希代の天才落語家、立川談志(たてかわ・だんし)が亡くなって今年の11月で10年。立川志の輔をして「立川談志の原石を持った人」と言わしめる、立川談志の長女・松岡ゆみこが、父・談志とゆかりのある方々と対談をする不定期連載「ゆみこの部屋」が『週刊プレイボーイ』本誌でスタート。

前編記事に続き、立川談志と深い交流のあった落語家・笑福亭鶴瓶(しょうふくてい・つるべ)が第1回に登場。今まで語られなかったディープすぎるエピソードが!

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■笑福亭鶴瓶と落語

鶴瓶 俺は落語を遅くから始めたわけよ、(春風亭)小朝さんに言われてね。それまでは『鶴瓶噺』【※7】という形で噺家としてやろうと思ってたんやね。あのときは落語が衰退してた時代で小朝兄さんに「あなたみたいな人が世に出て落語をしないと落語は......」って言われて。

今は落語やり始めて20年近くになる。小朝、志の輔、(春風亭)昇太、(柳家)花緑、(林家)正蔵と「六人の会」がスタートしたのが2003年。そのメンバーで落語やってなかったの、俺だけやで?

※7......鶴瓶噺(つるべばなし) 鶴瓶がひとりでしゃべるトークライブ。94年からスタートしている。

ゆみこ 鶴瓶さんが以前にやられてた『スジナシ』っていうライブがあって行かせていただいたんだけど、そのときに鶴瓶さんの中にすごく落語を感じたことがあったんだよ。落語のライブではなかったのに。

鶴瓶 うまいこと言うな。桂 南光と桂 文珍という素晴らしい先輩がいて、わざわざ俺の所に来て「一緒にやろう」って言ってくれて、大阪では「三人の会」を始めたんや。そんな人らとはとてもじゃないけどやられへんと思ったけど、「おまえは昔から精神的に落語家の中の落語家や。テレビやってたからって関係ない、落語という魂を持ってる」と言ってもらった。

同じようなことを小朝さんにも言われた。「あなたには落語の精神があるんだ」と言ってくれて。落語家って、落語やるだけでは落語家じゃないのよ。落語の精神が入っているかどうかよ。

俺の弟子たちはタレントになりたいと思ってるやつばっかりだったから、俺が落語するとは思ってなかったわけよ。師匠がやりだしたから、弟子たちも見よう見まねにやりだして。そのうちに弟子の銀瓶(ぎんぺい)なんか賞取りよったんよ、落語教えてないのに(笑)。一番下の弟子も取ったし。落語を教えるというよりもそういう精神を教えたら、落語家としての形を自分自身でまとっていくというか、俺もそうなんやけど。

立川談志という人をすごいなと思うのは、もちろん落語家としての立ち位置もすごいけど、その時代のマスコミに出てるみんなを掌握してたことよ。たけし兄さんも高田文夫先生も弟子にする、上岡龍太郎という人まで弟子にして、口うるさい方がみんな自分の配下におるわけよ。その人らも本当に談志師匠を尊敬して、本当に好きでいてるわけや。あのこわもてらは、冗談で弟子にならへん。立川談志をホンマに尊敬してるから行くねん。

ゆみこ 立川流の顧問っていうの? そこには手塚治虫さん、石原慎太郎さんとかすごい人たちで固めて。

鶴瓶 そんな組織をつくることによって、芸能界の人たちが「噺家ってやっぱりすごいな」って思うわけや。だからうまいなと思うよ。

ゆみこ パパの人生はそれだったんだなと思ってる。落語を好きでしょうがなくて愛していて、そんな落語が日陰になってしまったときに、自分の力でどうにか落語がなくならないように、そのためだったらなんでもやります、みたいな感じだったのね。

鶴瓶 本当になんでもやってるからね。そのバトンは誰かが受け取らないといけないけど、受け取れない。師匠はテロみたいなやり方でやったから(笑)。普通にやってもみんなこっちを向かないからね。

だけどとにかく今は「お笑い」が大きくなりすぎたかな。漫才もそうやしコントもそうやし、喜劇というジャンルも大きくなりすぎた。落語というひとつの形式が、芸能の中でちゃんと生きていけるものにしないと。

