元K-1ファイター・角田信朗が55歳にして、7月に大阪市内で開催された「2016年ボディビルフィットネス選手権大会」で3部門で優勝したというニュースが届いた。
しかも始めて1年少々というキャリアでいきなりの優勝は、誰にでもできるわけではなく、もう偉業と言ってもいいレベルとか!
しかし正道会館最高師範であり、知的なトークでお茶の間にも進出してきた格闘家がなぜ今、再び過酷な道を歩き始めたのか…。彼を突き動かすものは何なのか? 大会直後でバッキバキボディの角田信朗に直撃してみた!
―3部門で優勝おめでとうございます! 格闘技でもメディアでも知名度があるのに、なぜ50代半ばでボディビルという新しいジャンルに挑戦したのですか?
角田 それは、若い頃の自分への仕返しですね!
―えっ、それはつまり?
角田 格闘技でもなんでも、本番迎えるまでにも戦いがあるし、自分の中に潜む弱さと向き合えるか否かが勝敗を分ける、という部分もあるんです。例えばダウンした時、立とうとする自分と「もう、ええんちゃう?」という自分がいる。練習でも、好きな練習はしても自分に足らない部分には目を背けて、トレーニングの優先順位を自分の都合で変えてしまう。
すると、リングで想定外の出来事に遭遇した時に対処できなくなる。そういう自分の弱さが相手よりよっぽど怖いわけです。僕は現役時代、その自分との戦いにいつも負けていたので、満足のいく試合は片手で足りる程度。そんな自分の弱さがわかっているからこそ、忸怩(じくじ)たる思いを持ち続けていたんです。
そんな中で今のジムと出会い、トレーニングと出会った。だから今度こそ負けたくないという思いで打ち込んでいます。弱かった過去のアイツへの仕返しですよ(笑)!
―なるほど、倍返しの勢いを感じます! どんなトレーニングをしているのですか?
角田 「ヘビーデューティトレーニング」、別名「ハイインテンシティトレーニング」といって、アーノルド・シュワルツェネッガーの最大のライバルだったマイク・メンツァーが提唱したトレーニング方法です。
トップビルダーの“魔法のひと言”
―ハリウッド俳優であり、カリフォルニア州知事も務めたシュワちゃんはボディビルダーだったことは有名ですね。ところでそのハイインテンシティ…とは?
角田 訳すと「超高強度トレーニング」で、強度を上げて、短時間で効率的に筋肉に負荷をかけるものです。的確なフォームで、いかに早く一時的筋機能停止状態に持ち込めるかが勝負なので、限界を迎えた時に補助をしてくれる信頼できるパートナーと一緒にやってます。普通の人がやるのは難しいかもしれません。
筋肉に与えるダメージは大きいですが、回復させた時のリバウンドは驚異的ですよ(笑)。「脚」をした次の日は「背中・二頭筋」というふうに、全身を5つの部位に分けて、1部位を週に1回追い込みます。
このトレーニングにより「もうコレ以上ムリ!」という心理的限界の扉を開けた先の達成感を知ってしまいましたね。それを乗り越えたら、体に劇的な効果がありますよ。とはいえ、その扉を開ける苦しさも知っているから躊躇(ちゅうちょ)するんですけど、そんな自分とのせめぎ合いですね。
―そんな辛いトレーニングに打ち込めたのはなぜ?
角田 ひとつは仕事に行き詰まっていたこともあります。K―1が盛り上がっていた頃はTVやCMにもたくさん出演していましたが、ブームに陰りが見え始め、また東日本大震災もあって、いろんなモノを一度リセットする必要があって、大阪に戻ったんです。
で、大阪はホームなので仕事もあるだろうと高をくくっていったら、完全にアウェイでしたね(笑)。東京にいたおかげで周囲が冷たい。そんな時期でもあったので、筋肉トレーニングに一心不乱に打ち込むことで、仕事への不安を打ち消そうとあがいていた自分もいましたね。
ただ、ボディビル競技に挑むキッカケを作ってくれたのは、同い年で全日本選手権3連覇を含む4度の優勝を果たして、今もまだ日本のトップ3に君臨する、合戸孝二選手の存在と、ジュラシック木澤というトップビルダーの“魔法のひと言”があったんですよ。
―ボディビル界では誰もが知る“マッチョが憧れるマッチョ”、“恐竜の筋肉を持つ男”などと呼ばれる木澤大祐選手ですね。その魔法の言葉とは?
