現在、タビン野生動物保護区で保護されているスマトラサイは雄のタムと雌のイマン(写真)の2頭のみ

絶滅したはずのサイの足跡が見つかった──。そんな情報を頼りに危険なジャングルに野生のサイを探して分け入った前回

後編は、保護下にある最後のスマトラサイとの貴重な対面と、サイが生きていけない環境をつくってしまった背景に迫る。われわれ日本人が知っておくべき絶滅サイ問題の裏側とは?

■保護下にある最後のスマトラサイ

東南アジア・マレー諸島最大の島、ボルネオ島にあるタビン野生動物保護区(マレーシア・サバ州)。そこに特別な許可を得て入り、ジャングルで野宿をしながら4日間探し回っても、野生のスマトラサイに出会えなかったのは前編でも、お伝えしたとおり。

だが、同じ保護区の一画に、"最後の2頭"とされる保護されたスマトラサイがいるという。それを聞きつけて現場を訪れると、サイ舎にはちょうど夕飯を食べに来ていた雄の「タム」(推定30歳)がいた。サバ州政府と共同で活動するNGOの「ボルネオ・ライノ・アライアンス(BORA)」が管理しているのだ。

体長2m、体重670kgというタムは想像していたよりもかなり大きくて迫力がある。もし、クルマで走行中にこのサイとぶつかったら、クルマのほうが吹っ飛んでしまうに違いない。

飼育係から与えられた葉っぱを食べていたタムに柵越しにそっと近づいてみる。3mぐらいの距離になると、こちらに気がついて食べるのを止めた。つぶらな瞳で少しの間、こっちを見ていたかと思うと、突然、「フン、フン、フン、フン」と周囲に響き渡るような大きな音を出し始めた。そばにいた獣医のザイナル・ザイヌディン氏によると、この音は鼻息だ。

「サイは視力がよくない代わりに嗅覚が発達し、周囲のものをにおいで区別します。あなたはタムと初めて会う。だからこうしてにおいを嗅いで覚えているのです」

時間にして15秒ぐらいだろうか。においを識別し終わると、また静かに葉っぱを食べ始めた。食事は朝と夕方の2回。イチジクなど12種類の木の葉を計16kg食べ、それ以外にバナナ、パパイヤ、マンゴーなどの果物も欠かさないという。

エサはイチジクなど12種類の葉を混ぜ合わせたものを与えている

このサイ舎には現在、タムと雌のイマン(推定20歳)がいる。タムは2008年にサバ州にあるアブラヤシの大規模農園(プランテーション)をさまよっていたところを発見。一方、イマンは14年に同州のダナンバレー自然保護区の森で見つかり、ヘリコプターにつり下げられながらここまで運ばれてきた。

実はもう一頭、11年に保護された雌のプントゥン(推定25歳)もいたが、がんが原因で昨年6月に安楽死している。マレーシアは15年にスマトラサイの絶滅宣言を出していて、ここにいるタムとイマンが同国内では最後の2頭ということになる。

彼らの一日のスケジュールは、朝6時半頃から朝食を食べ始め、その後に水浴び。それが終わるとサイ舎の後ろに広がる森に出て、縄張りとしているエリアを周回する。しばらく昼寝をして目を覚ましてから夕飯。夜になるとまた森に戻るサイクルだ。

スマトラサイの縄張りは、15から30平方kmぐらいといわれる。4km弱から5.5km四方ほどのエリアだ。そこを毎日歩き回り、ほかのサイが入ってきていないかを確認し、ついでにマーキングのために自分の足跡や糞(ふん)を残すのだ。

■森林を次々に伐採。その多くが日本に

インドネシアのスマトラ島にはまだ少数が生息しているとされるスマトラサイだが、いつ頃からこんなに減ってしまったのか。

星槎(せいさ)大学大学院教育学研究科専任教授で、マレーシアの環境団体「ボルネオ保全トラスト(BCT)」の創設者でもある坪内俊憲氏によると、20年ほど前までは絶滅という感じではなかったという。

「2000年にサバ州政府が調査に乗り出したときには大人のスマトラサイの足跡はまだ見つかっていて、絶滅する雰囲気はありませんでした。しかし、私は当時から子供のサイの足跡がないことに危機感を抱いていました。子供がいないということは繁殖していない証拠だからです。

