「放送作家になる前にAVのモザイク処理をしていたというチェ・ひろしと、有名人の方々は僕の中ではまったく等価値なんですよ(笑)」と語る藤井青銅氏

『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)をはじめ、過去にはウッチャンナンチャン、伊集院光、松田聖子、大瀧詠一(おおたき・えいいち)ら、名だたるスターたちのラジオ番組を担当してきた放送作家、藤井青銅(せいどう)氏。

66歳の今も現役バリバリだが、最新刊『一芸を究めない』のタイトルどおり、小説家、脚本家、作詞家、演出家など、ジャンルを飛び越えて縦横無尽に活躍し続けてきた。放送作家という肩書にとらわれず、長年にわたって第一線で輝く藤井氏の生きざまに迫る。

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――1979年の「第1回星新一ショートショート・コンテスト」で入賞された後、作家ではなく、放送作家としてスタートされたのはなぜですか?

藤井 賞は獲(と)りましたが、小説で食べていけるとは思えなくて。同じコンテストの入賞者の中にプロの放送作家がいたので、その人にラジオドラマの脚本の仕事を紹介してもらいました。そこから放送作家の仕事を始めましたが、同時に短編小説を書く仕事もしていたので、最初から二足のわらじでしたね。

――そこから、さらにわらじが増えていきますよね。

藤井 放送作家と名乗っていると「ドラマ書いて」「作詞できる?」といろんな仕事の話が来るんです。間口の広い肩書だから、本当に便利なんですよね。

――特に意外と感じた仕事は?

藤井 いっこく堂さんの仕事は意外すぎましたね。知り合いのプロデューサーに「腹話術師に会ってくれ」と言われたけど、僕は「腹話術師? 浅草のおじいさんの芸人さんでしょ?」という感じで乗り気じゃなくて。でも、その芸を見たら、すごいテクニックでびっくりしました。

――世に出る前から、すでに別次元だったんですね!

藤井 それで腹話術の脚本を書くことになったんです。でも、脚本だけだと僕の意図がうまく伝わらなくて、演出もやらせてもらうことになりました。

――また肩書が増えましたね。

藤井 ついでにプロデューサーもやらせてもらいました(笑)。最初は寄席演芸色の強い仕事ばかり舞い込んできたけど、すべて断って。海外で成功して、もっとエンターテインメントのイメージをつけたかったんです。それでNHKに話を持っていって、ラスベガス特番が決まりました。

――敏腕Pじゃないですか!

藤井 ラスベガスで腹話術の大会があって、全編英語の腹話術をやったんですが、僕が書いた日本語の台本の英訳をパックンマックンのパックンに頼みました。やっぱり笑いもわかっている人じゃないとダメだと思って。

「カーナビの音声指示が体育会系」というネタで、「押忍(おす)!」とか「ちゃんと後ろを見ろ!」というセリフを腹話術でやるんですけど、パックンが「体育会系」を「鬼軍曹」と訳してくれて(笑)。大ウケでした。

――まだ若手だったパックンの才能を引き出したわけですね。ちなみに、藤井さんは新人だった頃の伊集院光さんともラジオをやられていたんですよね?

藤井 よく間違えられるんですけど、僕は『伊集院光のオールナイトニッポン』(1988~90年)に直接は携わっていないんです。深夜3時からオンエアなのに、彼は19時には局に来ていたので、「今日どんな話をするの?」と本番前にいろいろと雑談をしていただけです(笑)。

――本番の8時間前入りですか(笑)。伊集院さんにとって、藤井さんとのやりとりがラジオパーソナリティとしての原型になっているそうですね。

藤井 本番前の雑談でいまいち面白くないとき、僕はつまんない顔をしていたらしいんですけど、そうすると「こんなのもあるんですけど......」ってすぐ別のネタに切り替えてね。彼は若い頃から常に3つぐらいは話を持ってきていましたから。

――芸人さんのラジオといえば、オードリーを推薦したのも藤井さんだったんですよね?