ゆみこ パパはできる限りのことをやって、とても幸せな人生だったと思う。

鶴瓶 やりたおして向こうに行きはったからな。

ゆみこ みんなが鶴瓶さんに落語をやってと言うのはそういうことだよね。落語をメジャーなものにするっていうのは、とても大事な役割ですよ。

鶴瓶 長いことかかるよね、死ぬまでにできるかどうか。こんなこと言ったら怒られるけど、上方落語であろうが落語協会であろうが芸協であろうが、そんなんじゃないねん。落語家として一緒になってやらなあかんことがたくさんある。大阪も東京も関係なく、ひとつの会をつくっていかないと。

ゆみこ やっぱり落語っておもしろいよね。

鶴瓶 なんでやらへんの、落語?

ゆみこ 今は「ゆみちゃん寄席」っていう会をつくってそこに落語家さんを呼んで、席亭をやってるから。

鶴瓶 俺は出えへんよ。

ゆみこ 何も言ってないじゃない(笑)。でも、ぜひ一席お願いしますよ。

鶴瓶 出ません出ません(笑)。ゆみちゃんが自分で落語やったらええやんか。

ゆみこ 自分でも話してるけど、いろんな人が助けてくれるのよ。鶴瓶さんもどうかひとつ。

鶴瓶 俺は行きません(笑)。

ゆみこ お恥ずかしいんですけど、パパの落語なんか数えるほどしか聴いたことなくて。パパが死んでからなんかさみしくなって、お弟子さんたちの落語の会に行くようになったの。

鶴瓶 そうか。じゃあ「ゆみちゃん寄席」すごくいいことやんか。

ゆみこ だからご相談でね......。

鶴瓶 いや、出ないです(笑)。俺も「無学」【※8】という会をやってるけど、あれ平安時代からやってたとしても赤字やで(笑)。

※8......無学の会 鶴瓶が主宰する落語会などのイベントで、笑福亭松鶴の住居跡地で行なわれている。

ゆみこ 今お弟子さんはいっぱいいるけど、落語やる場所ないじゃない? 私の人脈もあるし、若い人がそういう人たちと知り合う機会もできたらいいなと思って。

鶴瓶 (談志師匠に)やれって言われてるんやろね、上からね。

ゆみこ かもしれないね。だから鶴瓶さんにもご相談させていただければ......。

鶴瓶 それは行かないです(笑)。

ゆみこ なんでそんなに拒絶するの!?(笑)。鶴瓶さん100歳くらいまで生きてみようよ。いちばん長生きできそうな素質を持ってると思うけど。『71歳の反逆児』っていうパパのドキュメンタリーをやってたけど、今の鶴瓶さんの69歳はまだまだ若いよね。

鶴瓶 談志師匠なんて、もっと生きると思ったけどね。

ゆみこ いやー、あれは本当に死んでよかったと思ってる。

鶴瓶 この対談、早く終わってください!(笑)

●立川談志(たてかわ・だんし) 
本名、松岡克由(まつおか かつよし)。「落語立川流」家元。落語家としてだけでなく、一時期は政治家としても活躍。『笑点』を作った人物でもある。2011年11月21日、75歳没。

●笑福亭鶴瓶(しょうふくてい・つるべ) 
落語家。1972年に6代目・笑福亭松鶴に入門。テレビ・ラジオ・映画・舞台と幅広い分野で活躍。17年間にわたり密着したドキュメンタリー映画『バケモン』が、東京・ヒューマントラストシネマ渋谷、大阪・シネ・リーブル梅田ほか全国順次公開中。

●松岡ゆみこ 
元タレント、クラブ経営者。落語家・立川談志の長女。著書に立川談志が息を引き取るまでの約9ヵ月間を記録した『ザッツ・ア・プレンティー』(亜紀書房)がある。現在、週プレNEWSにて『しあわせの基準―私のパパは立川談志―』を連載中。

連載コラム『しあわせの基準ー私のパパは立川談志ー』は、毎週月曜日配信です。

立川談志師匠没後10年特別企画、松岡ゆみこと笑福亭鶴瓶の対談動画公開中!