「僕はツッコミなしでも笑いを生むシステムのあるコントをやりたくて。まだ学生だったバカリズムのコントがまさにそういうネタで、しかも、僕のネタよりも美しいシステムコントでした」と語るオークラ氏

バナナマン、バカリズム、アンタッチャブルらと若手時代を共にした放送作家のオークラさんが、1990年代半ば頃の東京芸人の人間模様を描いた、自伝的青春譚『自意識とコメディの日々』

オークラさんは古くからバナナマンのライブに携わり、設楽統(したら・おさむ)さんから「第3のバナナマン」と称される放送作家。現在では、『ゴッドタン』(テレビ東京系)などのバラエティ番組の構成だけでなく、TBSドラマ日曜劇場『ドラゴン桜2』の脚本までマルチに活動している。

そんな著者に、現在テレビ界で活躍している東京芸人たちの若手時代はどうだったのか、同時代に大阪で活動していた元ジャリズムのインタビューマン山下が直撃!

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――バカリズムさんのネタを初めて見て、驚いたそうですね。

オークラ はい。舞台のコントって、ツッコミを入れて笑いどころを明確にしないとなかなかウケないじゃないですか。でも、僕はツッコミがなくてもちゃんと笑いを生むシステムのあるコントをやりたくて。

当時、僕の周りにはその手法でコントを作っている芸人がいなかったんですが、まだ学生だったバカリズムのコントを見たら、まさにそういうツッコミなしでも笑えるネタだったんです。しかも、僕のネタよりも美しいシステムコントでした。

――若手時代、『爆笑オンエアバトル』(NHK)で結果が出ず、敗者コメントを求められたバカリズムさんは「また同じネタを持ってきます」と敗者らしからぬ発言をして、ディレクターから撮り直しを求められたものの、頑なにコメントを変えなかったという逸話もあります。

オークラ 当時、「芸人として負けざまを見せたくない」という思いはみんなあったんです。でも、それを最後まで貫いたのはバカリズムだけだと思います。

――普通はディレクターの指示を拒否できないですよね。

オークラ 昔、バカリズムの単独ライブを有名な作家さんに見てもらったんですよ。それでもバカリズムは媚(こび)を売るようなマネは一切しなかった。テレビに出てる芸人さんってかわいげがあって愛されるキャラなんですけど、バカリズムは天才と言われて出てきて、その後もかわいげを一切見せないから、テレビスターになるのが遅れましたね。

――確かに、売れるためには、かわいげがあって負け顔を見せられるのが大事と言いますよね。

オークラ バナナマンももともとテレビ業界の人からは「テレビ否定してるでしょ」と思われていたんですよ。でも、『リンカーン』(TBS)の「世界ウルリン滞在記」で、日村(勇紀)さんが渋谷のギャルサーと1週間生活を共にするという企画をやったら、ダウンタウンさんがすごく笑って。

それからダウンタウンさんが日村さんをいじるようになって、業界の人も「バナナマンっていじっても面白いんだ」ってなって。気づけばテレビ界に当然のようにいる人になりました。

――バナナマンさんが今のようにテレビで売れる前にYOUさんとライブをやったとき、YOUさんが書いてきたコントを設楽さんがボツにしたと聞きました。

オークラ YOUさんが「私も書いてきたよ」って台本を持ってきたんです。それで設楽さんが読んだんですが、本番が近づくのに一向にその練習をしないんですよ。「あれ? これやらねぇ気だな」って(笑)。

――大先輩でも忖度(そんたく)なし(笑)。オークラさんも設楽さんにコントの台本をボツにされていたんですよね。

オークラ 僕はダメなときは20本中1本のときもありました。でも、最近は少しは増えてきました(笑)。

――若手の頃、オークラさんやアンタッチャブルの山崎弘也(ひろなり)さんは、ちょっと上の世代のくりぃむしちゅーの有田哲平さんやX-GUN(バツグン)のさがね正裕さんから、プライベートでむちゃぶりの洗礼を受けていたそうですね。

オークラ そのフリに唯一、ちゃんと応えられていたのがザキヤマだったんです。デビューしたての頃はダウンタウンの松本(人志)さんに憧れてポイントでズバッと面白いことを言う芸だったのに、そういうむちゃぶりに応え続けているうちに、ザキヤマは今の明るいキャラクターになったんですよ。

――オークラさんは東京03(ゼロサン)とも関係が深く、単独ライブを手がけたりしていますが、そもそもトリオ名を発案したのもオークラさんなんですよね?

オークラ 組んだのが2003年だったし、3人組だし、ちょうど電話で相談されたので、市外局番の「03」から「東京03はどう?」って。

――もともと飯塚悟志(さとし)さんと豊本明長(あきなが)さんがコンビを組んでいて、そこに角田晃広(かくた・あきひろ)さんを加えてトリオになりましたが、結成してからすぐに結果が出るようになりましたよね。

オークラ ライブシーンでは人気が出てきていたんですが、その頃は『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)のショートネタブームで、東京03のロングコントがなかなか見てもらえない時期でした。それで全国ツアーをしたんですが、全然客席が埋まらなくて「ヤバい、ヤバい」と言っていたら、そのすぐ後に『キングオブコント』(TBS系)で優勝したんです。

――優勝したときはどういう気持ちで見ていたんですか?

オークラ 前年のバナナマンが2位で、それが悔しくて。その雪辱戦という気持ちで見ていたので、優勝した瞬間は東京03の楽屋にいたのですが、飲んでいたコーヒーが飛び散るほど喜んでいました(笑)。

――最近では『ドラゴン桜2』の脚本も書かれていますが、このきっかけは?

オークラ 「『グランメゾン東京』(TBS)のスピンオフで軽いコメディを書いてほしい」と依頼があって、それがParaviの最高PV数になったんです。それで今度は『半沢直樹』のスピンオフのラジオドラマの依頼があって。それも評判が良くて、「だったら『ドラゴン桜』やってみる?」って。

――こうなると、肩書が放送作家ではなくなってきますよね。

オークラ 僕に一番ピッタリな肩書は何か考えたときに思いついたのは「ハイパーメディアクリエイター」だったんです。

――それ、高城剛(たかしろ・つよし)さんでしょ(笑)。

オークラ すいません。まだ思いついていません(笑)。いい呼び名があれば教えてください(笑)。

●オークラ
1973年生まれ、群馬県出身。脚本家、放送作家。バナナマン、東京03の単独公演の初期から現在まで関わり続ける。主な担当番組は『ゴッドタン』(テレビ東京系)、『バナナサンド』(TBS系)、『JUNK・バナナマンのバナナムーンGOLD』(TBSラジオ)など多数。近年は日曜劇場『ドラゴン桜2』(TBS)の脚本のほか、乃木坂46のカップスターWeb CMの脚本・監督など仕事は多岐に広がっている

■『自意識とコメディの日々』
太田出版 1760円(税込)
1994年、ダウンタウン旋風が吹き荒れるなか、お笑いコンビとしてデビューしたオークラ。しかし、才気あふれる芸人たちを前に「俺が一番面白い」という自意識は砕かれ、己の限界を知る。「コント愛なら誰にも負けない」と作家へ転身したオークラは、バナナマン、東京03、おぎやはぎ、ラーメンズ、劇団ひとり、バカリズムらと出会い、新たな笑いを生み出していく――。発売前にAmazonブックランキング総合1位(11/13-14)に輝いた話題書

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