対談をおこなった谷頭和希(左)と佐々木チワワ

2004年に刊行された三浦展氏の著書『ファスト風土化する日本』をはじめとした社会評論では、繰り返し「チェーンストアは都市を均質にする」と語られたが、その言説はいまも正しいのだろうか。その問いに24歳のライター谷頭和希がドン・キホーテを巡りながら挑んだのが、『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社新書)である。

その谷頭氏と、歌舞伎町をフィールドワークしながら都市のリアルを綴った『「ぴえん」という病 SNS時代の消費と承認』(扶桑社新書)を昨年12月に上梓した佐々木チワワ氏が対談。

20代のふたりが体感した、SNSネイティブ世代の若者の現実とは。

■歌舞伎町のアイコンとしての「ドンキ」

谷頭 今回の対談を佐々木さんにお声がけしたのは、『「ぴえん」という病』に、トー横キッズとドンペンコーデの話が出てきたからなんです。ドンペンが歌舞伎町でアイコン的に扱われている、と書かれていて、僕の出番じゃないか!と一人で興奮したんです。

佐々木 もともと歌舞伎町に集まってた地雷系とか量産型の子たちの一部が着始めたんですよね。それがTikTokでバズって、地雷ファッションのひとつとして全国的に認識されるようになって。歌舞伎町のガールズバーでドンペンコーデが制服になってたり、地雷系女子をテーマにしたAVで小道具として使われてたりしたんです。そしてSNSでバズった結果、いまやまったく地雷系じゃない人たちもドンキの服着てるという。

谷頭 この間広尾に行ったら、ドンペンTシャツを着ている人がいて。ここまでドンペンが!と思いました。その大元は歌舞伎町だったんですね。ドンキっていわゆる「マイルドヤンキー」的なイメージがあると思うんですが、近年はそれを脱却しようと色々試行錯誤もしている。郊外や地方だと家族連れが集まるような普通のスーパーっぽい店舗もあって、それは『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』でも掘り下げて書きました。でも、そこから再びアウトサイダー的な若者たちのアイコンになっているのが興味深いですね。

それと、個人的に『「ぴえん」という病』で面白いと感じたのは第6章です。現在の歌舞伎町に住む人々の心理から社会学者、見田宗介が記した『まなざしの地獄』の話になる。現在の歌舞伎町に住む人々の具体的な姿からスケールの大きな話にジャンプしていますよね。僕の本でも、ドンペンの話が突然、人類学者のレヴィ=ストロースの話になったりしているので、勝手にシンパシーを感じました。

佐々木 実は編集担当に「6章は人を選ぶように書いた方がいい」って言われたので、最後だけちょっと私の意見を入れつつ現象を掘り下げていて。この章をホストに読ませたら「俺たちみたい」って悲しそうに言ってました。

谷頭 この本が歌舞伎町の人たちにも届く可能性を秘めているということですよね。社会学的な知見が、歌舞伎町にいる人々へ届く言葉になっている。僕の本も、ドンキを日常的に使うふつうの人々、学問だとか批評だとか関係のない人々に届く言葉を意識しているので、羨ましいです。

■「池袋」から考える

佐々木 谷頭さんは全国のドンキを巡られてましたけど、ご出身はどちらなんですか。

谷頭 池袋です。個人的に、「池袋」的なものからの影響が結構大きくて。というのも、池袋って渋谷とか新宿よりも明らかにカオスなんです。芸術劇場の近くにチャイナタウンがあったり、河合塾の近くにラブホテルがあったり。立教大学なんかもあって人間のすべてが池袋にはある。その混在ぶりが、どこかドンキにも通ずるなと思っていて。

佐々木 私も中高生のころはずっと池袋で遊んでいましたし、一蘭とかめっちゃ行ってましたよ。「セントラルホテルってそういうとこだったんだ」って18歳になってから知ったりとか。池袋もどんどん変わっていきますけど、ロマンス通りで遊んでた元JKとしては「私の北口を返してくれ」って感じです。

谷頭 あとから気づくパターンありますよね。東口にテレクラの看板があったんですが、僕が生まれて初めてカタカナを読んだのはその看板なんですよ。パパでもママでもなく「テレクラ」(笑)

今の話を聞いて、なんで僕が佐々木さんの本にシンパシーを覚えたのかわかった気がしました。「池袋」が共通項なんですね。さきほど、スケールの違う話にジャンプするのが僕たちの本の特徴だと言いましたが、同じ本の中でさまざまなスケールの話が混在しているのは、どこか池袋っぽい。

■繁華街に「地元」を感じること

佐々木 先ほどの池袋のカオスさがドンキに似ているという話で言うと、私はそれを歌舞伎町とか新宿全体に対して感じていて。よく「新宿は巨大ドン・キホーテ」とか言ったりするんですけど、まあ「副都心線沿線の繁華街ってだいたい全部汚ねえよな」って話かもしれません。

谷頭 渋谷とかはどうですか?

佐々木 苦手ですね(笑)。普段はしゃがないような大学生とか会社員みたいな普通の人がお酒の力と集団心理でイキってる感じがきついのと、渋谷でなきゃできないことってそんなにないよなっていう。新宿も歌舞伎町以外はそんな感じかもしれませんけど。

谷頭 渋谷PARCOや「渋谷系」の音楽が注目を浴びた時代があったとは思えない......。街の話って面白いですよね。僕の本にも、自分の生きてきた東京の記憶やチェーンストアの思い出がたくさん入ってるんですが、他人のそういう記憶については意外と聞く機会がなくて。そういう話って普段周りの人としますか?

