X線分光撮像衛星「XRISM」。前身となった衛星の設計を引き継ぐことで工程を大幅に短縮できた X線分光撮像衛星「XRISM」。前身となった衛星の設計を引き継ぐことで工程を大幅に短縮できた
今年1月に世界初のピンポイント着陸を成功させたJAXAの月面探査機「SLIM(スリム)」。その裏で、世界を揺るがすポテンシャルを持ちながらも、ほとんどの人が注目していないプロジェクトが進行していた。その名も「XRISM(クリズム)」。高性能のX線望遠鏡を搭載した人工衛星である。この裏側には、30年越しの悲願を達成させたJAXAの奮闘があった――。

理学博士(宇宙物理学)であり、NASA、理化学研究所での研究員だったサイエンスライター・佐々木亮が、今回のプロジェクトの研究主宰者を直撃した。

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■SLIMと共に宇宙に向かった衛星

今年1月20日、日本は世界5番目の月面着陸国となった。JAXAの小型月着陸実証機「SLIM」のミッションが成功したからだ。精度が世界に類を見ない水準だったことや、着陸姿勢がちょっぴりマヌケな様子だったことがメディアで連日報道されたため、覚えている人もいるだろう。

さて、SLIMを載せて宇宙に向かったロケットには、もうひとつ国家的なプロジェクトが相乗りしていたことをご存じだろうか。同じくJAXAが主導するX線分光撮像衛星「XRISM」である。

XRISMと月面探査機SLIMを載せたH-ⅡAロケット47号機の打ち上げ前の様子 XRISMと月面探査機SLIMを載せたH-ⅡAロケット47号機の打ち上げ前の様子 XRISMと同時に、2023年9月に打ち上げられたSLIM XRISMと同時に、2023年9月に打ち上げられたSLIM
XRISMは超高性能の望遠鏡などを搭載した、X線を観測する人工衛星だ。宇宙にある物質の80%以上はX線で見ないと観測できないと考えられており、天文学にとってX線は非常に重要な存在である。そしてこの分野を長らく牽引(けんいん)してきたのは日本だった。

X線天文学の起こりは1960年代。天文学の歴史からみると比較的新しいジャンルである。研究対象はさまざまだが、最もわかりやすい業績はブラックホールの観測だ。それを成し遂げたのが日本人研究者だったこともあり、日本は同分野を牽引する世界トップクラスの研究力を誇っていた。

ところが近年、その評価は大きく覆った。

X線天文衛星「ASTRO-H」は2016年2月17日に打ち上げられたが、同年3月26日に通信が途絶え、4月28日に運用が断念された X線天文衛星「ASTRO-H」は2016年2月17日に打ち上げられたが、同年3月26日に通信が途絶え、4月28日に運用が断念された
最大の要因は、2016年に日本が打ち上げたX線天文衛星「ASTRO-H(アストロエイチ)」の運用失敗である。ASTRO-Hは3年を超える運用期間を見込んでいたにもかかわらず、姿勢制御装置の誤作動によりわずか1ヵ月でその幕を閉じた。300億円を超える開発費を投じたミッションの、あまりにも早い幕引き。そのショックは大きく、日本におけるX線天文学は下り坂を迎えた。

しかし、不幸中の幸いというべきか、短い運用期間の中でASTRO-Hが残した成果は世界中の科学者に衝撃を与えていた。そこで、後継プロジェクトに期待が集まったのだ。

そこから7年。XRISMは無事に宇宙へ旅立ち、日本が再び世界をリードする準備が整ったといえる。同プロジェクトの研究主宰者を務める田代信(たしろまこと)博士を直撃し、その胸の内を聞いた!

■入念に入念を重ねるNASA

ASTRO-Hの運用失敗から程なくして、XRISMは16年にJAXAとNASAの共同プロジェクトとして立ち上がった。

「チームには日本人だけでなくアメリカ人も多くいます。いざ動き出すと、とりまとめるのは大変でしたね。特に宇宙空間での不測の事態に対する危機意識に大きな差がありました。

JAXAは『もしものもしものもしも』まで考えて計画を立てます。これはNASAも同じなのですが、彼らはさらに『それでもダメなら』まで対策に組み込みます。そこまでやるのか、と徹底ぶりに驚きました」

