自身のメーカー『ハマジム』を立ち上げたカン松さんだったが、しかし!?

00年代前半、長瀬愛や堤さやかなどのキカタン女優が活躍する一方、AVに抵抗なく流入する女のコたちも急増。単体女優にもレジェンドが誕生していた。

―00年代初頭当時、印象に残ってる単体女優っています?

松尾 それこそ00年に宇宙企画からデビューした及川奈央は覚えてますよね。

山下 俺、衛星放送のアダルトチャンネルで撮ったよ。

松尾 そうなの?

山下 正確には、及川奈央の写真を撮ってる加納典明(てんめい)を撮ってたんだけど(笑)。しかし、及川さんは性格含めてホントいい人でしたね。この世界にはなかなかいないよ。

松尾 山ちゃんがホメるって珍しいよね(笑)。まあ俺も本人に会ってるけど、同じ印象です。でも彼女、最初は目立ってなかったでしょ?

山下 宇宙企画から移籍して、セルに出るようになってからブレイクしたイメージあるね。

松尾 実は、レンタルメーカーで売れなかったコの再起の場がセルになるっていうパターンがあって。ソフト路線のレンタルから「ぶっかけ」「中出し」「外国人」「アナル」っていう過激さを売りにしたセルへ移籍するのって、当時の風潮的に"セル落ち"なんて揶揄(やゆ)されたりもしたけど、しっかり移籍を踏み台にできたコは人気が爆発して、突き抜けられるんだよね。

―単体AVの主流もセルに移行しつつあったんですか?

松尾 いや、まだ辛うじてレンタルメーカーじゃないかな。

山下 当時、レンタルで有名だったのって?

松尾 長谷川瞳とかね。"元祖・肉食系"だったっけ。

―32本の大型契約で登場した美竹涼子も話題でした。

山下 32本ってことは月1本撮るとして、3年分でしょ? ソフトな内容のレンタルで3年契約ってすごいね。

松尾 確かに。

オンライン時代の幕開けで命拾い

山下 ちなみに、松っちゃんが「ハマジム」を立ち上げたのもこの頃だよね?

松尾 03年かな。

―自分のメーカーを設立したキッカケっていうのは?

松尾 セルで活躍してる監督たちと知り合っていろいろ話を聞いたら、会社を興してからも監督として最前線で撮り続けて、なおかつ儲かってると。じゃあ俺もやってみようかなって(笑)。ちょうど山下がV&Rで撮ってたようなエグい作品を出すのが難しい世の中にもなっていたんで、面白いモノを撮れる場を俺がつくろうかなぁと。まあ、人生そう、うまくはいきませんが。

―というと?

松尾 とりあえずパッケージさえカッコよければ売れると思ってたんです。それで、EPレコードサイズの紙ジャケにして、デザインも相当気合い入ってたんですけど、サッパリ売れず(笑)。つーか、ショップの棚にそんなイレギュラーなサイズの作品は収まり切らず...結局、7枚出したとこで資金が底を突きました。

―いきなりですか。

松尾 けど、同時に進めてた有料アダルトサイト『ポルノグラフ』がウケて月に500万とか粗利が出て。これがあったから、俺もハマジムも命拾いしましたね。

山下 この頃ってエロ系の動画配信が急成長してて。俺にもネットで撮る話がバンバン転がり込んで、実はハマジムどころじゃなかった(笑)。

松尾 AVとネットが交わる時代が幕を開けた、ひとつの象徴的エピソードです。

※この対談のバックナンバーはこちら!

●この続きは発売中の『週刊プレイボーイ』本誌でお読みいただけます。さらなるAVトークが全開! こちらの連載は毎週掲載中です。

(構成/黒羽幸宏 撮影/髙橋定敬 取材協力/ハマジム h.m.p アリスJAPAN)

●カンパニー松尾 1965年生まれ、愛知県出身。87年に童貞のままV&Rへ入社し、翌年に監督デビュー。代表作は『私を女優にして下さい』シリーズ。『劇場版テレクラキャノンボール2013』『劇場版 BiSキャノンボール2014』が社会現象的大ヒット

●バクシーシ山下 1967年生まれ、岡山県出身。大学在学中にAV業界へ。90年に各方面で物議を醸した『女犯』で監督デビュー。以降、社会派AV監督として熱い支持を受ける。『ボディコン労働者階級』ほか代表作多数。著書に『セックス障害者たち』(幻冬舎)など