佐々木 歌舞伎町の友達とかとは「最近の歌舞伎ってこうだよね」みたいな話はしますね。私が「歌舞伎町の民」って言葉を使うとき、その定義は「歌舞伎町に住所がある人」じゃなくて、歌舞伎にアイデンティティを割いてる人なんです。地方に住んでる人でも、月に1日歌舞伎町でお金を使うために働いている人なら「民」だと思ってるんですが、そういう人たちと「最近の歌舞伎どう?」とか「昔と比べて今、遊び方どう?」って話すことはよくあります。

谷頭 やっぱり歌舞伎町にいる人同士で共同体意識があるんですかね。

佐々木 その意識はすごく強いと思います。池袋で酔っ払いが倒れてても気にしないと思うんですけど、歌舞伎町だったら助ける、みたいな。女の子が歌舞伎町で泣いてたら原因は十中八九ホストか男なので、「どうしたの?」って声かけたり。

歌舞伎町の人たちって、そこで自分たちが傷つけたり裏切られたりもするからこそ、一定の優しさを全員に対して持ち合わせてるというか。「いつかの自分みたいだな」って感じの人がそこら中にいるんですよ。だから酔っ払ってたら水買ってくれたりするけど、そこで連絡先交換して営業かけられることもあるし、逆に助けても特に何も返ってこないこともあるけどそれも気にしないし。歌舞伎町という場所に通ってるって意味で、大学のキャンパスとかと感覚は一緒かもしれないです。所属が同じというか。

谷頭 なるほど。やっぱり歌舞伎町だとみんな「演じる」というか、役割感覚みたいなものがあるんですかね。

佐々木 みんな接客業的なマインドを持っているというのはあるかもしれませんね。結局どこかのお店の客も、別の店ではスタッフやキャストだったりするので。失礼な店員とトラブルがあったりしたら、お客さんとして来てたホストが助けてくれたりとか。でも、それも個人というよりは役割ですよね。私が高校時代に歌舞伎町に馴染んだ理由も「◯◯高校の◯◯ちゃん」みたいな肩書きがめんどくさかったからで。歌舞伎町に来たらただの「若い女」という扱いになる。学歴とか学校の成績も関係ないので、それが楽だったんです。

谷頭 歌舞伎町に「地元」的な役割を見つけたと。

■「息抜きのつもりでホストに行ったら過呼吸になった」

谷頭 『「ぴえん」という病』を読んでも思いましたけど、佐々木さんがお書きになられているものが面白いのは、体験が濃いからなんですよね。まさに「地元」のように過ごした歌舞伎町での体験の濃さが、この町の見えない姿を浮き彫りにしている。そもそも、歌舞伎町に出入りするようになったきっかけはなんだったんですか。

佐々木 高1のころ、年末年始に親戚の家に集まるのが嫌で、大晦日から家に帰らず友達と遊んでたんです。その友達が椎名林檎かぶれだったので、とりあえず新宿に行って。そしたら年末年始だったこともあってわりと愉快な雰囲気で、外国人の集団に「ハッピーニューイヤー」って絡まれたりしてたんですね。で、そのままべろっべろのよくわからない集団とカラオケに行って遊びました。それが最初ですかね。

谷頭 めちゃくちゃだ(笑)。今聞いてて思ったのが、僕があんまり歌舞伎町に縁がないのは、自分が男性だからかもしれないです。訪れたことは何度もあるけど、声を掛けられたりとかがあんまりなくて。だから、帰属意識は持っていない。

佐々木 男性ならキャバクラとか風俗とかがありますけど、それも「通う」というよりは行きたい時に行くものですよね。対してホストの文化は「通う」なんです。非日常で羽目を外すというよりは、「お金を使う」という非日常を日常として刷り込んでいく作業というか。昔聞いた「息抜きのつもりでホストに行ったら過呼吸になった」って言葉がすごく好きなんですけど、まさにそんな感じです。

谷頭 「通う」文化でいうと、『「ぴえん」という病』にも出てきた女性向けの風俗の話もそうですよね。女性が風俗を使うって、一見従来の価値観を転覆しているように思える。でも、実際はそこで演じられている役割は非常に男性中心主義的だという。

佐々木 女性主体で遊んでいるように見えて、男性のまなざしを前提とした女性性を確かめ、競い合う場になってしまってもいる、という話ですね。

谷頭 あれも、街を普通に訪れているだけでは見えてこない部分です。僕もドンキに執拗に通うことで、その背後にある「見えない部分」を取り出そうとしました。その点でも『「ぴえん」という病』と『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』には通底する視点がありそうですね。

★後編記事はこちらから

谷頭和希(たにがしら・かずき)
ライター。1997年生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業後、早稲田大学教育学術院国語教育専攻に在籍。デイリーポータルZ、オモコロ、サンポーなどのウェブメディアにチェーンストア、テーマパーク、都市についての原稿を執筆。批評観光誌『LOCUST』編集部所属。2017年から2018年に「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第三期」に参加し宇川直宏賞を受賞。『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』が初の著書

佐々木チワワ(ささき・ちわわ)
作家。2000年生まれ。慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)在学中。10代のころから歌舞伎町に出入りし、フィールドワークと自身のアクションリサーチを基に「歌舞伎町の社会学」を研究する。歌舞伎町の文化とZ世代にフォーカスした記事を多数執筆


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32期連続増収を続けるディスカウントストア、ドン・キホーテを巡って見えてきた、チェーンストアを中心にした現代日本の都市の姿とは。社会学や建築の視点から読み解きながら、日本の「いま」を見据える。

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歌舞伎町に誕生した「ぴえん系女子」、「トー横キッズ」、「自殺カルチャー」、「新世代ホスト」、「SNS洗脳」……なぜ未成年たちは深い闇に落ちてしまうのか。そのリアルを著者自身の実体験と寄り添う取材で書き上げた現代若者論。