危機意識の違いには、これまでの経験も影響しているだろう。NASAは1967年にアポロ1号のロケット打ち上げ演習中に機内で火災が発生し、3人の宇宙飛行士の命を失っている。続いて86年にはスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発によって、宇宙飛行士7人を巻き込む死亡事故にも見舞われた。そのため人命が関わるミッションではないXRISMであっても、慎重な姿勢を崩さなかったのだろう。

XRISMには、ESA(イーサ、欧州宇宙機関)も機器運用や研究への支援で参加している。X線天文学の分野では、世界中の研究者が平等に成果を利用できるように、データや分析ソフトウエアをすべて提供する動きが盛んだ。これを実現するには、欧州の協力が不可欠だった。XRISMへの参画を仰ぐために、田代氏はESAの拠点のひとつであるオランダの欧州宇宙技術研究センターにも赴いたという。

「さまざまな角度からプレゼンをしたのですが、そこで彼らの興味を引いたのは、やはりASTRO-Hの観測データでした。ESAの説得に有効だったのは、何より科学成果だったのです」

ASTRO-Hの前例は、決して失敗ではなかったのだ。

■SLIMの存在が支えになっていた

とはいえXRISMは、後のない状況だったことには変わりない。おまけに、2022年10月、23年3月の2回にわたって、トラブルによるロケットの打ち上げ中断が続いた後でもあった。その重圧をどう受け止めたのか?

「不安はありましたが、一緒に打ち上げられたSLIMの存在が支えになっていました。

国家的なプロジェクトなので打ち上げまでに多くの審査があるのですが、同じスケジュールで進む中で、『え? もうそこまで審査進んでいるの?』といったやりとりもよくしましたね。切磋琢磨(せっさたくま)といったらおこがましいですが、一緒に進んでいる仲間という実感はありました」

そして23年9月、両機ミッションを搭載したロケットが無事打ち上がった。この成功は、日本が宇宙開発の勢いを取り戻すのろしだった。

話はそれるが、SLIMプロジェクトのほうは大成功と評されている。3ステップの成功指標の中で、一般的には2ステップ目まで到達すれば十分成功だ。そして現在、SLIMは2ステップ目まではクリアしており、難度の高い3ステップ目も成功したと判断されつつある。XRISMにも同様に3段階の成功指標が設定されており、これから達成に向けて動き出していく。

SLIMが成功を収めていく様子を、田代氏はどう見つめていたのか。

「プレッシャーはありましたが、嫉妬はなかったですね。素直にうれしかったですよ。打ち上げまでのさまざまな難関も一緒に乗り越え、お互いどこまで進んでいるかを共有し合いながら進めてきました。打ち上げ後の衛星の管制室も同じだったので、目の前で成功した姿を見ていました」

■アナログが4Kになったレベルの進化

NASAやESAを巻き込んでいることからわかるように、XRISMは世界中から注目を集めている。その中でも最も期待を集めているのが、搭載された装置「マイクロカロリーメータ」である。

これはX線を測定する最新鋭の機器なのだが、注目すべきポイントは、過去最高レベルの光の解像度だ。これは虹にたとえると理解しやすい。人間の目では何も気にならない光も、空気中の水滴によって分解されることで、実は7色の光で構成されていることがわかる。マイクロカロリーメータはこれに似たメカニズムで光を細分化していくのだが、分解能力を突き詰めると、光を放っている天体の状態どころか、原子レベルまで探ることができるのだ。

マイクロカロリーメータの開発の歴史は30年余と長く、日本とアメリカが3度の大きな失敗を経てつくり上げた技術の結晶である。初めて搭載されたのは、00年2月に宇宙を目指した日本のX線衛星だ。当時から大いに期待を集めていたが、ロケットの不具合により失敗。その後、再度本装置が搭載されたX線衛星が05年7月に宇宙へ飛び立ったものの、今度はマイクロカロリーメータに不具合が発生し、天体の観測には至らなかった。

面白いのは、相次ぐ失敗に見舞われても、むしろ期待は高まる一方だったことだ。満を持して16年2月にX線衛星ASTRO-Hに搭載され、再びマイクロカロリーメータが宇宙へ向かった。その顛末(てんまつ)は先に記したとおりである。

「XRISMのマイクロカロリーメータは、従来のX線観測装置に比べて30倍以上の改善を期待していました。しかし実際は40倍近い精度が出ており、非常に興奮しましたね。たとえるなら、アナログテレビから4Kテレビになるぐらいの進化が起きています」

