布施 瀬畑さんは『国家と記録』の序章でこういうことをお書きになられてますね。「市民参加により民主主義を根づかせるには、さきに触れた野口(雅弘氏の『忖度と官僚の政治学』)が述べるように、『決定の負荷』にどこまで市民が耐えられるのかという問題になります。市民参加による『熟議』は利害対立の調整にもどうしても時間がかかる。それは市民参加のコストです。しかも、昨今は企業でも大学でも、トップダウンで即決していくことがもてはやされ、ボトムアップで積み上げていく手法は批判されることが多いように感じます」と。つまり、市民の側も面倒くさくて時間のかかる行政とか政策決定プロセスに積極的に参加するんじゃなくて「リーダーシップのあるトップがトップダウンで早くズバッと決めてくれたほうがいい」というような意識があるんではないか、と指摘されていて、本当にそうだなと思うんです。

「コスタリカでは「権力は情報を隠ぺいする」と小学生に教える」

布施 コスタリカの小学校では、学校の教科書にこう書いてあるそうです。「政府や権力は情報を隠蔽する。だからちゃんと国民がチェックして監視しないといけないんだ」と。こういうことを学校で教えるんです。すごく大事だと思います。日本ってそうじゃないじゃないですか。「お上は常にうまくやってくれる」「ちまたの我々は日々の生活を一生懸命やって、まつりごとは上のほうでうまくやってくれ」みたいな。そうじゃなくて「権力というのは国民が黙っていると情報も隠蔽するし、自分たちの一部の人の利害のために動くから、しっかりチェックしなきゃいけなんだ」と、ちゃんと民主主義のメカニズムとして学校教育で教えることが非常に大事だと思います。

情報公開請求で南スーダン自衛隊日報隠蔽問題を暴いたジャーナリスト・布施祐仁氏

瀬畑 そうですね。本当は高校くらいでやらなきゃいけないと思うんですが。日本って教育現場で「政治的中立性」っていうことを言われ過ぎてると思います。高校レベルぐらいになったら、多少偏っていても言っちゃっていいことがたくさんあるんじゃないかと。だから私は大学の授業で最初に「私の言っていることは信用するな」と言ってから授業を始めるんです。「私たちが言っていることを覚えようとするんじゃなく、疑ってください」と。でも大学生からそれをやらなきゃいけないのか、と......(苦笑)。でも「先生の言っていることも疑わなきゃいけない」なんて高校まで教えられることはあまりないですね。何でも丸暗記しなきゃいけないんだから。

布施 そうですね。僕は小学校のときにアメリカに父親の仕事で行っていたんですが、アメリカの小学校の授業って、どんどん自分で発言して、生徒一人一人が参加していくんです。で、日本に帰ってきてからも、先生の言うことにひとつずつ手を挙げて「それはおかしい」とか発言していたら、通知表に「協調性がない」とか書かれて(苦笑)。「先生の言うことに疑問を持って自分の意見を言うというのはけしからん、協調性がない」とみなされるというのにカルチャー・ショックを受けました。そういうところから変えていかないと。「権威のある者に対して自分の意見を言うこと自体がいけないことだ」という中で育っていくと、権威者に疑問を持たない大人になる。そういうところが今の日本の状況の根っこにあると思うんです。

瀬畑 そう思いますね。本当に根深い話で。それで組織とか権威者を守ろうということになった瞬間、いきなり文書を捨て始めるとか、隠してしまうとか。

「上に対して逆らうこと自体が悪ではないのか」というような意識の積み重ねのせいで、公文書隠ぺい問題も、なかなか悪事として認識されないんだろうと思います。根深過ぎてどこからやればいいのかとも感じますが「地道にやっていくしかないね」と思って、とにかく自分のできる範囲内でやるしかない、と今回の本を書いたりしているわけです。

布施さんや毎日新聞みたいに情報公開請求をして、それによってさまざまなことが明るみに出ると「自分もやってみよう」と思う人や、「文書が作られないこと自体おかしい」と思う人も増えていくと思います。そうやって「権力にタテ突いても別に問題ないんだ」という意識改革を、少しずつ身の周りから積み重ねていくしかないかな、と。

布施 そうですね。南スーダンの日報問題の時も、あれだけメディアに取り上げられたんで「大丈夫ですか」とか「危ないことはないんですか」とよく聞かれたんですけど、僕は法律に基づく権利を行使して情報公開請求しただけで、何も悪いことをやっていませんからね。

「稲田大臣辞任で日報問題が終わったわけではない」

防衛省の日報隠蔽問題も結局、稲田防衛大臣という象徴的な人が辞めた時点で「終わった」というふうに思われちゃったんですが、それはひとつの大きなトピックでしたけど、そこが重要じゃないんです。

