「日産が司法取引制度を活用して、特捜部への『内部告発』を行なった時点で、その情報が官邸の菅官房長官に伝えられていた可能性は否定できない」と語る井上久男氏

昨年11月、突然のカルロス・ゴーン逮捕に揺れた日産自動車。1990年代後半、深刻な経営危機に瀕(ひん)していた日産をV字回復へと導いた「カリスマ経営者」の転落は、国内だけでなく世界から大きな衝撃をもって受け止められた。

この逮捕劇の裏に何があったのか? そしてこの先、ルノー・日産・三菱連合の行方はどうなるのか? 『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』を上梓(じょうし)した、経済ジャーナリストの井上久男氏を直撃した!

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──井上さんは朝日新聞経済部時代の記者だった1999年に「日産・ルノー提携」をスクープしました。その井上さんにとっても、昨年11月19日のゴーン逮捕は驚きでしたか?

井上 まさに「寝耳に水」で、本当にビックリしました。もちろん、以前から日産社内でゴーン氏への不満がくすぶっているのは感じていましたし、一部では彼の公私混同的な振る舞いがあることや、巨額の報酬を得ているにもかかわらず「相当なケチだ」という話もあちこちから聞いていました。

ただ、彼の生い立ちを振り返ると、決して裕福な家庭の生まれではありませんし、ブラジルで生まれ、レバノンに渡り、その後フランスで教育を受け......と、多文化、多言語の環境のなかでもまれながら生きてきた人です。そうしたなかで「最後に頼りになるのはお金だけ」という価値観が染みついていたのかもしれません。

とはいえ、まさか有価証券報告書の虚偽記載や特別背任といった「東京地検特捜部に捕まるようなこと」にまで及んでいるとは思ってもいませんでした。

──ゴーン逮捕に関しては、西川廣人(さいかわ・ひろと)社長をはじめ、これまでゴーンの忠実な部下だと思われてきた役員たちがゴーンの不正を告発するという「造反劇」があったことにも驚きました。

井上 そうですね。今回の逮捕劇はゴーン氏の横暴に不満を募らせていた西川社長以下、日産経営陣による一種の「クーデター」だとみていいと思います。

ただし、そうしたゴーンの暴走を許したのは、長年ゴーンの忠実な部下だった西川氏や、元最高執行責任者(COO)の志賀俊之氏ら、「ゴーンチルドレン」といわれる人たちであったのも事実です。

特に東大卒で日産のエリートコースである調達部門出身の西川氏と、大阪府立大卒でマリン事業やジャカルタ駐在など、社内ではやや傍流の出身ながら、ルノー・日産提携後、ゴーン氏に重用され、西川氏を抜いてゴーンチルドレンの「序列ナンバーワン」に上り詰めた志賀氏の間には強烈なライバル意識があったといわれています。

ゴーン氏はそうした彼らのライバル意識を巧みに利用することで、社内の支配力を強めていったのでしょう。

──日産のV字回復を実現した「カリスマ経営者」というゴーンのイメージも、今回の事件で大きく揺らいでいます。経営者としてのゴーンを井上さんはどう評価していますか。

井上 経営者としてのゴーン氏を評価するなら「功罪相半ばする」という感じでしょうか。

中期経営計画で見ると、99年に日産に来てから最初に取り組んだ「日産リバイバルプラン」と「日産180」では大胆なリストラを行ない、アメリカ、中国という二大市場での反転攻勢で大きな成果を上げ、すべての目標を達成。当時は、製造や販売の現場にも頻繁に足を運び、日産をいかに良い会社にするか、心血を注いでいた姿を多くの人たちが目にしています。

しかし、2005年にルノーの最高経営責任者(CEO)を兼務するようになって以降は、月に1週間程度しか日産に顔を出さず、数字上の規模拡大と自らの名声に執着する一方で、企業価値の向上や魅力的な商品の開発がおろそかになってしまった。

私は、経営者としてのゴーン氏を「優秀な外科医」「救命救急医」だと思っています。深刻な経営危機にあった日産の再生や、リーマン・ショック、東日本大震災といった非常時の対応では、彼の果敢な経営手腕が大きな効果を上げるのですが、じっくりと企業のブランド価値を高め、顧客に新たな価値を提供する製品を生み出す、という意味では十分な成果を上げたとは言い難いですね。

──ルノーやゴーンに極秘裏に進められた「日産クーデター」の背景には、ルノーの筆頭株主であるフランス政府が「ルノーと日産の経営統合」を望んでいることへの反発があるともいわれていますが、ゴーン逮捕の背後には、日本政府の関与もあったのでしょうか?

井上 今回の動きに関して、日本政府の直接的な関与があったかといえば、おそらく「なかった」のだと思います。

ただし、横浜に本社を置く日産と、横浜に地盤を置く菅義偉(すが・よしひで)官房長官の関係は非常に近く、今回の逮捕劇の直後にも日産の渉外担当者が官邸を訪れ、菅官房長官に報告をしている。

これは個人的な想像の域を出ませんが、私は日産が司法取引制度を活用して、特捜部への「内部告発」を行なった時点で、その情報が官邸の菅官房長官に伝えられていた可能性は否定できないと思います。

また、戦前に日産コンツェルンをつくり上げた創業者の鮎川義介は、当時商工省の高官だった岸信介元総理大臣、つまり安倍晋三首相の尊敬するおじいさんとも非常に近い間柄だったといわれている人物ですから、政府が検察と情報を共有しながら、事態を見守っていた可能性はあるかもしれませんね。

──ゴーン逮捕で混迷を深めるルノー・日産・三菱連合は、この先どうなるのでしょうか?

井上 日産側は目に見える形での対等を求めています。現在は、ルノーが日産の株式の43%を持つのに対して、日産は15%。フランスの法律で、ルノーの持ち株比率が40%を下回ると日産の議決権が生じるため、まず日産はルノーの持ち株比率を40%未満に落とし、20%前後までルノー株を買い増したいと考えているのではないか。

あるいは三菱がルノー株を15%程度持つことで、日産+三菱の日本連合と、ルノーのバランスを取るというのが現実的ではないでしょうか。

ただ、新たにルノーの会長となったジャンドミニク・スナール氏は強面のゴーン氏とはタイプの異なる一見するとソフトな印象ですが、しなやかで粘り強い「竹」のような人物です。フランス政府とのつながりも太く、日産にとって、かなりタフな交渉相手になりそうですね。

●井上久男(いのうえ・ひさお)
1964年生まれ、福岡県出身。経済ジャーナリスト。九州大学卒業後、大手電機メーカーを経て92年朝日新聞入社。名古屋、東京、大阪の経済部で自動車、電機産業を担当。99年、「日産・ルノー提携」の特ダネをスクープ。2004年に独立し、フリー。著書に『自動車会社が消える日』(文春新書)、『メイド イン ジャパン 驕りの代償』(NHK出版)、『トヨタ愚直なる人づくり』(ダイヤモンド社)ほか

■『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』
(文春新書 820円+税)
ルノーとの提携をスクープし、日産のゴーン体制を誕生から約20年にわたって見続けてきた経済ジャーナリストが、昨年突如として持ち上がったゴーン解任劇の意味を掘り下げる。ゴーンチルドレンと呼ばれる西川廣人社長と志賀俊之取締役のライバル関係、ゴーン以前からあった「独裁者」を生む企業体質、ゴーンによる日産V字回復とつまずき、そして私物化......を徹底検証。クルマのスマホ化という大革命を前に、自動車産業の未来図も洞察する

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