角田 彼がある時、僕の体を見て「一度、究極まで絞ってみてください。すると“今まで見たことのない世界”が見えて来ますよ」と言ったんです。それを聞いた時、その世界を覗いてみたいという目標ができたし、辛い時にも自分を鼓舞するモチベーションになっています。
格闘技をひと通りやってきて、今、新たな挑戦として、僕はもう一度、心に白帯を巻いて、謙虚な気持ちでゼロから挑戦しています。
年をとってからでも筋肉は発達する
―そして今、ボディビルダーとして、掲げているものがあるそうですね。
角田 僕が最近立ち上げた「ウェルエイジング・プロジェクト」ですね。
―それはつまり?
角田 端的に言うと、良い年の取り方をしましょうということです。年老いることに抗(あらが)うという意味で「アンチエイジング」という考え方もありますが、僕は逆で、人間は経験を積んでどんどん完成されていくと思うんです。だけど、それに気づいた時には「もう体力がついてこない」と挑戦を諦める人もいる。そこでウェイトトレーニングを勧めたいんですよ。筋力トレーニングを正しい方法でやれば、年をとってからでも筋肉は発達するし、筋力もアップするんです。
僕は筋トレって、一流アスリートだけでなく、一般の方の生活も改善するものだと思うんです。ビジネスにアグレッシブになれると起業家の方もトレーニングをしているし、心の病がある人も体が変わることで前向きになるという話もある。
筋トレで日本を元気にしましょうという動きを、国が主導するぐらいになればいいなと思っています。でも今のままではそれを発信するための説得力がないと思い、それで「ボディビル大会に出て勝ちます」と先に宣言しちゃったんですよ。
―すごい! それで見事、勝ったわけですね!
角田 おかげさまで大会で優勝したことをニュースにもしていただきましたし、これで高齢者や引きこもっている若い人たちが筋トレやって元気になってくれたら嬉しいですね。40、50代の人たちに「希望の星です」と言われるのもいいですけど、若い人たちが「あんなオヤジになりたいね」と憧れてくれたら万々歳ですよね。それが僕の「ウェルエイジング・プロジェクト」なんですよ。
―ちなみに、ボディビルを始めるのに50歳というのは遅くはないでしょうか?
角田 確かに今まで運動したことがない人は大変だけど、目的はコンテストだけじゃなく、孫の入学式や娘の結婚式にかっこいい親でありたいとか、理由はなんでもいいんですよ。それでトレーニングするうちに、「俺、まだまだいけるな」と思えたり、別の次元の面白さや新しい可能性が見えてくる。筋トレってそういう要素がいっぱいあるんですよ。
それに、僕がこんな肉体になったのは、トレーニングに加えて、若い頃にはしなかった食事を含めた自己管理をちゃんとするようになったから。それができるのも年齢を重ねたからじゃないでしょうか。今は歳を取るほど楽しくなってきています。
★この続き、筋肉増大への飽くなき欲求、激しいトレーニングの末に見えてきた世界については、後編『55歳の元K-1ファイター・角田信朗が苛酷なボディビルで究極を求める理由』にて!
(取材・文/明知真理子 撮影/松井秀樹)
■角田信朗(かくた・のぶあき) 1961年4月11日生まれ 大阪府出身 空手家(正道会館最高師範)最新情報は公式ブログをチェック。http://ameblo.jp/nobuaki-kakuda/