『プロデュースの基本』著者で、数々の大物ミュージシャンを手がけてきた木﨑賢治氏

20代でアグネス・チャン、沢田研二を手がけ、その後も吉川晃司、大沢誉志幸、槇原敬之、トライセラトップス、BUMP OF CHICKENら錚々(そうそう)たるミュージシャンを世に送り出してきた音楽プロデューサーの木﨑賢治氏。

彼は常に、サウンドにも新しいスタイルを取り入れ、無名だった細野晴臣率いるキャラメル・ママをアグネス・チャンのアルバムの演奏に起用している。また、松本隆や売野雅勇、銀色夏生を作詞家として世に出し、糸井重里に沢田研二のアルバム『TOKIO』の楽曲のタイトル付けを依頼している。

実績に関係なく、それぞれのアーティスト、クリエイターの可能性を見出し、常に未来だけを見つめ続けた1946年生まれの鬼才は、75歳となった今も研究を怠らず、ヴィジョンを明確に、世界に通じる音楽をつくろうとしている。昨年末に出版した『プロデュースの基本』(インターナショナル新書)が好評を博す木﨑氏に、ものづくりの本質を聞いた。

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――木﨑さんは現在、世界で売れる音楽をつくるべく、トラックメイカーや作詞・作曲家、シンガーなどを募集するオーディション「JTW(JAPAN TO THE WORLD)PROJECT」を開催中です。音楽プロデューサーとして50年目を迎えた今なお精力的に活動されている理由、原動力の源をうかがいたいと思います。

木﨑 僕は毎回、100%でやっているつもりなんですが、終わった後に「こうすればよかったな」っていうことを思いついちゃうんですよね。「こうやればもっとよくなるな」っていうのが、ずっと続いているんです。例えば、スポーツ選手であれば、新しいことを思いついても、体力や反射神経が衰えていれば試せなくなるけど、音楽はそうじゃない。もちろん、年齢と共に聴力は落ちてくるだろうし、若い人とは聴こえ方も違うかもしれないけど、研究心は変わらずにずっとありますね。

――各年代でヒットを出してきましたが、どこかでやり切ったなと満足して、引退を考えるようなことはなかったんですか?

木﨑 時々はありますけどね。新しいものに興味がなくなるとそういうことが起こると思う。多くの人は、どこかのタイミングで新しいものを聴かなくなったりすると思うけど、音楽だけじゃなく、ファッションでもレストランでも、作り手は新しいものに興味がなくなると反応が鈍くなるというか。「人間は反応で生きてるだけだな」と思うんです。外からの刺激がないと反応しなくなる。自分の作品も世の中に反応して制作しているだけなんですよ。それが、サウンドになり、歌詞になり、歌い方になったりする。だから、今の世の中を"ライブ"で生きていれば、必ず反応が出てくると思ってますね。

――著書『プロデュースの基本』でも「昔の曲を聴くことを封印していた」と書いていますね。

木﨑 昔の曲を聴けば、「いい」って思うんですけど、その「いい」は、若い人が今流行ってる曲を聴いて「いい」と思うのとは違う感じ方だなと思っていて。昔の曲を聴いて、「キュン」とくるときは、自分が経験した過去の思い出が大半を占めています。でも、高校生の女の子は、過去じゃなく、今聴いて、「キュン」ときてるはず。もしかすると「あの頃はよかった......」って思いながら聴いてる高校生もいるかもしれないけど(笑)。自分は、中高生時代に聴いたときは、単にその曲がよかったっていう感覚なので、新しい曲は現在という時間の中で聴きたいと思ってるんです。

――木﨑さんの中で、その「いい」や「キュンとくる」感覚は変化していますか?

木﨑 僕は、音楽は"青春"のような気がしてるんです。だから、青春時代に感じたことを忘れないようにして生きてるんですね。あのときの感情を――形じゃなくて、形にできないワクワクする気持ちやグッとくる感じを覚えていて、今の技術やセンスでリメイクする。

過去というものには、忘れないほうがいいことと、忘れちゃったほうがいいことの両方があって。忘れちゃいけないのはワクワク感。忘れたほうがいいのは形、スタイルですね。ワクワクする気持ちは2020年も1980年も一緒だけど、それを表す形は変わってるんでしょうね。形は脱ぎ捨てるけど、そのときの気持ちは変わってないような気がします。

――ご自身の過去の仕事を振り返ってみることもないですか?

