日本で特に感染拡大が問題になっているひとつ、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)

抗菌薬への耐性を獲得し、薬を無力化する細菌――「薬剤耐性菌」に起因する感染症が世界で拡大している。

その死者数は近い将来、ガンによる死亡を上回り、年間1000万人に達するとの予測も。この新たな脅威に、人類はどう向き合うべきか? 薬学の泰斗(たいと)が警鐘を鳴らす!

■感染リスクが高まる黄色ブドウ球菌

抗菌薬が効かない恐怖の細菌、「薬剤耐性菌」――。

近年、世界的に拡大しており、メディアでもたびたび紹介されるが、2018年11月には重大な院内感染が報じられた。

それは、欧米の病院などで医療機器メーカー、オリンパス製の十二指腸内視鏡を用いた検査・治療の後、患者190人以上が薬剤耐性菌に感染したというもの。米国では35人が死亡したとされ、遺族らが同社に、合わせて約50件の訴訟を起こす事態となっている。

「まだ感染ルートは特定されていませんが、同社製の内視鏡は洗浄しにくい構造になっており、院内での使用後の消毒が甘かった可能性が指摘されています」(全国紙記者)

ところで、薬剤耐性菌(以下、耐性菌)とはいったいどういうものなのか。

厚生省(当時)所管の研究機関で病原細菌の研究に従事し、著書に『ガンより怖い薬剤耐性菌』(共著、集英社新書)などがある薬学博士の三瀬勝利(みせ・かつとし)氏が解説する。

「抗菌薬に対する耐性を持ち、薬が効かない、あるいは効きにくくなった細菌を薬剤耐性菌と呼びます。近年はそれが蔓延(まんえん)したことで世界的に感染症が拡大。死者数も増加の一途をたどっています」

厚生労働省によると、耐性菌に起因する死者数は世界で年間70万人。だが今後、耐性菌の猛威は加速度的に増していくと三瀬氏はみている。

「イギリスの研究グループは、このまま何も対策を取らない場合、2050年には耐性菌による感染症の死亡者数は世界で年間1000万人に達すると予測しています。耐性菌が急増している現状を見ると、これは決して非現実的な数字ではありません」

では、耐性菌にはどんな種類があり、ヒトにどのような感染症をもたらすのか?

WHO(世界保健機関)は17年2月に「新規抗菌薬を緊急に必要とする薬剤耐性菌」12種を公表した。そのなかで現在、日本で特に感染拡大が問題になっているひとつが、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)だ。

耐性菌の調査研究を行なうAMR臨床リファレンスセンターの情報・教育支援室長の具芳明(ぐ・よしあき)氏がこう話す。

「黄色ブドウ球菌はもともとヒトの鼻の中や皮膚にすんでいる細菌で、さまざまな感染症を引き起こしますが、その中で多くの抗菌薬に耐性を持ったものがMRSAです。見た目や菌の性格は普通の黄色ブドウ球菌と同じなので診断が難しく、抗菌薬の効果を確認する検査を行なわないとMRSAかどうかわかりません。

黄色ブドウ球菌は、胸の中に膿(うみ)の塊ができる膿胸(のうきょう)や、心臓で繁殖した細菌が血液を通じてさまざまな臓器に飛ぶ感染性心内膜炎を発症させます。

これがMRSAによるものだと治療薬の選択肢が少ないため、治療失敗のリスクが高くなります。MRSAは長らく院内感染が問題になっていましたが、現在は市中にも広がり、入院経験のない人でも発症することがあります」

MRSAなどの細菌は、いかにして抗菌薬を無力化するのか。再び三瀬氏が解説する。

「そのやり口はさまざまですが、細菌が体内に酵素を作ることで抗菌薬の構造を破壊し、抗菌作用を発揮させなくしたり、入ってきた抗菌薬を体外にくみ出したり、菌体の周囲をバイオフィルムと呼ばれる膜状物質で覆い尽くして防御するといった方法があります」

こうした耐性機構は細菌がもともと持っているケースもあるが、多くの場合、投与された抗菌薬から身を守るために形成されるのだという。

「これまで200種以上の抗菌薬が作られ、使用されてきましたが、いずれの抗菌薬でも耐性菌が出現しなかったケースはありません」

そして、ヒトの体内で一度、耐性菌が出現すると、その数はどんどん増えていく。

「細菌のなかには抗菌薬への耐性を持つ菌と持たない菌がいて、実際に耐性を持つ菌はもともとは少数派。しかし、抗菌薬が投与され続けると、耐性を持たない多数派の細菌が死滅する一方、少数派の耐性菌だけが生き残り、どんどん自分の子孫を生産する。こうして次第に耐性菌が優勢になり、多数派となって体内に薬が効かなくなる環境が生まれるのです」

