人気作家・神永学さんが、2月に「浮雲心霊奇譚」シリーズの最新刊『呪術師の宴』を発表した。

幕末を舞台に、死者の魂が見える"憑きもの落とし"の浮雲が、絵師を目指す八十八、武家の娘で女剣士の伊織、薬売りの土方歳三らとともに、江戸の怪奇事件に挑むミステリーだ。

新人賞などの受賞を機にデビューする作家が多い昨今、神永さんの下積み時代は苦節そのもので、新人賞にはことごとく落選したという。

しかしプロとなってからは15年で40作以上を発表、代表作『心霊探偵八雲』はこの時代に累計680万部を売り上げるという押しも押されぬ人気作家となっている。作家生活が15年目に突入したのを機に、異色の足跡を振り返ってもらった。

■自費出版を機に急展開で始まった作家生活

――作家生活15年おめでとうございます! なんと15年で40作以上も発表されています。

神永 書きまくりましたね(笑)。

――そもそもデビューのきっかけが自費出版だそうですね。

神永 当時は仕事をしながら書き続けていたのですが、新人賞に応募してもことごとく落選しまして。これを最後にしようと思って自分としては新ジャンルのミステリーに挑戦したのですが、それも落選し、30歳になろうとしていたのでもう諦めることにしたんです。でも今までやってきた証(あかし)が欲しいと、文芸社さんで自費出版したんです。

――一度は作家の道は諦めたと。それがどういう経緯でデビューに繋がったのですか?

神永 その本自体もぜんぜん売れなかったのですが、仕事をしていたら知らない番号から携帯に電話がかかってきて。出ると文芸社の編集部長を名乗る人がいきなり「話があるんだけど、今日会える?」と。業務中だと言うと「待ってるから」ということでお会いしたら、文芸社で新人を発掘して売り出すことになったそうで、本を読んだ編集部長が担当したいと声をかけてくれたんです。

――急展開ですね!

神永 僕も驚きましたけど、作家としてやるかやらないかできるだけ早く決めてほしいと言われて。いつまでか期限をお聞きしたら「今」だと(笑)。

――人生を左右する決断なのにすごいスピード感です(笑)。でもそこで決断したから今があるんですよね?

神永 それがちょうど、勤めていた会社が買収されるという激動の時期で。僕は総務の責任者だったので「従業員のことを考えると買収には反対」という立場で進言してたんですけど、いざ買収が成立してみると新体制では完全に邪魔者で(笑)。どうせクビになることは分かっていたので、思い切れました。

――運命的なタイミングが重なったんですね! そして編集部長との二人三脚が始まると。

神永 とにかく書けと言われ、1作目もまだ刊行していないうちから2作目を書き始めました。その人がとにかく厳しくて、気取った表現はバッサバッサと削られる。だいたい作家というのは表現に凝りたがるもので、でもそれは実際のところ「俺ってすごいでしょ」と見られたいというのもあるんですよ(笑)。

その人は自分の内から出た言葉しか認めてくれなかった。それは自分でも腑に落ちるところはあって、今でも作品を書く上で自分の中に残っていますね。そうやって書きまくった結果、1年目で4冊出版していました。

――最初から驚異のハイペース! 新人作家は2作目の壁にぶち当たると言いますが......。

神永 その壁には気づきもしませんでしたね(笑)。

■ネタ満載のブラック企業勤務が原動力に!?

――15年も続けられた理由を自己分析すると?

神永 それまでが失敗の連続だったからではないでしょうか。

――今やこんなに順調なのに!? そもそも書き始めたのはいつですか?

神永 小説ではないのですが、高校を卒業して入った映画学校で書いた脚本が最初です。それをケチョンケチョンに言われて心がポッキリと折れまして(笑)。脚本はやめて制作になりました。まあ、制作として監督の無茶な要望を叶えるために駆けずり回って実現させていくのは、それはそれで充実していましたけど。

でも卒業すると一緒に作る人もいない。人を楽しませたい、エンタメを作りたいという思いはずっとあったので、ひとりでもできる小説を書き始めたんです。

――小説を書き始めたのは社会人になってからなんですね。

神永 その頃は映画制作会社に勤めていたんですが、家賃も払えないぐらい給料が安かったんですよ。それで転職した先が今でいうブラック企業で、デスクの横に金属バットが置いてあるような会社でした。

株式上場の際にさすがに問題だと、人事・管理部の僕が「金属バットは会社に置かないでください」とわざわざ言いに行きましたけど、「プラスチックならいいの?」「ピコピコハンマーは?」と。それもダメですと言うと「じゃあ何で殴ればいいんだよ!」という、もはやコントのようなやりとりもありました(笑)。

――そのまま小説のネタになりそうです!