XRISMが取得した、ペルセウス座銀河団のX線スペクトル。Fe(=鉄)の存在を示すX線輝線が非常に鋭く立っているが、これは少し前の衛星の精度ではうまく読み取れなかった 写真提供/X-ray spectrum: JAXA, X-ray: NASA/CXC/IoA/A.Fabian et al.; Radio: NRAO/VLA/G. Taylor; Optical: NASA/ESA/Hubble Heritage (STScI/AURA) & Univ. of Cambridge/IoA/A. Fabian XRISMが取得した、ペルセウス座銀河団のX線スペクトル。Fe(=鉄)の存在を示すX線輝線が非常に鋭く立っているが、これは少し前の衛星の精度ではうまく読み取れなかった 写真提供/X-ray spectrum: JAXA, X-ray: NASA/CXC/IoA/A.Fabian et al.; Radio: NRAO/VLA/G. Taylor; Optical: NASA/ESA/Hubble Heritage (STScI/AURA) & Univ. of Cambridge/IoA/A. Fabian
しかしその成果は、一見非常に地味だ。上の写真をご覧いただこう。本装置が生み出すのはキレイな天体写真ではなく、心電図のような連続的な線だ。しかし、この中に宇宙を解き明かす情報が隠されている。

天文学者が注目するのは、写真右上の拡大図にある3本線だ。2.4億光年先にある銀河団を観測したデータだが、この3本線の高さと微妙な幅が未知だった銀河団中のガスの状態を解き明かす手がかりとなった。歴代のX線衛星ではこれらの線がひとつの大きな山に見えていたのだが、これを分解できたことで、マイクロカロリーメータの重要性が知れ渡ったのだ。この事実はASTRO-Hによってすでに明らかになったが、XRISMでも改めて確認されており、今後別の天体にその眼を向けたときの成果が待望されている。

■ブラックホールの形をとらえる

人類はどこから来て、どこへ向かっているのか。XRISMはまさにその解明を目指している。

私たちの体をつくり上げるのに必要な炭素や酸素、生活に欠かせない鉄などは宇宙が生まれてすぐにはなかったと考えられている。あったのは水素やヘリウムといった軽い元素のみで、今の世界とはかけ離れている。XRISMは、これらの元素由来の特徴的なX線をこれまでにない精度で観測し、宇宙の成り立ちを調査していく。

他方で、ブラックホールの形状を明らかにしていくというロマンに満ちた目標も掲げている。ブラックホールは光すらものみ込む重力を持つ天体だが、その全貌を解明するのに役に立つのがX線だ。ブラックホール自体は光らないものの、近くにある物質に含まれる元素はまるで断末魔のようにX線を放ちながら吸い込まれていく。この光をXRISMが観測することで、見えないはずのブラックホールの形が明らかにできると期待されているのだ。

このほか、見たり触ったりすることはできないが必ず存在するといわれているダークマターの研究にも貢献する。XRISMの活躍の幅は、月面着陸の達成がメインであったSLIMとは比べものにならないほど大きいのである。

3月4日に公開された画像。XRISMに搭載されたカメラがとらえた。1006年に超新星爆発を起こした「SN1006」の残骸で、直径65光年の天体である 写真提供/JAXA/DSS 3月4日に公開された画像。XRISMに搭載されたカメラがとらえた。1006年に超新星爆発を起こした「SN1006」の残骸で、直径65光年の天体である 写真提供/JAXA/DSS
XRISMが得たデータのインパクトについて、田代氏は笑ってこう語った。

「世界中の研究者を集めた定例会議でも、話が進まなくなるんですよ。観測結果が共有されるたびにみんながそのデータにくぎづけになっちゃって、議論を始めるから(笑)。検討しなきゃいけない議題は山ほどあるんですけどね。

われわれは約30年間、マイクロカロリーメータの運用を悲願としてきました。それが今実現し、天文学を大きく進めようとしていることがとにかくうれしい。未来のX線天文学は最低でも10年は私たちの時代になると思います」

天文学で日本が世界を再びリードする日はすぐそこだ。

同プロジェクトの研究主宰者を務める田代信博士 同プロジェクトの研究主宰者を務める田代信博士
●田代信(Makoto TASHIRO) 
XRISMプロジェクトプリンシパルインベスティゲータ(研究主宰者) 
1963年生まれ、福岡県出身。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。博士(理学)。専門はX線、γ線、および可視光を用いた宇宙物理学。東京大学大学院理学系研究科助手、埼玉大学理学部助教授などを経て、2007年より埼玉大学理工学研究科教授。2017年より宇宙科学研究所特任教授を併任