■「耐性菌の蔓延は"人災"でもある」

耐性菌が蔓延する最大の要因は、「抗菌薬の乱用にある」と三瀬氏は指摘する。

「風邪をひいたときに病院で抗菌薬をもらった経験があるでしょう? しかし、風邪の原因のほとんどはウイルス。抗菌薬にウイルスをやっつける力はないのに、医師は安易に処方し続けてきました。

医師からすれば『細菌性の肺炎の併発を予防するために』という言い分もありますが、そこに処方箋料という利益を追い求める姿勢はなかったか? 彼らが抗菌薬をもっと慎重に使っていれば、耐性菌の蔓延は防げたはずです」

抗菌薬が乱用されてきた対象はヒトだけではない。

「ヒトに使われる数倍の抗菌薬が家畜の飼料添加物として使われています。餌に抗菌薬を混ぜて与えると牛や豚や鶏は太り、抗菌薬を与えない家畜に比べて肉の生産量が増大し、肉質も良くなるためです。当然、家畜の体内で耐性菌は増殖していきます」

18年3月、厚労省研究班は食肉検査所などで鶏肉を調べた結果、49%の鶏肉からESBL産生菌などの耐性菌が検出されたと発表した。

「家畜由来の耐性菌は、後に食肉と一緒にヒトの体内に入ってくることになります」

医療、畜産の各業界で抗菌剤が乱用されてきた状況を踏まえ、「耐性菌の蔓延は"人災"でもある」と三瀬氏は指摘するのだ。そして、これまで抗菌薬の乱用によって耐性菌が増殖すると、新しい抗菌薬を作って対抗するという"イタチごっこ"が繰り返されてきたが、「今や病原細菌の勢いに押しまくられている」(三瀬氏)のが実情だ。

「70年代までは新規抗菌薬の開発が続きましたが、その後は停滞。今ではほとんど新薬が生まれなくなりました。その理由は製薬会社が開発に及び腰であること。

新しい薬剤の開発には莫大(ばくだい)なコストと時間がかかりますが、抗菌薬は糖尿病などの慢性疾患の治療薬に比べると投与期間が短く、企業にとっては儲(もう)けづらい薬剤だからです」

政府や関係省庁は耐性菌対策として製薬会社に抗菌薬の開発を促しているが......。

「企業が開発に乗り出しても、資源の枯渇という壁に直面するでしょう。というのも、抗菌薬のもととなる抗菌物質とは、微生物が作る、ほかの微生物をやっつけるための物質。ペニシリンも、もともとはアオカビの中から発見されたものでした。

しかし、人間には無害で、細菌にだけ毒性を示す抗菌物質には限りがあり、『もう自然界には存在しない』と指摘する専門家は少なくない。抗菌薬は石油以上に、資源の枯渇が問題になっているのです」

長年、薬剤耐性菌の研究をしてきた薬学博士の三瀬勝利氏は、「耐性菌の蔓延は『人災』でもある」と警鐘を鳴らす

■耐性菌から身を守る方法

耐性菌に対し、もはや人類になすすべはないのか?

「まだ救いはあります。耐性菌は、抗菌薬が使われない環境では耐性を持たない菌との生存競争に負け、その数を減らしていくという性質を持っています。つまり、ヒトの体内で、ある抗菌薬に耐性を持つ菌が多数派を占めても、その薬の使用を中断、あるいは抑制すれば、いずれ耐性菌は劣勢になり、その抗菌薬はやがて効果を取り戻すということです。

そのためには医療機関や産業界が抗菌薬の乱用を慎むこと。そうなるように政府や関係省庁がなんらかの規制をかけるなど、抑止力を働かせることも必要でしょう」

その一方で、消費者が個々にできることもある。

「風邪で病院にかかっても、安易に抗菌薬の処方を求めないこと。また、最近は現代人の極端な清潔志向を背景に、さまざまな抗菌グッズが氾濫していますが、これらに細菌やウイルスへの消毒効果は期待できません。それどころか、各品に添加された微量の抗菌剤が耐性菌を増やすリスクを増大させます。

家庭に病人や寝たきりの高齢者がいない限り、抗菌グッズを使うことは有害無益ですから、使用は極力控えること。消費者が賢くなることが耐性菌を減らすことにもつながるのです」