その後も一向に子供は見つからず、大人の足跡さえも見かけなくなっていった。徐々にこれはまずいんじゃないかとなり、05年頃にこのままでは絶滅するといわれ始めたのです」

一方、元サバ州政府の野生生物局長で、現在はBCT事務局長を務めるローレンシウス・アンブ氏は、サイを保全するのが遅かったことを指摘する。

「州政府内に野生生物局が独立してできたのは1988年で、それまでは野生動物行政がしっかり機能していなかった。もっと早くからスマトラサイを守る活動をしていれば、絶滅は防げたかもしれません」

サイが減った原因には、密猟もある。中国医学では角を粉末にしたものを煎じて漢方薬にすると解熱剤として効くといわれ、高価で取引される。そのため絶滅の危機に瀕(ひん)するようになってからも密猟者が絶えなかったのだ。

だが、最も影響を及ぼしたのは森の減少だ。前出の坪内氏が説明する。

「ボルネオ島は豊かな熱帯林に覆われていましたが、1970年代から伐採が始まりました。サバ州の例で言うと、当初は伐採で得たお金で奨学金制度をつくり、貧しかった州を支える次世代の人材を育てることが目的でした。

ところが途中から、伐採に大規模な民間資本が入り込んできます。政府も土地開発公社をつくってそこに国有地を払い下げ、土地のない農民に土地を貸す仕組みを設けました。

農民は木を切ったお金で土地のレンタル料を払うのです。こうして森の木がどんどん切り倒され、動物たちのすむ場所がなくなっていきました。サイも間違いなくその影響を受けています」 

ここで伐採した木々を最も買っていたのが日本だ。70年代にはサバ州におよそ1万6000人の日本人がいて、その多くが木材を買いつける商社関連の人々だった。サバ州第2の都市サンダカンには当時、日本商社が軒を連ねていたという。

日本に輸入された木材はラワン合板(ベニヤ)などとして売られる。国産材に比べて値段が安く家具や建具に使われるが、こうした木材貿易が環境破壊につながっているとの指摘は多い。大規模な森の皆伐で、マレーシア領ボルネオ島の熱帯雨林の8割が影響を受けたとの報告もある。

島の北西部に位置するサラワク州では特に違法な森林伐採が問題になっていて、今でもその木をたくさん買っているのは日本。大手商社が輸入し、大手ゼネコンが建材として使っているのだ。

■皆伐した場所はパームヤシが占拠

それでも、熱帯雨林の森は伐採しただけなら「30年もすれば木が再び生い茂った"二次林"として回復する」という。では、動植物の生態系に取り返しのつかないような影響を及ぼす要因として、ほかに何があるのか? 決定的だったのはアブラヤシのプランテーションだ。

アブラヤシは高さが20mほどにもなる木で、赤色をした実を搾るとパーム油が取れる。パーム油は年間を通じて収穫できるため価格も安く、今では世界で最も消費量の多い植物油脂になった。

日本では年間70万t以上を消費し、8割がインスタント麺やスナック菓子などの食品、2割がせっけんや洗剤などの非食品用に使われる。

ほかにマーガリン、チョコレート、クッキー、アイスクリーム、化粧品、塗料など用途は幅広く、スーパーやコンビニの棚に並ぶ商品の約半分にパーム油が使われているとされる。食品のパッケージの原材料に「植物性油脂」とあれば、それはパーム油かもしれない。

ゲートの奥に広がるアブラヤシのプランテーション。マレーシアの大企業、ハプセン社が所有し、インドネシアから来た不法移民などが過酷な条件で働いているヤシの果肉を搾りパーム油として商品化

そのパーム油を生産する2大国がマレーシアとインドネシア。このふたつの国で世界の生産量の約85%を占める。マレーシアにも4、5社ほどのパーム油製造大手企業があり、大規模なプランテーションを保有している。今回の取材でも、地平線の果てまでアブラヤシの木が続いている光景を目の当たりにした。

「森を皆伐した場所には次々にアブラヤシが植えられました。タビン野生動物保護区の周辺もパームヤシだらけです。1種類の木しかないプランテーションに草食動物たちのエサになるような植物があるはずもなく、結局は動物がすめない環境になってしまったのです」(坪内氏)

