パンチパーマへの愛着から普及委員会を立ち上げた愛好家の秋山和宏さん(38歳)パンチパーマへの愛着から普及委員会を立ち上げた愛好家の秋山和宏さん(38歳)

「怖い」「ダサい」「大仏みたい」と敬遠され今やすっかり"絶滅危惧種"となったパンチパーマ。だがサイドを刈り上げる新スタイルで今、若者を中心に再ブームの兆しだとか。

政治、経済、外交と"パンチ"の足りない現代日本でなぜ今、パンチなのか?

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■サイドを刈り上げる現代風の「新パンチ」

「パンチパーマ」に関するネットニュースがバズり、大盛り上がりとなったのは今年8月初旬のこと。なんでも岐阜県内にある「パンチパーマ普及委員会」なる組織が新スタイルのパンチパーマを提唱し、再ブームの拠点になっているという。

普及を図っているのは関市在住の自称パンチパーマ愛好家・秋山和宏さん(38歳)と理容店「ボノ・ヘアー」の理容師、久後靖幸(くご・やすゆき)さん(44歳)のふたりだ。

秋山さんがパンチパーマに出会ったのは今から約4年前のこと。

「自分は造園業者として屋外で作業帽をかぶることが多いんですが、汗で髪の毛がベタっと寝てしまい、しかもセンター分けでへばりつく。めっちゃカッコ悪い上にお客さまにも失礼だといつも気になっていました。そこで頭に浮かんだのが復元力抜群で、手ぐしだけでサッと髪型が整うパンチパーマだったんです」

ところが、どこの理容店に行っても「パンチパーマ? できません」と断られてしまう。90年代のブーム終焉(しゅうえん)とともにパンチパーマ技術を継承する理容師がほとんどいなくなり、どの店も注文に応じることができなかったのだ。

岐阜県のパンチパーマ普及委員会の本部ともいえる関市新田の理容店「ボノ・ヘアー」岐阜県のパンチパーマ普及委員会の本部ともいえる関市新田の理容店「ボノ・ヘアー」

理容店「ボノ・ヘアー」店主の久後靖幸さん理容店「ボノ・ヘアー」店主の久後靖幸さん

そんな秋山さんの救世主になったのが「ボノ・ヘアー」の久後さんだった。

「秋山さんが店のドアを開け、開口一番『パンチできます?』と聞いてきたときにはびっくりしました(笑)。パンチパーマなんてもう12、13年もやったことがなかったものですから」(久後さん)

しかも秋山さんがオーダーしたのは、頭全体にアイロンを当てる「フルパンチ」でなく、サイドをバリカンで刈り上げ、頭頂部だけにパンチパーマを施す当時としては斬新なもの。後に「新パンチ」と呼ばれるスタイルだった。

「フルパンチだとサブちゃん(北島三郎)みたいになっちゃうからちょっと違うなぁと(笑)。でも上だけパンチにしたらオシャレに見えると思ったんです」(秋山さん)

サイドを短く刈り上げるのは欧州で流行中のバーバースタイルで、これに日本のパンチパーマを融合させたヘアスタイルの仕上がりに秋山さんは大感激。

「みんなが思っているパンチよりも自然な仕上がりなので『えっ、それパンチなの?』『カッコいいじゃん』と周囲の評判は上々でした。その上、どんな寝癖や帽子の癖も手ぐしだけで元のスタイルに戻る。もう二度と別のヘアスタイルには戻れません。このパンチの素晴らしさをひとりでも多くの人に勧めたいと思ったんです」(秋山さん)

これが日本初の「パンチパーマ普及委員会」が生まれた瞬間だった。とはいえ、会員数わずか2名の極小組織。地道に草の根PR活動を続けたものの、その存在が知られることはほとんどなかった。

ところが、今年8月にひょんなことから普及委員会の存在がネットニュースでバズると、大きな変化が。

「ネットを見て、『パンチにしてほしい』というお客さんが徐々に増えるようになったんです。ありがたいことに口コミや紹介などで県内だけでなく、県外からもお客さんが来るようになりました」(久後さん)

さらに久後さんらを驚かせたのは、旧来のパンチスタイルを要望する声も少なくないことだ。

「意外にも緩く巻いた現代風パンチや、ウエットジェルで濡れた感じに仕上げる濡れパンより、昔ながらにキツく巻いたゴリゴリのパンチスタイルを希望するお客さんも多くて驚きました」(久後さん)

一度は消滅したかに思えたパンチパーマが、令和の時代にまさかの復権を見せているというわけだ。

第1液を用いて、アイロンで1段ずつ髪をくりくりに巻いたいわゆる大仏ヘア。まさに世間一般のパンチパーマのイメージそのものだが、実はこれは途中経過第1液を用いて、アイロンで1段ずつ髪をくりくりに巻いたいわゆる大仏ヘア。まさに世間一般のパンチパーマのイメージそのものだが、実はこれは途中経過

