「読者から『ほっこりできていいですね』みたいな感想をいただくことがありますが僕は大爆笑のつもりで描いているんですけどね」と矢部太郎氏

東京・新宿のはずれにある一軒家で、50歳近く年上の大家のおばあさんとお笑い芸人の「僕」が、ひとつ屋根の下に暮らす生活を描いた『大家さんと僕』。構成や間の取り方などマンガの技術的な部分が高く評価され、専業マンガ家以外の受賞は初という、第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。

発行部数は2019年7月現在、なんと79万4000部。その続編にして完結編の『大家さんと僕 これから』では、芸人の「僕」に訪れた大家さんとの別れが描かれている。この本の作者で遅咲きのマンガ家・矢部太郎氏に根掘り葉掘り聞いてみた。

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──現在『大家さんと僕』が、大ヒットしています。実感はありますか?

矢部 多くの方に読んだと言っていただいていますが、各所でニヤニヤされながら「先生」と言われてますね。誰も真剣に「先生」って言ってないんですよ。最初に連載をしていた『小説新潮』の編集長には、「こんなに売れると思わなかった」とハッキリ言われました(笑)。

──ここまで売れると、接待がすごいんじゃないですか?

矢部 文芸の出版社の編集者と作家の関係性だと、料亭とか、銀座のクラブに行くとか聞きますけど、まだ1食200円の新潮社の社員食堂でしかごちそうになったことがないですね(笑)。

──38歳でマンガを描き始めるという遅咲きのデビューですが、こんな日が来ると思っていましたか?

矢部 思ってなかったです。ただ昔から絵を描くのが好きだったし、先輩にライブのチラシとかネタのフリップを頼まれて、よく描いていました。苦手意識は全然なかったですね。

そういえば、芸人3年目くらいに『週刊プレイボーイ』さんのフレッシュマン向けフーゾク特集で、僕が見た女性器を描いたことがあります。体験レポートの依頼だったんですけど、さすがに本番はできないので、そのときは手コキと女性器のイラストで着地しました。

マネジャーが編集部と交渉して「手コキまでにしたった!」と恩着せがましかったのを覚えています(笑)。大して違いがないって!

──誠に申し訳ありません(笑)。初めての連載、どんなところに苦労されましたか?

矢部 最初の段階で、4コマじゃなくて8コマにひとつオチがあるような形にしたらいいんじゃないかって、編集の方からアドバイスをいただいたんです。4コマだと読者が鋭いオチを期待しちゃうけど、8コマだったらもうちょっとゆったり読んでもらえると。

4ページの連載なら4ネタでいいわけですから、すごく気持ちが楽になりました。8個も思いつかないことは多々ありますから。結局、今では3ページぐらいオチがないときもあったりしますけど(笑)。

──読者に支持されているマンガに漂う「ほっこり感」は初めから狙っていたんですか?

矢部 いえいえ、僕は大爆笑のつもりで描いているんですけどね。読者から「ほっこり、クスッとできていいですね」みたいな感想をいただくことがあって、近頃は「やっぱりそうですよね~」って、そこに乗っかるようになりました......。

──矢部さんは舞台で緊張すると股間を握る癖がありますが、締め切りに追われて、マンガを描いているときはどうですか?

矢部 もちろん、常時触っている状態です。もう定位置ってカンジで。誰にも指摘されないので、すごくリラックスして描いてますね。一回、密着取材があってそのときはすごく困りましたね。イメージ悪いなと思ったんで触らないように我慢して。

──昨今、独居老人や暴走老人などと、高齢者の難題が報じられることが多いですが、大家さんとの11年間の付き合いのなかで、世代を超えて打ち解けるコツってありますか? 

矢部 僕はそもそも大家さんっていう人にムチャクチャ興味があったんですよ。話が面白いし、すてきな食べ物を知っていたり、ミステリアスな部分も多いし。だから親密になることができたんだと思います。

あと、お互いにできることはたくさんあると思っていて、大家さんからいろいろ教わったし、お裾分けももらったし、逆に僕から手伝わせていただくこともありました。

「カーテンに届かないから外して」みたいなことだったりとか。台風に備えて庭の木の枝を縛ったり、テレビ関係の配線だとか。お互いに作用し合うことが大事だと思います。

──その大家さんが昨年8月に亡くなりました。喪失感は?

矢部 すごく大きかったですね。僕にとってはすごく急で、もっといろいろ接したかったという後悔の気持ちがあります。訃報を受けてすぐ、三瓶(さんぺい)君の休演の助っ人でルミネで新喜劇の出番が入っていたんですけど、台本が三瓶君用なんですよ。

キャラが違いすぎて、僕用にフィットさせようと、一生懸命考えてやって「こういうときも芸人は舞台に出て笑いを取るんだ!」っていう気持ちでやって、結果、ややウケでした......。

──大家さんとの一番の思い出はなんですか?

矢部 鹿児島県の知覧(太平洋戦争時の特攻隊の出撃地)に一緒に行ったことです。10代で終戦を迎えた大家さんが「死ぬまでに一度は行きたい」と言っていた場所でした。東京に戻ってからも「本当に行けてよかった!」と何度も言ってくれて。

──大家さんの死去から1年もたたないうちに、今度は相方の入江(慎也)さんが事務所からいなくなってしまいましたが、どんな心境ですか?

矢部 いろんなことがあって、すごい変化のなかにいるなと思っています。この続編で描きたかったことのひとつに、予想がつかないこと、思ったようにならないことがあるからこそ日常が尊いということがあります。これからどうなるかわからないですけど、結局、乗り越えていくしかないですね。

──次回作の構想はありますか? 入江さんが、昨年のカラテカの年間計画で、「〇〇と俺(入江)」っていう自分のマンガを描いてもらうプランをあげていたと聞きましたが。

矢部 ははは、実はすでに入江君のマンガは描いていて、今年の2月に17年ぶりにやった単独ライブで、演目の間のブリッジVTRで使いました。高校で出会ってお笑いを始めるまでの内容です。

あと、自分の話を描いてって人が急に出てきて。水玉れっぷう隊のケンさんが、メルカリでいろんなものを売っているから「メルカリ先輩」ってどう?みたいな。僕は、ほんこんさんが座長のスペシャルコメディで、ずっとお世話になっているので、いつか「ほんこんと僕」を描かなきゃと思っています(笑)。

●矢部太郎(やべ・たろう)
1977年生まれ。お笑い芸人。1997年に高校の同級生の入江慎也と「カラテカ」を結成。芸人としてだけでなく、舞台やドラマ、映画で俳優としても活躍している。38歳のときに初めて描いたマンガ『大家さんと僕』(新潮社)で第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。発行部数は2019年7月現在、79万4000部。続編の発売に先立ち、シリーズの番外編的な一冊『「大家さんと僕」と僕』(新潮社)もある

■『大家さんと僕 これから』
(新潮社 1188円[税込み])
お笑い芸人・矢部太郎のマンガ家デビュー作『大家さんと僕』の続編であり完結編。東京・新宿のはずれにある一軒家で、50歳近く年上の大家のおばあさんと芸人の「僕」が、ひとつ屋根の下に暮らす生活をほのぼのと描く事実をベースにしたフィクションマンガ。初めての単行本が大ヒットとなった矢部は、一躍時の人になり、忙しい毎日を送る一方、とうとう訪れた大家さんとの別れまでが描かれている。『週刊新潮』にて2019年3月まで連載

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