40年近くにわたっての『週刊プレイボーイ』愛読者という活字ジャンキー・水道橋博士

芸人として活躍する一方、ルポライターやコメンテーターなどジャンル横断的に活躍する水道橋博士(すいどうばしはかせ)

彼は、知る人ぞ知る熱狂的な活字マニア。数年前までは家賃25万円の倉庫を借りて本や雑誌の保管用に使っていたとか。いまも毎週、週刊誌の多くを購読し、自ら編集するメールマガジン「メルマ旬報」で毎週、60本もの連載を一気に読み尽くす。

聞くところによれば、『週刊プレイボーイ』も40年近くにわたっての愛読者とか。

そこで、彼にインタビューを敢行。記憶に残る記事やグラビア、それにまつわるエピソード等、氏にとっての週プレの想いを語ってもらった。

* * *

―日記で言及されておりましたが、創刊50周年記念出版『熱狂』を読んでいただいたと?

「ボブ・マーリーと中上健次の対談が再録されているよね? 原稿はもちろん、こういった貴重なページの写真が欲しいんだよね。それをTシャツにして、すっと着ていたらかっこいいでしょ。勝新太郎とスティービー・ワンダーの対談なんてのも週プレでやっていたの? これもスゴいね」

―博士は、大の雑誌マニアとして知られています。週プレも長年、愛読していただいていると聞きました。

「うん。もう何十年になるんだろう。最初に読んだのは14歳の頃かな。兄が買っていたのをこっそり読んでいてね。『俺の空』をオカズに、家にあった電マをこうブイーンっと股間に当てて…」

1976年1月から1978年11月まで連載され、売上部数100万部突破の大きな原動力になった本宮ひろ志作の連載マンガ。 俺の空(1978年1月1・6日号)

―電マをブイーン?

「わかるよね? そもそも俺は精通より電マデビューのほうが早かった。元々は父親が買ってきたものなんだけど、『電源入れて肩に当てると気持ちいいんだ、これは…もしかして?』とアソコに当てたら、めくるめく快感に襲われてさ。同時に強烈な背徳感もあって、このまま続けたら地獄に堕ちてしまうんじゃないかと。

その恐怖からある月夜の晩、裏庭に穴を掘って電マを埋めたの。実家の家族に関わることだから詳しくは割愛するけど、なぜか泥のついた電マが掘り起こされて家にあった。ところで今日はどんなインタビューだっけ?」

―週プレです!

「そうそう、『俺の空』ね。それ以前にも散髪屋で読んだ『ドッキリ仮面』でアソコが勃つ法則はなんとなくわかっていたのよ。あと、五木寛之の『青春の門』を読んで、手をこう動かせばって知識はあった。すでに性の芽生えはあったけど、具体的にSEXそのものを理解したのは『俺の空』の川村先生。女性が少女マンガのタッチで描かれているのが新鮮で刺激的だった」

松田聖子の腋の下を見るとなぜだか…

―『俺の空』をお供にしていたと語る当時の読者は多いです。

「だろうね。俺のライフワークとして自分自身の年表を作っているんだけど、その中でも衝撃的な出来事だったから」

―若かりし頃、お世話になったグラビアはありますか?

「これはフェチにも繋がるんだけど、松田聖子の腋の下を見るとなぜだか硬くなっていた。おっぱいやお尻じゃなくて、腋なんだよね。今、一緒に番組をやっているAV男優のしみけんもその手のタイプ。しかも臭ければ臭いほどいいっていう重度の腋フェチ。そういえば、彼のキャスティングは週プレの連載ページ(『初めはみんな汁だった』)を呼んだのがきっかけで」

―他には?

