捕食者のヒョウから身を守るため、爪が立ちにくい細い枝の上にベッドをこしらえる

われわれは、四角いベッドに寝ることが当たり前だと思いがちだが、そこに一石を投じるベッドが現れた。それは、野生のチンパンジーが木の上に作るベッドを模したものである。毎日ベッドを新調するという彼らから、眠りの普遍性を今こそ学ぼう!

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■今まで寝てきたなかで一番心地よいベッド

現代人は常に睡眠不足がちだといわれているが、改めて睡眠を考えてみたい。

そもそも、私たちは四角いベッドに寝ることを当たり前だと思い、それが最も心地よいと思い込んでいるが、いろんな眠りがあってもいいのではないかと提言する人類学者が現れた。野生のチンパンジーを研究する、長野県看護大学准教授の座馬耕一郎(ざんま・こういちろう)氏だ。

座馬氏がそう考えるきっかけとなったのは、タンザニアのマハレ山塊(さんかい)国立公園で野生のチンパンジーを観察していたときのこと。当時、毛づくろいの研究で、チンパンジーの寝床に落ちている抜け毛を拾い、その毛についているシラミの卵の数を数え、寄生率の参考にしようとしていた。

寝床は木の上にあり、チンパンジーが手の届く範囲にある枝を使い、枝葉を折ったり、曲げたり、切って置くことで作り上げられていく。構造的には、長い枝を折り曲げて頑丈な土台を組み上げ、その上に小枝をちぎっては積み重ねるのだという。

チンパンジーのベッドに横たわる座馬氏

座馬氏はある日、木の上6mほどの高さにある寝床までよじ登った。そこで目の前にあるチンパンジーのベッドについつい横たわってしまった。

「いつの間にか爆睡していました。途中で抜け出そうと思いましたが、気持ちよすぎて2時間半も過ごしてしまってました。今まで寝てきたなかで、一番心地よいベッドだったと断言できますね。ベッドは、楕円形(だえんけい)で真ん中が少しへこんでおり、お皿のような形で、木の枝が複雑に織り込まれた構造になっています。

チンパンジーのオスの体重は40kgから50kgぐらいなのですが、60kgの私が乗っても意外に大丈夫でした。初めは怖かった木の揺れでしたが、横になると揺りかごのような心地よい揺れに感じてきて、また、お皿のようなフォルムに体がうまく収まり、包まれる安心感もありました」

なぜ、それほどまでにチンパンジーのベッドは快適だったのか? それはチンパンジーが"ベッド職人"だからだ。毎日新しいベッドに寝るため、なんと一年で365個のベッドを作るという。果物や葉などを食べて暮らすチンパンジーは森のあちこちで食べ歩くので、行った先で日が暮れればそこでベッドを作るからだ。

その遊動域は数十平方キロメートルにもわたるという。しかも、ベッドを作るのに好みの木はあるが、それがなければ、いろんな木にベッドを作る。

赤外線カメラでの夜間撮影。気持ちよさそうに寝るチンパンジー

「幅広く木を見ていますし、どんな木でもこしらえてやるぞっていう技も持っているように思います。好きな木がなくても、職人技でそれなりに作ってしまう。弘法(こうぼう)筆を選ばずと言いますか」

それだけではない。ベッドの構造上、あってもなくてもいいような、片手に収まるくらいの葉っぱしかついていない小枝を上位に置くのだ。

「この枝葉、意味があるかっていったら、微妙な感じがするんですよね。なくてもよさそう。でもチンパンジーは置いて寝るんですね。肌当たりとか、寝心地が変わってくるんだろうと思うわけですよ」

■人間の祖先は木の上で眠っていた

2008年、座馬氏はタンザニアで味わった至福の寝心地が忘れられず、自宅の畳の上で布団を丸めたりして、チンパンジーのベッドを再現し始めた。しかし、なかなかうまくいかなかった。

「チンパンジーは1歳くらいからベッド作りのまね事を始めて、3、4年は練習をしているんですね。人間がわずか1日、2日で作れると思ったら、おこがましいわってことですね」と苦笑いする。

時は流れて、2015年。座馬氏が睡眠文化の研究団体のセミナーで講演をした際に、京都の老舗寝具メーカーの株式会社イワタの岩田有史(いわた・ありちか)社長と、デザイナーの石川新一氏に出会う。

この後、眠りをテーマにする大学博物館のイベントで、チンパンジーの寝床をヒントに展示用ベッドを作ることになった。そして、度重なる試作を経て、名づけて「人類進化ベッド」が誕生した。その岩田氏は語る。

チンパンジーのベッドをヒントに作られた「人類進化ベッド」(株式会社イワタ)。36万円(+税)から販売中

「実は展示会用がなければ、商品化はなかったかもしれませんね。座馬さんが、チンパンジーのベッドはすごく気持ちがいいとお話をされたときは、まだ半信半疑で。『今までどんなベッドで寝ていたんですか?』と思ってしまいました(笑)」

完成したベッドは好評だという。実際に寝てみると、ベッドの奥行きは160cmなので、体を伸ばせば、足がはみ出てしまう。足の置き場がないところを不安に感じていたが、ベッドの縁を一周する枕に、ふくらはぎをのせるとしっかり安定し、はみ出した足先は気にならないばかりか、かかとへの圧力から解放される。

また、良い眠りには寝返りを打つことが重要だといわれるが、寝返りを打つほうにベッドが傾くので、好きな寝相を取りやすい。座馬氏は現在、もちろんこのベッドに寝ているそうだ。

ベッドの縁がすべて枕で、木の上の揺れを再現するため、脚が弓なりになっている

「ホテルに泊まって、普通のベッドで寝ると、すごく違和感がありますね。また、眠り方が文化的なものに制約されている感じもしています。私たちは生まれてからずっと平らなところに寝ているので、これが当たり前でベストだと思っているけれども、実はそうじゃないかもしれない。これって決めつけずに、いろんな眠りがあってもいいのではないかと思います」(座馬氏)

進化の歴史から考えると、人間とチンパンジーが共通の祖先から分かれたのはつい最近で、人間の祖先はある時代まで木の上で眠っていた可能性が高いといわれている。人間にとっての普遍的な眠りは、四角いベッドではなく、チンパンジーのベッドが呼び起こすのかもしれない。

●座馬耕一郎(ざんま・こういちろう) 
現在、長野県看護大学准教授。著書に『チンパンジーは365日ベッドを作る』(ポプラ新書)