プレイボーイ天国 「プレイ終了後にタイ娘が君を拝みだしたら?」との記述が。実用的か?【クリックして拡大】

『週刊プレイボーイ』50周年を記念して、創刊当時の喧騒を振り返る連続「タイムスリップ・ノンフィクション」――。

海外渡航制限が緩和されたばかりの1960年代、若者たちにとって外国はまだ遠い存在だった。創刊以来、「国際感覚あふれる週刊誌」を目指していた『週プレ』は海外旅行をテーマにした連載に力を入れ、読者に夢を見せてきた。

今では当たり前になった読者参加型イベントを始めるなど、さまざまなプロジェクトを実現しながら『週プレ』は読者に新しい世界を見せていった。

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読者ページ「こんちわプレイボーイ」を任された島地勝彦(新入社員として『週プレ』創刊に携わり、80年代には編集長として100万部雑誌に育て上げた。現在はコラムニストとして活動中)は、いつものようにはがきの山の中から次号に掲載する文面を探していた。この作業も4回目で、だいぶ慣れた。

こんなはがきがあった。

「昨今日本は“黒い霧”につつまれているし、たまには異国の白い霧?でも吸いたいと思っていた矢先なので、ウナッテしまった。この世にまだ天国があったのか。あの辺ならオレでもなんとか行けそうだぞ。折角たまりかけた大事な貯金を使わせようとする『プレイボーイ』は本当にニクイネー」(『週刊プレイボーイ』1966年5号)

前々号で取り上げた、台湾旅行への反応だった。創刊以来『週プレ』は、少し難易度高めの国内旅行プランを紹介する「冒険旅行」(第1回は静岡・伊豆の風穴探検)、ドライブ案内の「カー・ロータリー」、そして外国で女のコと遊ぶ「プレイボーイ天国」と、旅行をテーマにした連載にも力を入れていた。

なかでもいちばん紙数を多く割いたのが「プレイボーイ天国」だったが、これは同時に、読者の実現可能性がいちばん低い旅だった。

海外渡航制限が緩和されたばかり、1ドル360円の固定相場、しかも持ち出しは1回500ドルまでと、まだまだ外国が遠い時代だ。この連載シリーズは、読者が行けなくて当たり前の地について、やや無責任に憧れをかきたてている面があった。

それでもこうしてその気になってくれる豪の者が稀にいる。実際に行って「ニクイネー」が本物の憎悪に育ったらたまったもんじゃない。島地はこのはがきを採用し、「せめて体は大切に、楽しんできなされ。海を渡ってプレイボーイの真剣勝負をしてきたまえ!」と本音と建前を併記するようなコメントをつけた。

「プレイボーイ天国」はその後アジアを離れヨーロッパに渡り、さらには共産圏にまで踏み込み、いよいよ読者の手の届かない所へ行ってしまう。並行して、翌1967年の1号からは「5000円旅行」という連載コラムが「冒険旅行」に取って代わり、手軽な国内旅行のプランを毎週読者に提供するのだった。

驚きの創刊1周年企画「新宝島探検」

しかし本当に『週プレ』の力で読者に世界を見せてやれたら、どんなに素晴らしいことだろう。

創刊当初の『週プレ』は、集英社提供のラジオ番組、『プレイボーイ・クラブ』(DJは大橋巨泉)と連動して会員制をとっていたこともあり、多方面で読者参加型のイベントを行なっていた。

例えば、67年には「セクシーボイス・コンテスト」を行なった。その名のとおり、セクシーな声を持った女性を会員(リスナー兼読者)の投票で選出するコンテストだ。6月25日に予選が始まり、それを勝ち上がった月ごとの代表の中から総合優勝者を決める流れだ。

声はラジオで聞かせ、顔写真は本誌が受け持ち、創刊記念日の10月28日に東京・TBSホールで行なわれた決勝大会には会員も招待された。

「全国縦断プレイメイト撮影会」というイベントもある。参加者を「本誌愛読者に限る」このイベントは、カメラメーカーのペトリとの共催で、自分の好きなように「ごきげんな青い瞳のプレイメイト」を撮影できる、“会いに行ける”系のハシリだ。京都、札幌、福岡、仙台……と全国各地で行なわれ盛況を呈した。

このように充実した特典を読者に提供してきたのだから当然、創刊1周年には派手な企画をぶつけてくるのだろう。期待が高まるなか、67年36号で初めて「創刊1周年企画」の告知がなされた。

ところが、これがなんと「マッチ・デザイン・コンクール」だったのである。「本誌愛読者が推せんしたマッチ・デザインを誌上公開。もちろん、コンクールの審査員はキミだ。キミの投票によって順位が決まる、ゴキゲンこの上ないコンクールだ」(『週刊プレイボーイ』1967年36号)。

拍子抜けする企画だ。が、そんなことは編集部も先刻承知、本命の企画を準備していた。「新宝島探検」がそれだ。

「創刊1周年企画」として大々的に開催された伊豆大島での宝探し

「本誌創刊1周年記念企画第2弾は、愛読者諸君を宝島にご案内。誰もがアッと驚くような超デラックスな宝物を探り当てていただくという仕組みだ。もちろん、おとぎ話なんかじゃない」。こんな煽り文句が載ってから3週間後、「宝島」の正体が明かされた。

日本の、伊豆大島だ。東海汽船との共催で、読者を大島に招待し、そこで『週プレ』が用意した宝物=景品を見つけてもらう趣向だ。最高額の賞品がトヨタ2000GTという大盤振る舞いだった。

幸運にもそれを射止めた読者の小西一昭さんは翌68年2月11日に大島で行なわれた贈呈式で、名車のキーを受け取る。贈呈式には本誌初の日本人ヌードモデルでもあった歌手の荒井千津子が出席し、華を添えた。

こうした取り組みがきっかけとなり、『週プレ』は前代未聞の読者参加型海外短期留学を立ち上げるなど、急速に世界との距離を縮めていく。

そんな創刊当時のタイムスリップ・ノンフィクションを『週刊プレイボーイ』46号で連載中! 是非ご覧いただきたい。

(取材・文/前川仁之)

■週刊プレイボーイ46号「創刊50周年記念タイムスリップ・ノンフィクション 第一部完結編プレイボ~イ 世界への船出 1966~1969」より