実際はこの後に第2液を髪にかけることで、巻いた髪が戻って軟らかくなる実際はこの後に第2液を髪にかけることで、巻いた髪が戻って軟らかくなる

第2液を洗い流して完成。実に自然な仕上がりに第2液を洗い流して完成。実に自然な仕上がりに

■なぜパンチパーマは廃れたのか

70年代、80年代に大流行したパンチパーマだが、90年代に入ると一気に下火になった。

「80年代に任侠(にんきょう)界の人たちが『男らしいヘアスタイル』と、こぞってパンチパーマにしたことで、すっかり悪いイメージが定着してしまったんです。なかには『パンチパーマお断り』という張り紙をするゴルフ場まで出てくる始末。もはや入れ墨と一緒の扱いでしたよ」(関西地方の理容関係者)

だが皮肉なことに、90年代に入るとその筋の方々からも見切りをつけられることに。

「暴対法の影響もあって、その筋の方々も『パンチなんて当ててたら、ここにヤクザいます!ってアピールするようなもの』と、逆にヤクザっぽくない髪型をオーダーするようになったんです」

さらに追い打ちをかけたのがキムタク(木村拓哉)人気だ。

「90年代にはキムタク風のロン毛が大流行。さらにカリスマ美容師ブームが起きていたところに彼が主演のドラマ『ビューティフルライフ』のヒットもあり美容室でカットする男性客が急増。この頃にはもう、パンチパーマは見向きもされない存在になってしまったんです」

ただし、ひと筋の光明も。それが2000年代の日本の音楽シーンを牽引(けんいん)したダンス&ボーカルグループ、EXILEの存在だ。

「EXILEのメンバーには短髪が多かったでしょ。それで『彼らのように短い髪型にして』というリクエストがじわじわと増えていたんです。クリスティアーノ・ロナウドなど、人気サッカー選手の短髪刈り上げスタイル=バーバースタイルの流行もありがたかった。美容室に流れていた男性客が理容店に戻ってきたんです」(久後さん)

こうして「新パンチ」が受け入れられる素地は少しずつ整えられていったといえる。

自ら「パンチパーマ普及委員会滋賀支部」の立ち上げを名乗り出た廣田吉秀さん。守山市にある「トップバーバー ツヂ」で約40年間、パンチを当て続けるパンチの匠だ自ら「パンチパーマ普及委員会滋賀支部」の立ち上げを名乗り出た廣田吉秀さん。守山市にある「トップバーバー ツヂ」で約40年間、パンチを当て続けるパンチの匠だ

■灼熱のコテのバトンは岐阜から滋賀へ

パンチパーマ再興の動きは岐阜だけではない。ネットニュースを見た滋賀県守山市の理容店「トップバーバー ツヂ」の廣田吉秀店長(64歳)が「パンチパーマ普及委員会滋賀支部」の結成を秋山さんたちに申し出てきたのだ。廣田店長が言う。

「ニュースを見て『自分と同じく、パンチを愛する人たちがいてたんや』と身震いしました。私はパンチを手がけて40年。ウチの店には今でも上は83歳から下は52歳まで、毎回パンチパーマをかけるお客さんが総勢22人もいるんです。それもあって、気がついたときには久後さんに電話をかけていました。滋賀支部を結成しますって(笑)」

後進の育成にも意欲的だ。廣田店長が続ける。

「ネットニュースの末尾にアンケートがあって、『パンチパーマに興味がある』という回答が4割もあったんです。ということはきっちりと普及活動をすれば、将来は街を歩く男性10人中4人がパンチパーマというのも夢じゃない。それを実現させるためには技術を持った若い理容師が必要です。だから、私を訪ねてくれれば、ヘアアイロンの使い方など、パンチパーマ技術を若い理容師さんに教えてあげるつもりです」

昨春、「トップバーバー ツヂ」でパンチパーマデビューをした早瀬 瑛さん。「会社では営業職ですが、この『新パンチ』ならまったく問題なしです」昨春、「トップバーバー ツヂ」でパンチパーマデビューをした早瀬 瑛さん。「会社では営業職ですが、この『新パンチ』ならまったく問題なしです」

そんな廣田店長を慕い、昨春にパンチパーマにした若者が。地元企業で営業職を担当する早瀬 瑛さん(28歳)だ。

「パンチパーマにしてから、職場や取引先から『パンチさん』と親しまれるようになりました。子供を迎えに保育園に行くと、園児から『パパ・パンチ』と呼ばれることも。みんな僕のパンチ頭を触っては喜んでいます」

楽しそうに語るその姿に、「パンチは怖い人のヘアスタイル」という旧来の悪いイメージはない。

「パンチは特殊じゃない。手入れがしやすく、男らしい理想の髪型のひとつ。今の夢は全国大会の開催。各県の支部代表が多様なパンチパーマスタイルを競う全国大会をぜひ開きたいですね」(秋山さん)

果たしてパンチパーマブームの再来はあるのか? 今後の普及委員会の活動に注目だ。