それまで自衛隊の海外派遣部隊が作成した日報や週報は行政文書として保存されていないとされていたのが、あるものは行政文書として管理され、時間が経っても廃棄せずに国立公文書館に移管するということになりました。これにより、今後は開示請求をかければ出てくるようになったので、これまでの自衛隊の海外派遣を検証する上で非常に貴重な資料群となります。

この成果を活かして、今後はこの資料群を使って「これまでの20年間の自衛隊の海外派遣がどうだったのか」という検証をやる新しいフェーズに入ったと思うんです。でも、残念ながら、そういう議論はほとんど聞こえてきません。先ほども、盛り上がって一時的に騒ぎにはなるけれども「その後どうするのか」という議論が不足している、という話がありましたけれども、本当にそうだと思います。

瀬畑 追いかけていく人がもっと増えなきゃいけない。たとえばアメリカではそういうのを専門にやる巨大なNPOがあったり社会的基盤が日本とは違いますね。

布施 そうですね。ああいうNPOが日本にも必要です。やはり、ひとりでは限界があります。今回存在が確認された過去の自衛隊海外派遣の日報は、膨大な量があります。枚数にして、おそらく全部で何十万の量になるでしょう。これを全部開示させるには、数百万円規模の手数料がかかる。とても個人じゃ無理です。だからNPO的なものが日本にも作れたらなと思いますね。

「情報公開は「民主主義のコスト」だ」

瀬畑 アメリカでは国防関係のNPOとかには専門スタッフを大勢雇って、年間予算何億とか、すごい金額の寄附を集めて国防総省のやることを片っ端から情報請求かけまくるみたいな団体があるんですよね。それを全部スキャンして、全部ネット上に上げていくみたいな。すると国防総省も対抗してきて、「トラック一台分の文書くれてやる、分析できるなら、してみやがれ」みたいな感じで来るらしいんですが(笑)。でも、そうやって公開すること自体は健全だと思います。その上、公益性が高い場合はタダなんです。日本の場合はコピーするのに1枚10円ですから。公開請求に印紙もいるので、たくさん公開請求すれば、それだけお金がかかる。この差は結構大きいです。

情報公開というのは民主主義のコストなんです。そこに対して税金を使うことに関して、同意があるべきだと思います。公開にかかるお金は公益性があるものならタダにすべきです。それによって、少しでも使いやすい制度に変えていかないと。お金の面のハードルも、今は高過ぎると感じます。そして、もっと組織的にできる仕組みができるといいですね。今はみんな自腹を切って頑張っているんで。この本の最後で私と対談してくださった三木由希子さんも、「情報公開クリアリングハウス」というNPO法人をほぼひとりでやってますから。そういう状況だと、なかなか輪が広がっていかないので、そこをどう変えていくかは、もっと検討されなきゃいけないことですね。

「隠蔽体質を変えるには政権交代。それまでは情報を請求し続けるしかない」

――森友・加計問題以来、公文書の隠ぺいや改ざんだけでなく、できるかぎり公文書に記録を残さないという方向になってしまっているようですが、これに対しどうすればいいでしょう?

瀬畑 本当に構造を変えていくしかないので、政権交代するしかないんでしょうね。与党も、野党に落ちると途端に情報がとれなくなりますから、普通はその時のことをもうちょっと考えるんですよ。だけど今の自民党は「自分たちは野党に落ちない」と安心しているし、官僚のキャリア組も「とりあえず自民党についていけばいいだろう」と考えて、中立性がなくなり、最終的には「自民党のためには文書は残さないほうがいい」と判断してしまう。野党だって政権を取ったら豹変する可能性はゼロじゃないですが、現政権下でこれだけ大きな問題が起き続けているし、ますます公文書を作らなくなるだろうと予想がつきます。

これにどう対応するかというと、結局我々が請求していくしかないんです。請求し続けて「何でこれが作られてないの? 前は作ってたのに?」と突き詰めていくしかない。そして「公文書の中身がスカスカになっちゃったのはなぜ?」とか「前は審議会で議事録を作っていたのに、何で議事要旨しか作らなくなっているの?」と追及し、監視していくしかないと思います。自民党が下野してくれるならいいんですけど、残念ながらそういう感じはないので、官僚が誰を向いて仕事をするのかが限定されてしまっている。

その中で大きく変えていくのは簡単ではないと思いますが、情報公開を使う側がもっと努力し「もっと開示しろ」と、積極的に働きかけ、その中で「これがないのはおかしい」と言っていくしかないのかなと。でも今後、厳しい状況になっていく可能性はあると思います。我々の生きている時代を30年後、歴史としてどこまで描けるのか、みたいな問題にかかわってきている時代だと思います。