「あぁ、持ってくればよかった。俺は“切りヌク人”ですから。気に入ったグラビアは切り取って、ファイルに入れてキレイに保管しているんだよね。『ピクチャー』と呼んでいて、みうらじゅんさんの『エロスクラップ』みたいな感じ。要するに自分で編集したグラビアのベスト版というか。一番多いのは水沢アキさん。山口百恵さんの水着や竹下恵子さんの乳出しもキレイに取ってある」

―それはお宝ですね。

「でも、週プレのグラビアはほとんどないんだよ。俺、完全に『GORO』派だったから。紙の質がよくて、大判でページに余計なポエムもなかったからね。もちろん週プレのグラビアも見ていたよ。記憶に残っているのはアグネス・ラム。実家が文房具も扱う紙問屋を営んでいて、従業員のロッカーには必ずと言っていいほど彼女のピンナップが貼ってあった」

ハワイ生まれの中国系アメリカ人。1975年、18歳の頃より日本でのタレント活動を開始。“元祖・グラビアクイーン”として絶大な人気を誇った。 アグネス・ラム(1976年6月8日号)

―当時の週プレは、ほぼ毎週ピンナップが付録されて好評でした。

「ピンナップといえば、麻田奈美のヌードピンナップをなぜか文房具屋のウチで売っていて。あの時代はそこかしこにエロがあふれていたよね? 街を歩けばピンク映画のポスターが貼ってあったり、お酒を買ったらもらえるデヴィッド・ハミルトンのヌードカレンダーが家に飾ってあったり」

一番お世話になったのは及川奈央

―エロといえば、週プレはAVを他誌に先駆けて80年代前半から取り上げていました。博士さんはAVへの造詣も深いですが?

「『ビデオ・ザ・ワールド』を創刊号から全部持っていて、裏ビデオをめちゃめちゃ買っていたからね。一時期は俺の部屋に入ったら盤面の磁気で肩こりが治るとか、宙に浮くって言われるくらい大量なAVをコレクションしていて。

買った作品は5点を最高点にしてすべて点数をつけてね。本数が増えると5+が出てきて、結果、6点が最高に。松本人志さんにこの話をしたら同じような点数付けをしていたって。今はネットで見るのが当たり前になったから、ほとんどを処分しちゃったけど」

―その中で「この1本!」という作品はありますか?

「う~ん…作品というより、一番お世話になったのは及川奈央だね。洋服の上から裸が透けて見えるくらい繰り返し何度も見た。だから、本人と会って話すと恥ずかしくてさ。こっちは尻の穴まで知っているから」

―以前、週プレのAV特集(1999年51・52号)では、林由美香をレコメンドされていました。

「もうずっと好きでね。彼女が池袋のイメクラで働いていると聞いて飛んで行った。指名していざ対面すると、俺のことを知っていてくれてね。あの時は全身が性器になったみたいで、人生で一番興奮したよ。

憧れのAV女優に認識されているって、夢のようでしょ? クリスマスを一緒に過ごしたことがあるから、恋人関係にあったと俺は今でも思っている。ただ数回だけの関係だったかもしれないけど…」

20世紀のAVを振り返った「僕らのアダルトビデオ全史」特集内におけるコラム。殿にお勧めのAVを送る命を受けていた浅草キッドのふたりが、お気に入りの作品を語り合った。 AV特集(1999年12月28日号)

―AVファンが聞いたら衝撃のエピソードですね。

「彼女と関係のあった平野勝之監督やカンパニー松尾監督にそのことを話したら、ぶん殴られるんじゃないかと心配したけど、『この業界だけは穴兄弟、みんな友達だから』って教えてくれて。俺、生まれ変わったら本気でカンパニー松尾になりたい人間だからね。そう本人に言われて安心したよ」

◆後編⇒水道橋博士が「週プレの魅力はずばり、エロ!」とぶっちゃっける『週刊プレイボーイ』50年

(取材・文/大野智己 撮影/本田雄士)

●水道橋博士(すいどうばしはかせ)浅草キッド/漫才師。1962年8月18日生まれ、岡山県倉敷市出身。86年にビートたけしに弟子入り、翌年、玉袋筋太郎とともにお笑いコンビ「浅草キッド」を結成。テレビやラジオ、漫才を中心に活躍する一方、ライターとしてもコラムやエッセイを執筆する。主な著書に『藝人春秋』『博士の異常な健康』、最新刊は『はかせのはなし』。自身が編集長を務める日本最大級のメールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』が好評配信中。主な出演番組に『総合診療医ドクターG』(NHK)、『ゴゴスマ』(TBS)、『バイキング』(フジテレビ)、『バラいろダンディ』(TOKYO MX)等。Twitter【@s_hakase】 水道橋博士のメルマ旬報もチェック!