「理性の絶対的な正しさを疑い、自分と異なる意見を聞くという保守の思想は『寛容さ』や『多様性』を受け入れるリベラルの思想と一体性がある」と語る中島岳志氏

そもそも「保守」ってなんなのか? 「リベラル」と「左翼」はイコール? 近頃、こうした政治的な立場の違いがよくわからないという人も多いのではないだろうか。

保守を自任する安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を旗印に「憲法改正」などに手をつけ、その一方で「希望の党」の結党をめぐって小池百合子代表(当時)は「リベラル派は排除する」とまで言い切る。

現在の日本を覆う、こうした二項対立の空気を乗り越えるために何が必要なのか? そのヒントを「本当の保守思想とは何か」という問いを通じて与えてくれるのが東京工業大学リベラルアーツ研究教育院、中島岳志教授の著書『保守と立憲』だ。

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―なぜ、「本当の保守とは何か」と問うのでしょう?

中島 今、日本社会で“保守バブル”が起きていると感じるからです。安倍政権、そしてネット上の「ネトウヨ」といわれる人たちまで「保守、保守」と叫んでいます。しかし、その人たちの言う「保守」とは、思想体系の保守とはまったく異なるものです。

その多くは単なる「反左翼」で、ともかく「『左』の逆を言えばいい」という考え方です。僕はこれを「保守のコスプレ」と呼んでいます。ただし、これは左翼にも同じことがいえます。

―左翼もコスプレですか?

中島 そうですね。そこで面白いと感じるのは、戦後の日本を見つめれば右も左も自分たちを「少数派だ」と思い込んでいることです。

まず「保守のコスプレ」の人たちは、戦後の教育やメディア、アカデミズムなどの世界がずっと「左の連中に牛耳られてきた」と思い込んでいて、「マイノリティの自分たちには言論に訴えるすべがない」という不満を抱え続けている。

一方の「左翼のコスプレ」の人たちは、戦後長らく自民党の一党優位体制が続いてきたなかで「自分たちの声を権力が反映してこなかったから、オレたちはずっと権力に抵抗してきた」という自意識を持っている。

―右も左も勝手にコンプレックスを抱えていると。

中島 結局、それは双方がしっかりとした思想的土台を持たない「コスプレ同士の争い」でしかありません。それにお互いが「自分が絶対に正しい」と思い込んでいるから議論が一向に成立しません。僕はこれを一種の「共依存」だと思っているのですが、ともかくこれを崩さないといけない。そこで「本当の保守思想」というものを見つめ直す必要があると考えました。

―では、本当の保守思想とは何か教えてください。

中島 誤解している人もいるのですが政治思想としての保守は、いわゆるイデオロギーではなく、むしろそのアンチテーゼとしての意味合いを強く持っています。

保守という思想が生まれたのはフランス革命の時代にさかのぼり、イギリス人の思想家、エドマンド・バークという人に起源を持つのですが、その出発点は「フランス革命をやっている連中の人間観はおかしいぞ」ということだったんです。

つまり、革命のように「頭のいいやつが作った設計図によって、世の中を一気に変えることができる」とか「人間の理性で未来は進歩させることができる」という考え方は間違っている。自分の周りをよーく見回してごらんと。「人間の理性ってそんなに確実なものですか?」「どんなに頭のいいやつも、間違いを犯すことがある」「人間の理性が万能だなんて、近代人が思い描いている絵空事にすぎない」のだと批判したわけです。

「リベラル保守」とは何か?

―確かに、頭のいいやつが言っていることが正しいとは、必ずしも限りませんよね。

中島 人間も理性も不完全なものである以上、延々と問題は起こり続ける。そのなかで、一定の安定性、秩序を保ち続けるには、個人の理性を超えたところで社会が長年にわたって共有してきた「暗黙知」や「経験知」みたいなもの…。

それを言葉に置き換えるのは難しいのですが、あえて言うなら「伝統」や「慣習」といったものを大切にしたり参照しながら、世の中を一気に変革するのではなく少しずつ変えていく必要がある。このような考え方がバークの示した本当の保守思想なんですね。まあ、これはある意味では「あたりまえのこと」ですが。

―それがなぜ今、大切なのでしょうか?

中島 先ほど話したコスプレ保守とコスプレ左翼は、どちらも「私が正しくておまえが間違っている」とか「私が正しいからおまえに教えてやるんだ」という態度なのです。それに対して、本当の保守が疑っているのは「人間の理性は絶対なのだ」という考え方ですから、その疑いは当然、自分自身にも向けられることになります。

―自分の理性が間違っているかもしれないということですね。

中島 そうです。そしてその前提で、自分とは異なる意見や考えに向き合うとなれば、「とりあえず他人の意見を聞く」という態度が必要になりますよね。そこからお互いの「違い」を超えて話し合い、そこで初めてなんらかの合意形成を目指すということが可能になるわけです。

―本書では「リベラル保守」という考え方も示されています。これはどういう考え方なのでしょうか。

中島 一般的にリベラルと保守は逆のイメージですが、実は保守と同じように日本ではリベラルも誤った形で使われています。政治思想としてのリベラルとは、本来自分と異なる考え方も認める「寛容さ」なんですね。

ですから、理性の絶対的な正しさを疑い、自分と異なる意見を聞くという保守の思想は、むしろ「寛容さ」や「多様性」を受け入れるリベラルの思想と一体性があるんです。

ところが、今の日本では右も左もお互いに「自分たちが正しさを所有している」と思い込んでいるので、相手を批判してばかりで議論しようとしない。

政治不信の理由のひとつは、いわゆるコスプレ保守の安倍政権とそれに反対するコスプレ左翼の人たちが、そうではない国民から見て「自分たちが絶対に正しいと信じて疑わないヘンな人たち」に映るからです。

僕がこの本を通じてやりたかったのは、そういう普通の人たちの「どちらもいやだなあ」という感覚に「言葉」や「形」を与える作業であり、それは1月に亡くなられた僕の師匠、西部邁(にしべ・すすむ)先生が人生をかけて訴え続けてきたことだと思っています。

(インタビュー・文/川喜田 研 撮影/有高唯之)

●中島岳志(なかじま・たけし)1975年生まれ、大阪府出身。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、現在は東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想、2005年、『中村屋のボーズ』(白水社)で大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。近著に『アジア主義』(潮出版社)、『下中彌三郎』(平凡社)、『親鸞と日本主義』(新潮選書)などがある

■『保守と立憲 世界によって私が変えられないために』(スタンド・ブックス 1800円+税)右か左か、改憲か護憲か―。今、日本に蔓延する二項対立を乗り越えるために必要なのは「本当の保守思想」を見つめ直すことだった。2012年以降の安倍政権下で書かれた論考を中心に、「リベラル保守」の必要性を説く。立憲民主党・枝野幸男代表との対談も収録