伝説のハメ撮りAV監督コンビ「エロエロ・ブラザース」のふたり。左からカンパニー松尾、バクシーシ山下。

今年2月、東京・渋谷の映画館で6日間限定のレイトショーとして封切られた『劇場版 テレクラキャノンボール 2013』(*1)。大方の予想に反して上映は現在も続いており、観客動員数は延べ1万人、公開館数は140を超えた。

社会現象化する“テレキャノ”だが、若い観客からは「そもそもテレクラって何?」という声も…。というわけで、伝説のハメ撮りAV監督コンビ「エロエロ・ブラザース」(*2)がそのすべてを語ります。

(*1)10時間に及ぶ同名ドキュメンタリーAV作品を松尾が132分に再編集して映画公開したところ口コミから火がついて大ヒット。6人のAV監督が車3台、バイク2台でレースをしながら仙台、青森、札幌で素人女性をテレクラやナンパで口説き、ハメ倒していく。名フレーズ「ヤルかヤラナイかの人生なら、俺はヤルほうを選ぶ」は多くの観客に勇気を与えた

(*2)13年5月発売号で休刊になったアダルトビデオ専門誌『ビデオ・ザ・ワールド』(コアマガジン、83年12月創刊)で結成された、人気AV監督の松尾山下によるコンビ。連載コラム「エロエロ・ブラザース、近況を語る。」は芸能人のファンも多数いた

 * * *

―テレキャノを見て初めてテレクラの存在を知った若い世代っていうのが結構いるみたいなんですよね。

松尾 そりゃそうでしょうね(笑)。今はテレクラって全国的に壊滅状態(*3)で、もはや無形文化財ですから。

(*3)ピークの96年には全国に2千店舗近く(無届け含む)あったが、現在は70店舗弱にまで落ち込んでおり、都内で営業しているのは「リンリンハウス」チェーンのみ。2002年の風営法改正で、利用者に対して18歳以上の年齢確認が義務づけられ多くの店舗が撤退した。現在の主な利用者は30代半ばから40代の"ワリキリ希望"女性と黄金時代を知る中年男性

―映画のヒットでテレクラ人気が再燃…とはいきませんかね、やっぱり。

松尾 今はSNSにセックスがついてくる時代だもん。みんな、フェイスブックで知り合ってセックス、ツイッターで知り合ってセックスでしょ。辛うじて何軒か残ってるけど、それを利用して、あえて得体の知れない相手と出会おうなんて思わないでしょ。

意外と当たりのコが多い「公衆コール」

―じゃあ、そもそもテレクラが一番流行(はや)ってたのはいつ頃になるんでしょうか?

松尾 テレクラの歴史はですね、山ちゃんが得意ですよ。テレクラ1号店といわれる新宿・歌舞伎町の「アトリエキーホール」(*4)で初期バイトスタッフしてたんだよね?

(*4)1985年2月に「新風営法」が施行され、ソープランドやピンクサロンが規制対象となる。その間隙を縫って登場したのがテレクラ。1号店は85年の秋、新宿・歌舞伎町にオープンした「テレホンクラブ・アトリエキーホール」。入会金5千円、入場料金1時間3500円と割高だった。その後、「1時間800円」のうたい文句で参入してきた「リンリンハウス」に客を奪われた

山下 87年頃だから、俺は20歳の学生だったね。最盛期っていうと、90年代半ばになるのかなあ。東京のテレクラが熱いという噂を聞きつけた東北や北関東の女のコたちが遠征に来てたくらいから。池袋がメインだったと思うけど。

松尾 あー、確かにいたね。

山下 まだ淫行条例ができる前でね。援助交際しに池袋へ来てたの。出稼ぎ状態だよね。「東北でも池袋は稼げるって有名だよ」とか言いながら、楽しそうにしてたよ(笑)。

―そんなに軽いノリで?

山下 そうだね。実際、池袋のテレクラで電話取って「今どこ?」って聞くと、「そこのビルの下」って言うもんだから窓開けるでしょ? すると公衆電話に制服姿の女子高生が大勢いて、ニコニコしながらこっちに手振ってた。

松尾 まだケータイが普及してなかったので、女性は公衆電話からテレクラにかけていたんですよ。“公衆コール”って呼んでたけど。

山下 公衆コールは意外と当たりのコが多くてね(笑)。街の雑踏が受話器越しに聞こえるかどうかで判断してね。

アタシ、セックス極めてんの!

松尾 逆に自宅から電話してくる女性は化粧したり着替えたりがあるから会えたとしても時間がかかるんですよ。サクラの可能性も高いしね。

―リスキーだと。

松尾 夕方はローティーンからの公衆コールがとにかく多くて。イタ電もあったけど、たまに男を本気で求めるコも紛れていましたよね。

山下 まだイリーガルじゃなかったんで、結構スケベな女子高生がいたね(笑)。

松尾 当時のテレクラは“援助希望”の女性ばかりじゃなかったんだよね。僕、「セックスを極めてる」って話す女性とタダでヤッてますから。

山下 えっ(苦笑)、自分から「アタシ、セックス極めてんの!」って言うわけ?

松尾 言う、言う(笑)、仙台でOLやりながらヘルスやソープでも働いてる人でね。けど、自分にピッタリ合うチ〇ポがどうしても見つからなくて、テレクラで男をあさっていたの。で、僕がAV監督だと知ると喜んでね。

山下 撮ったの?

松尾 交渉したけど撮影は無理で。けど「アンタの食いたい!」って言うわけ。

山下 その人、実際に“極めてる感”はあったの?

松尾 ものスゴいスケベな女性でね、僕のを食いまくってましたよ。

山下 でも、AVには出せなかったんでしょ?

松尾 いや、最終的に「もっと僕の食えますよ? 欲しくないですか?」って口説いたら出てくれて(笑)。

テレクラこそ夢の個室だった

―現金な人だな(笑)。それっきりですか、その方とは?

松尾 それがですね、撮影した2年後ですよ。仙台のテレクラでそのコと再会して。まだチ〇ポを探し求めてさまよってたんですよ(笑)。

山下 その間、仙台のテレクラっていう池でずっと泳ぎ続けてたんだろうね(笑)。

松尾 本人的には「半年に1回ぐらいしかテレクラ遊びはしてないです。今日会えたのはたまたま」なんて調子いいこと言ってたけど、そんなわけないでしょ(笑)。とはいえ、テレクラにはたくさんイイ思いをさせてもらいました。

山下 テレクラって個室で待ってさえいれば女が勝手にアクセスしてくる夢のようなシステムだからね。そんな楽なの、今はないでしょ?

松尾 夢の個室だったんです。なんだったら俺、テレクラで彼女ひとり、奥さんひとりつかまえてるから(笑)。

山下 テレクラこそ、わが人生だね(笑)。

(構成/黒羽幸宏 撮影/髙橋定敬 協力/ハマジム【http://www.hamajim.com】)

●カンパニー松尾1965年生まれ、愛知県出身。87年に童貞でAVメーカーに入社し、翌年、監督デビュー。代表作はハメ撮りを駆使した『私を女優にして下さい』シリーズ。新作ドキュメンタリー映画『劇場版BiSキャノンボール』が全国公開中!!

●バクシーシ山下1967年生まれ、岡山県出身。大学在学中にAV業界へ。90 年にリアルすぎるレイプ作品『女犯』でデビュー。以降、社会派AV監督として熱い支持を受ける。『ボディコン労働者階級』ほか代表作多数。著書に『セックス障害者たち』など

■週刊プレイボーイ11号「テレクラが『テレキャノ』の大ヒットで再び注目!カンパニー松尾×バクシーシ山下」より