神永 僕の小説の登場人物にはだいたいモデルがいますね。でも誰も自分のことだとは気づいてないみたいです(笑)。

――しかしそんな厳しい労働環境でも、書くことはやめなかったんですね。

神永 終電で帰って夜中の2時から1時間だけでも毎日書いてましたね。土日もめったに休みにならなくて、当時はまだお付き合いしていた妻とデートする時間も惜しくて、仕事だと嘘をついて書いていたこともありました(笑)。

とにかく書くのがたまらなく好きなんです。書かないと死んじゃうぐらいの人が、作家には向いているのかもしれないですね。

■作家の事務所で行われる「朝礼」とは?

――さて、現在はどんなスケジュールで執筆されているのですか?

神永 朝早く起きて喫茶店で書いて、事務所に行って書いて、まだ書きたければまた喫茶店に寄って書いてという生活ですね。いよいよやばいとなると自主的にホテルに監禁されに行って、1日60~70枚書きます。常にそのペースなら1週間に1冊出せるはずなんですけどね(笑)

――やはり書きまくっているんですね! 事務所にしたのはいつですか?

神永 書く環境は早めに整えようと、デビューして2、3年目に事務所化しました。もともと総務の仕事をしていたので面倒くさい届け出なんかも余裕ですし(笑)。3人いるスタッフが書くこと以外は全部やってくれますし、それだけで年間に書ける作品数はだいぶ違うと思いますね。

それに、『八雲』はシリーズで15、6作品が出てますし、長くやっていると担当編集もどんどん替わります。だからある意味、担当よりも詳しい専門家が必要になるんです。うちでは独自に「八雲年表」というのを作っていて、登場人物がいつ何をしたかがすべて書いてありますし、登場人物も数え切れないぐらいいるので、名前、年齢、性別、作品の中の描写などをデータベース化して管理しています。

――整合性が取れるように仕組みを! シリーズ物ならではの苦労ですね。

神永 あと、うちでは脳のウォームアップのための朝礼もあるんですよ。

――作家の事務所なのに朝礼!? どんなことをするのですか?

神永 司会者が持ち回りでその日の業務を伝えつつ、時事に絡めてひとこと話して全員で議論するんです。最初は「無理......」と言っていたスタッフも自然にアンテナを張るようになっていて、いきなり当日でも話せるようになっていきますね。

お昼には1時間「映画の時間」もあって、ノンジャンルで映画やドラマを見て、面白かった要素などについて全員で議論しています。それで新しい扉が開くこともある。ものづくりの現場なので、今まで興味がなかったものにも触れる機会をできるだけ作っています。

■天然理心流の道場で稽古し、新選組の強さを実感

――『浮雲心霊奇譚』は『八雲』と対をなすシリーズとのことですが、発案から書き始めるまでにずいぶん時間をかけているんですね。

神永 時代物を書く上で、僕なりの江戸の描き方を確立する必要を感じていて。エンタメとして楽しめるさじ加減というのでしょうか。資料を読めば読むほど魅力的な江戸の詳細を入れたくなるけど、それだと詳しくない読者は置いてけぼりになってしまう。だから、歴史が分からなくても楽しめるテレビの時代劇のイメージで、時代の流れは汲みつつ江戸の空気感だけを盛り込みました。

――黒船や攘夷の話を匂わせつつ、土方歳三や近藤勇など実在の人物名も出てきます。

神永 土方歳三は新選組の顔だけではなく薬売りの顔も持っていたことは、ネットで調べればすぐ分かりますし、そういう知る楽しみも残したかった。時代物が苦手な人も、これをきっかけに面白さを見つけてもらえたらいいですね。