藤井 『M-1グランプリ2008』(朝日放送)で準優勝した当時はまだ春日(俊彰)さんの「トゥース!」のイメージが強かったので、このままだと一発屋のコンビで終わる危険性があるなと思って。

僕はその3年くらい前から『フリートーカー・ジャック』(ラジオ日本)というラジオ番組で芸人さんにひとりしゃべりをしてもらっていたんですけど、そこに若林(正恭[まさやす])さんに何度も来てもらっていて。M-1の前から彼がしゃべれることを知っていたんですよ。

――当時の若林さんは「じゃないほう芸人」とくくられることもありましたよね。

藤井 あのしゃべれる若林さんがこのまま埋もれるのは良くないと思って。それでM-1で準優勝した直後にニッポン放送の編成局長に「オードリーで特番をやりませんか?」と持ちかけたんです。

「彼らのフリートークは一度も聞いたことがないけど、藤井さんがそれほど推すなら一度お願いしてみよう」と快諾してくれて。この業界で長く仕事をしていて良かったなと初めて思いましたね(笑)。

――話は変わりますが、藤井さんは一般財団法人日本パイ文化財団の理事も務められているとか。どんな経緯が?

藤井 2014年に『ゆるパイ図鑑』(扶桑社)を出したのがきっかけです。あるとき、静岡の「うなぎパイ」のように、秋田には「はたはたパイ」、愛知には「きしめんパイ」があると知って。「これはきっと全国にあるぞ」と調べたら、本当に全都道府県にあったんです。

それで図鑑を出したら、なぜか渋谷のヒカリエで「全国ゆるパイ展」をやることになって。1万人も集まったんですよ。日本人って、こんなにパイが好きなんだとビックリしました(笑)。

――興味、関心の幅がすごいですね。ジャンルレスすぎます(笑)。

藤井 自分としては、ただただ面白いと感じたものを仕事にしているだけなんですけどね。最新刊でも、松田聖子さんのような芸能人だけでなく、一般の方のエピソードも入れていますけど、有名とか無名とか関係なく、自分が面白いと感じた人を並べたら自然とこうなりました。

この本に出てくる人物の中で一番人気は放送作家のチェ・ひろし。放送作家になる前にAVのモザイク処理をしていた彼も、僕の中では有名人の方々とまったく等価値なんですよ(笑)。

――(笑)。これまでのお仕事もそうですが、多様性を愛する姿勢が一貫していますよね。

藤井 持続可能というかSDGsというか(笑)。意外と今っぽいと思うので、集英社さんでもぜひ本を書かせてください!

●藤井青銅(ふじい・せいどう)
1955年生まれ、山口県出身。第1回「星新一ショートショート・コンテスト」入賞。以来、作家、脚本家、作詞家、放送作家としての活動を開始。ライトノベルの源流とも呼ばれる『死人にシナチク』では"笑いの青銅ワールド"を確立。『オールナイトニッポン』をはじめ、多くのラジオ、テレビ番組の台本や構成を手がける。また腹話術師、いっこく堂のデビューにあたり脚本、演出、プロデュースを担当。著作に『一千一ギガ物語』『「日本の伝統」の正体』『ハリウッド・リメイク桃太郎』『ラジオにもほどがある』『ゆるパイ図鑑』などがある

■『一芸を究めない』
春陽堂書店 1650円(税込)
星新一、キャンディーズ、瀬戸朝香、松田聖子、オードリー、ウッチャンナンチャン、デーモン閣下、小林信彦、横山やすし、いっこく堂、加山雄三、谷村新司、吉川晃司、ビビる大木、劇団ひとり、伊集院光、爆笑問題、藤村俊二、森山良子、大瀧詠一といった名だたるスターたちと、40年以上にわたって仕事をし続けるなかでレジェンド放送作家の藤井青銅氏が培った処世術、それが「一芸を究めない」。進路に悩んでいる人は必読の一冊だ

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