木﨑 そこから抽出した技術や知識は覚えてますね。僕は中学校1年生から作曲をしてるんですけど、コード進行やメロディの大切なポイントはいっぱい覚えてるんですよ。そこから得た学ぶべきもの、次につくるときに注意するものだけは覚えてる。自分に役立つところだけを覚えてるという意味では、現実主義者なのかな。でも僕は、人間は目的を持つことが一番大切だと思っていて。自分が目的を持って生きていたら、それに関することだけは引っかかってくるし、いろんなものが見えてくると思うんですよね。

――木﨑さんの人生の目的というと?

木﨑 音楽に関しては、つくりたい音楽をつくるってことですね。今、生きてて感じるものや、新しい曲を聴いて感じるものがあると、やっぱりつくりたいなと思う。最近はSpotifyで洋楽ばかりを聴いているんだけど、好きになる曲は、自分が学生の頃から好きだった曲と共通するものがあって。僕はすごいアナーキーなものや古臭い感じがしすぎるものはあまり好きじゃない。インテリジェンスがちょっとあって、ちょいリベラルなものが好きで、それは今も変わらないんですね。『プロデュースの基本』でも書いたけど、<カッコ良さと斬新さ>と<大衆性>のバランスです。その2021年バージョンをどうつくるか考えることが楽しいんです。

――先ほど、「形は脱ぎ捨てる」と仰いましたが、歌謡曲からJ-POPへと移行したこの50年間を最前線で見てきた木﨑さんの目には、日本のポップミュージックの"形"はどう変わってきたと感じていますか?

木﨑 僕が学生だった頃、「上を向いて歩こう」がヒットした60年代というのはメロディ中心でサウンドの流行りというのはなかったんですね。だから、「上を向いて歩こう」はアメリカでもヒットしたし、イタリアやフランスの曲がアメリカや日本でヒットすることもあったんです。その後、メロディが尽きちゃったということもあるけど、70年代にはブラックミュージックから派生したソウルやファンクのグルーヴが主流になって、80年代には楽器がさらに進化して、段々とサウンド志向が強まってきた。

時代とともにサウンドの流行りが生まれるようになったんですね。だから、沢田研二「勝手にしやがれ」(1977年)のキック(バスドラム)はフィラデルフィア・ソウルのサウンドだし、「TOKIO」(1980)はテクノ、「ス・ト・リ・ッ・パー」(1981年)ならロカビリーを取り入れている。次第にメロディが重視されない時代になってくるんですけど、その後にスウェーデンからメロディックでありながらサウンドもうまく使ったミュージシャンが現れたんですね。

――スウェーデン人がつくるメロディは日本人のメロディと似ているところがありますよね。

木﨑 そうですね。センチメンタルなメロディを、センチメンタルなトラックで表現しちゃうのが日本だとすると、向こうはEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)のトラックをつけるんですよ。ABBAから始まって、エース・オブ・ベイス、ロクセット、アヴィーチまで。ブラックミュージックがつくったグルーヴに、コードを多くして、スウェーデンのセンチメンタルなメロディをつけた。

その楽曲に惹かれて、バックストリートボーイズやブリトニー・スピアーズ、ピンクやケリー・クラークソンがスウェーデンに行くようになり、全米1位を獲得するようになる。スウェーデンのプロデューサー、デニス・ポップやマックス・マーティンはチームでコライト(共同で曲作り)していて、それは今も続いていますね。

――J-POPのヒット曲も最近は海外クリエイターのコライトによる曲が増えてきました。

木﨑 アメリカでも昔から2、3人でやってる人がいたけど、日本人はメロディをつくってるところを見られるのが恥ずかしいのかな(笑)。でも、僕はみんなでつくったほうがいいと思う。ふたりでつくる場合、もうひとりはリスナーになるんですよ。客観的にどこがいいか、どこが悪いか、どこが退屈かがわかるから。マックス・マーティンのチームがつくる曲もマイナー調だったりして、そこは日本人と似てるんです。ただ違うのは、日本人は「世界で売れる」っていうことを考えてないこと。踊れるっていう要素が、J-POPとして発達してきた日本の音楽にはないのが違いですね。(後編に続く)

●木﨑賢治(きさき・けんじ)
音楽プロデューサー。1946年、東京都生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。渡辺音楽出版(株)で制作に携ったのち、独立。数多くのヒット曲を生み出す。(株)ブリッジ代表取締役。2021年よりグローバルチャートをめざす「JTW PROJECT」開始。音楽プロデューサー本間昭光氏とYouTubeチャンネルで「音楽の方程式」配信中。

■『プロデュースの基本』
インターナショナル新書 968円(税込)