――リアリティを出すため、新選組ゆかりの「天然理心流」の道場にも行かれたとか。

神永 体験することで、知識とは違うところが身につきますから。例えば剣道はすり足のイメージがありますが、あれは体育館だからできることで、舗装もされていない江戸時代の道でやったら足が傷だらけになってしまう。抜刀や納刀の仕方も流派によって違うし、刀も実際に腰に差してみると、パチンと留まっているようで斜めにするとすぐ抜けちゃうんですよ(笑)。

――体験することで物語にリアリティが生まれるということですね。

神永 はい。やっぱり体感するとリアリティは増しますね。そのためには、キツイと文句を言いつつも木刀の素振りを黙々と40分したりもしていました(笑)。そういう実感を得ることで、書く時に江戸の地面が実感をもって立ち上がってきたり、空気感を捉えることができた。

書くまでにどれだけ経験できるかっていうのは僕の書き方のひとつで、これまでもクラヴ・マガ(イスラエルの軍隊格闘術)やカリ(フィリピン武術)もやりに行ってますね。

――小説を書くたびに強くなっていきそうです(笑)。

■残念ながら才能がないんです。

――ドラマや舞台の原作にもなっていますが、読みやすさやエンタメを強く意識して作品を書かれているんですね。

神永 とにかくストーリーで人を楽しませるのが好きなんです。でも小説って、国語の授業で強制的に読まされて読書感想文という義務も生まれるから、どこか疎(うと)まれがちですよね。実は僕自身も高校卒業まで小説を読んだことがないんです(笑)。

でも高校卒業後に行った映画学校の先輩が「面白いものを作りたいなら小説を読めよ」と、大沢在昌先生の『ウォームハート コールドボディ』を貸してくれた。それが今までの小説のイメージを覆す面白さで、そこから夢枕獏先生、京極夏彦先生など、とにかく楽しくて読み漁りました。そうすると、芥川龍之介など「名作文学」の面白さも理解できるようになって。

読む力は人によってまちまちだから、僕の作品は本という世界の入り口になれたらと思います。本ってそもそもエンタメで、ゲームとも横並びなはず。その楽しさを伝えるのが僕の役割かなと。

――先輩に面白い世界を教えてもらったように、それを次の世代に伝えたいと。ところで、初期の作品を読み直したりしますか?

神永 ひどくて読めないです(笑)。そう感じるのはひとつの成長かもしれませんけど、僕みたいなタイプの作家は、残念ながら才能がないんですよ。才能がある人は最初から作風がブレないし、名だたる新人賞を受賞した方々はキラキラ輝いていますから! 僕は野球で言えばドラフトにかからなかった選手で、日陰を歩いているんです...。

でも今の場所に突っ立っているだけでは永久に追いつけないので、ひたすら前に進むしかないですね。もっともっと楽しませられるはずなので、読みやすさの中にも深みがあり、読み流せない1文があり、ダイナミックな物語がありというふうに、研鑽(けんさん)しなきゃいけないなと。

入り口として読んでる人たちと、既に文学として小説を読んでいる人たち、そこを繋げていけたらと思います。

――今後もペースは落とさず?

神永 今後は2月に『浮雲』、3月に『八雲』と、今月と来月だけで文庫化も含めて4冊出ます。『浮雲』も『山猫』も連載中で、それから文藝春秋さん、新潮社さん、講談社さんで新作を書く予定になっています。

――すごいペースです! ファンには楽しみな15年イヤーですね。

神永 次々と書きたい話が生まれてくるので、全部書くのはいつになるんだろうと言う感じですが(笑)。どんどん書いていこうと思っています!

●神永 学(かみなが・まなぶ)
1974年山梨県生まれ。日本映画学校(現日本映画大学)卒。
2003年「赤い隻眼」を自費出版。同作を大幅改稿した「心霊探偵八雲 赤い瞳は知っている」で2004年プロデビュー。「心霊探偵八雲」の他に「浮雲心霊奇譚」「天命探偵」「怪盗探偵山猫」「確率捜査官 御子柴岳人」「殺生伝」「革命のリベリオン」などのシリーズ作品、その他「イノセントブルー 記憶の旅人」「コンダクター」「悪魔と呼ばれた男」などがある。

■「浮雲心霊奇譚」シリーズ最新刊『浮雲心霊奇譚 呪術師の宴』(集英社 定価1,300円+税)