布施 僕が思うのは、情報公開逃れをするために文書を作らないということが横行していくと、国民の知る権利が損なわれるだけでなく、行政そのものにとってもまずいんじゃないかと思います。要するに、「官僚組織の中で情報を共有する」ということができなくなるんじゃないかと。特に、防衛省・自衛隊なんかは26万人を擁する巨大組織ですし、武装した実力組織、危機管理官庁ですので、情報共有が死活的に重要です。それを「情報公開したくないから」という理由で文書を作らない、例えば日報を作らないとなってきたら、実際に危険な紛争地にいる部隊と、日本にいて指揮する側で情報が共有されないということが起こるかもしれない。これは隊員の方々の命に関わる話になってくるわけです。そうなってくると、防衛省・自衛隊の内部からも「それはおかしいだろう」という声がさまざまな形で上がってくる可能性があると思います。もちろん、内部から声を上げるのは容易ではないので、「声なき声」をくみ取って外からも声を上げていくことが重要です。

あとは、やはり政権交代ですね。これだけいろいろな事案が起こっていますから。僕は、隠蔽も深刻だけど改ざんってより深刻だと思うんです。正確に記録されずに、都合が悪いことは書きかえられてしまうということだと、「じゃあ、何をもとに国会で議論すればいいのか」という話になる。国会で議論するベースとなる情報が改ざんされたものなら、もう民主主義が成り立たなくなると思うんです。それが一度ならず二度三度と続くということは、「もはや今の政権に再発防止はできない」と言わざるを得ない。それなら、もう違う政権に託して、この政治を変えてもらうということも必要ではないかと。

消費税など暮らしの問題を中心にいろいろなイシューがある中で、情報公開って地味で普段はなかなかイシューになりにくいけど、次の国政選挙では大きな争点になるはずです。野党にはひとつの大きな争点としてこの情報公開・公文書管理の問題を取り上げ、思い切って大きく改善する政策を出してほしい。そういう政策を掲げる政権に一度委ねてみるのも、ありでしょう。もちろんそれがうまくいくかわからないけれど、少なくとも同じ過ちを繰り返している安倍政権にはこれ以上任せておけない。公文書の隠蔽や改ざんは「ノーだ」というところをしっかりと有権者の意思として表明することが必要ではないか。そういう段階に来ていると思います。

瀬畑 そうですよね。民主党政権は何もやってないとか言われてますけど、結構いろいろなことをやっているんですよ。先ほどの外務省も、実際に岡田外相のときに相当に情報公開が進んだし、文書を外交史料館に送って、そこで開示するというのが岡田さんのときに制度化されて、かなり実際に進んだんです。マンパワーが足りないから大変だ、みたいな話にはなっていますけどね。

民主党政権は、本当は情報公開法も改正しようとずっと議論していたんですよ。ただ民主党というのは熟議をするので、すごくいろいろな手続きを踏んで議論していたら東日本大震災が起きちゃって、改正案が吹っ飛んじゃったんです。本当はあれを無理やりにでも通しておけばよかったと、今でも思うんですけど。

民主党政権はそういうことをやろうとしていたし、予算の透明化みたいな話もしてました。実際、「予算案の概算請求書」は、今でも公開されてるんですよ。「何をどのくらい予算請求しているのか」を、民主党政権の時に公開することになったんです。そういった公開の意識があるのはいいことだと思います。私は別に民主党系の回し者でもなんでないんですが、今の自民党はどうしても権力を持っていて、「情報を握る」ということ自体に意味を感じている人たちですから、自民党政権に自浄作用を求めるというのは相当厳しいと感じます。今のまま行けば、どんどん公文書の中身がスカスカになっていく可能性が高くて、危機的状況だと思いますね。

瀬畑源(せばた はじめ)
1976年、東京都生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。一橋大学博士(社会学)。長野県短期大学を経て、立教大学兼任講師、成城大学非常勤講師。日本近現代史(天皇制論)・公文書管理制度研究。主な著書に『公文書管理と民主主義:なぜ、公文書は残さなければならないのか』(岩波ブックレット)、『公文書問題 日本の「闇」の核心』(集英社新書)、『公文書をつかう』(青弓社)、『国家と秘密 隠される公文書』(久保亨氏との共著/集英社新書)などがある。

布施祐仁(ふせ ゆうじん)
1976年、東京都生まれ。ジャーナリスト。『ルポ イチエフ 福島第一原発レベル7の現場』(岩波書店)で平和・協同ジャーナリスト基金賞(大賞)、日本ジャーナリスト会議によるJCJ賞を、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(三浦英之氏との共著/集英社)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。著書に『日米密約 裁かれない米兵犯罪』(岩波書店)、『経済的徴兵制』(集英社新書)、『主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿』(伊勢崎賢治氏との共著/集英社クリエイティブ)など。現在、「平和新聞」編集長。

瀬畑源『国家と記録 政府はなぜ公文書を隠すのか?』(集英社新書、本体840円+税)