タムがプランテーションをさまよっているところを保護されたのも、すむ場所がなくなり森から追い出された格好になったからだ。森が減り、今ではここにすむオランウータン、テングザル、マレーグマ、ボルネオゾウ、バンテン(野生の牛)など全部で9種の動物が絶滅危惧種に指定されてしまった。

中央のアブラヤシの葉っぱが垂れているのはゾウに引っ張られた跡。ゾウに限らず、すみかを失った動物たちはこうしてプランテーションに出てくることも

プランテーションの近くにあるパーム油の搾油工場

■絶滅危惧種の保存に日本の技術を活用

タムとイマンを保護しているBORAでは、この2頭が保護下で繁殖行動を取ることに期待している。だが人工繁殖自体、これまでアメリカのシンシナティ動物園とインドネシアでしか成功していないこともあり、なかなかうまくいかない。前出の獣医、ザイヌディン氏が言う。

「森の中で長い間、雄と出会わなかった雌のイマンは、すでに生殖機能を止めてしまったようなのです。その上、子宮に腫瘍もあり、タムを繁殖行動のために受け入れようとはしません。

また、タムの精子とイマンの卵子から人工授精ができないか試していますが、サイの人工授精は極めて難しい上、2頭とも年を取っていて精子と卵子の状態があまり良いとは言えません。シンシナティ動物園やインドネシア政府にも協力を仰ぎましたが、いずれもうまくいきませんでした」

年を重ねるごとに質が落ちるため、2頭の精子と卵子は保存しているというものの、今のところ妙案はない。そこで目を向けているのが日本の技術。BORA会長のアブドゥル・アハマド氏が説明する。

スマトラサイの保全を行なうNGO「BORA」のアブドゥル・アハマド会長。絶滅を防ぐためiPS細胞を使った日本の技術に期待する

「今から約2年前、九州大学大学院の林克彦教授らがマウスのiPS細胞から卵子をつくり、そこから体外受精させた受精卵を使って8匹のマウスを誕生させることに成功しています。

この技術をスマトラサイに活用して繁殖ができないか、ぜひ、林教授たちと話をしたいと考えています。スマトラサイでうまくいけば、ほかの絶滅危惧種の種の保存にも役立てることができるかもしれません」 

サバ州政府で野生生物局長を務めるオーグスティン・ツーガ氏も、「スマトラサイの人工繁殖にはわれわれが持っていない先進技術が必要。野生生物の保護のためにも日本の協力をお願いしたい」と期待を寄せる。

野生生物局長のオーグスティン・ツーガ氏。ヤシ農園は経済を押し上げるが、同時に動植物の多様性を守る取り組みも大切だと訴える

スマトラサイはこのまま絶滅してしまうのか? 何より一番いいのはこの先、若い野生のサイが見つかることだ。まだ自然繁殖している証拠になるし、捕獲して人工繁殖に望みをつなぐこともできる。絶滅宣言を出した野生動物局で、かつてトップの座にいた前出のアンブ氏も、「森は広く、個人的にはまだどこかに野生のサイがいると思っている」と話す。

そのためにも、BCTの坪内氏や現地在住スタッフの石上淳一氏らが続けている自動撮影カメラでの調査は重要な取り組みといえる。

それと同時に忘れてはいけないことがある。サイはもちろん、オランウータンをはじめとする多くの動物が絶滅やその危機に瀕していることに日本人は決して無関係ではないということだ。

毎日の食卓に上る食べ物の多くには、熱帯雨林を伐採した後に植えられたアブラヤシから取れたパーム油が使われている。ホームセンターで安く買える輸入合板にしても、オランウータンやテングザルたちのすみかである森の木を伐採してつくられたのだ。

もちろん木を切り、アブラヤシプランテーションを進めたのは、マレーシアの人たちが決めたこと。だが、それによって、今この瞬間にも地球上から消えそうになっている動物たちがいる現実がある。

そう考えたら、便利さを享受している消費者として、無関心なままではいられないはずだ。

タビン野生動物保護区の密林にいたオランウータンの親子。保護区を取り巻く今の状況を放置すれば、こうした絶滅危惧種が次々に姿を消すことに......