山口県立田布施農工高校酒造蔵部の生徒たち。酒造りに必要なものは高校の部室にすべてそろっている!

高齢化で人手不足が叫ばれ、アメリカやヨーロッパとの自由貿易も推し進められ、日本の農業を取り巻く環境は苦しさを増す一方に見える。

しかしそんななか、農業高校が熱い! 地域の特色を生かしグローバル化を見据える彼らに、日本の農業の明るい未来を見た。シリーズ「日本の農業はオレたちが元気にする!!」第1回。

■酒は飲んだことがないのに即戦力

山口県立田布施(たぶせ)農工高校は、高校生にとって"禁断"の実習を行なっている。同校は日本で唯一、酒造りの全工程を生徒が実践しているのだ。

酒造りは農業なのか?と思うかもしれないが、そもそも酒造りは米抜きには考えられないし(酒米は食用米よりも栽培が難しい)、農家と蔵人(くらびと/酒蔵で働く人の総称)を兼業している人も多い。そういう意味で酒造りは、農業そのものなのである。

経営者である蔵元の下で酒造りの工程すべてを行なう責任者を杜氏(とうじ)と呼ぶが、実は同校のある田布施町はかつて杜氏を輩出する地として全国に名を知られた。

田布施町や光市など旧熊毛(くまげ)郡出身の杜氏は「熊毛杜氏」と呼ばれ、最盛期には全国の蔵元で800人以上が活躍していた。

「1957年に熊毛杜氏を養成しようと、この学校に醸造科ができたんです」

そう説明してくれたのは、同校で酒造りを行なう部活動、「酒造蔵部(くらぶ)」顧問の魚住知一(うおずみ・ともかず)先生だ。

醸造科が設置された当時、田布施町には40人を超す熊毛杜氏がいた。その伝統を引き継ぐべく同校は人材育成を目指したが、時代の趨勢(すうせい)には勝てなかった。

戦後の瀬戸内工業地域の発展に伴い県内は工業化が進んだ。そして時を同じくして、洋酒の普及と日本酒離れが続いた結果、杜氏になる者は減り続け、熊毛杜氏の血統は途絶えてしまった。

現在、同校に醸造科はなく、醸造の授業は食品科学科で扱うにとどまっている。魚住先生が続ける。

「それでもわが校では、醸造の授業を通じて熊毛杜氏のDNAのようなものを受け継いできたわけです。ところが、醸造を教えていた教師が早期退職することになり、引き継げる(醸造に詳しい)教師もいないという事態になった。これで授業がなくなったら、地域の文化のひとつが消えてしまうと思いました」

酒造蔵部顧問の魚住知一先生。もともとは環境土木科の造園をしていて、酒造りについてはまったく知らなかった

実は魚住先生の担当は環境土木科の造園で、酒造りについては門外漢だった。だが、前任者からじかに声をかけられたこともあり、一念発起して醸造の授業を引き継ぐことにした。しかし、いざ同校で酒造りを始めてからひとつの疑問が浮ぶ。

「酒造りは酒の出来次第ですべてが進みます。学校が休みでも、麹(こうじ)は休むわけじゃない。授業で時々様子を見ただけで本当に醸造が学べるのかと思ったんです。生徒たちからも、ちゃんと面倒を見たいという意見もあった。それで授業とは別に、腰を据えて酒造りを学ぶために2015年に酒造班を発足させたんです」

その2年後、酒造班は「酒造蔵部」になり、現在12名の部員が活動している。

校内の水田を使っての酒米作りから、精米、蒸米、仕込みの工程を、部員たちはほとんど休みなく実践し学んでいる。その生活は想像以上に"酒漬け"だ。

「授業中も頭の中に酒造りのことがあって、仕込んだタンクの中身がどのくらいアルコール発酵しているかとか、考えてしまうんですよね」

と、少し照れくさそうに言うのは部員のS君。その姿は、まるで酒造りに恋したかのようである。

酒造蔵部の入り口。日本酒の酒米作りから瓶詰めまで行ない、「滄桑(そうそう)」「賛否両論」の2ブランドを展開

酒造蔵部の部室に行くと、さながら今流行のマイクロブリュワリー(クラフトビール醸造所)のようだ。部屋の広さと造りはクルマ3、4台が入るガレージといった感じで、麹室、タンク、さらに当直用の部屋など、酒造りに必要なものがそろっている。

仕込み用のタンクを熱心に洗っていた1年生のI君も、そんな酒造りの雰囲気に引かれて入部したひとりだ。

「力仕事もそうですが、酒造りをしている姿はカッコいい」

ところがこの部活、想像以上に厳しい。酒造りに休みはないし、高校生なら冬休みを謳歌(おうか)している時期も酒造りの最盛期にあたる。酒造蔵部ではLINEを使って、仕込んだもろみ(米に麹などを加え発酵させた状態)のように刻々と変化する酒造りの状態を共有し、スケジュールも管理している。その日々は、ほとんどリアルな蔵人だ。

むろん、高校生の酒造りということで周囲には理解しない人もいる。そのひとつが"酒を飲めないで酒が造れるのか"という批判だ。しかし、部員のYさんはこう反論する。

「初めは、確かに『酒のにおい』としか思えませんでした。それがだんだん香りによって吟醸(ぎんじょう)酒や普通酒など、お酒の区別がついてきました。今は香りを嗅げば発酵のどの段階かも、だいたいわかります」

蒸した米を冷ます作業を行なう部屋。部員たちはほとんど休みなく酒造りを実践している。その日々は、リアルな蔵人そのもの

そうした努力のかいあって毎年、同部に所属していた生徒は酒蔵に就職している。なかには保育士志望だったが、この部活動で酒造りに目覚め、酒蔵に就職した卒業生もいる。

酒蔵の求人はそれほど多くはないが、大学の醸造学科を卒業したわけでもない、酒を飲んだこともない農高生が採用されているのだ。

「酒蔵に入社する時点で、一から十までやったことのある人はほとんどいません。彼らは一滴も酒は飲んだことがないのに即戦力なんです」

就職先の酒蔵には地元の酒蔵も含まれる。いわば、熊毛杜氏のひそかな復活である。魚住先生は言った。

「全員が酒蔵に入社するわけではありませんが、この地域の酒文化、ひいては国酒(こくしゅ)を守るという意味で、酒造りを知っている人間がひとりでも多くいろんな分野に広がることには大きな意味があります。

ある生徒はソムリエになると言っていますが、彼女が将来、日本酒とワインをつなぐ仕事をするかもしれない。そのとき、ここで学んだ酒造りの知識は必ずものをいうはずです」

★「この農業高校がスゴイ!」【後編】グローバル化を見据える兵庫県立農業高校と五所川原農林高校の取り組み