働き方改革法案に盛り込まれた「高プロ」には、「特定秘密保護法」のように将来的な制度運用への不安があると指摘するメスメール氏

政府・与党が今国会の最重要課題と位置づける「働き方改革関連法案」。

厚労省が法案の根拠として示してきた調査結果のデータに多くの間違いが見つかったこともあり、野党は反発を強めているが、依然、紛糾する森友・加計問題に隠れて、この法案の重要性は国民に深く理解されているようには見えない。

「労働者の権利」に敏感で、頻発するストにも慣れていると言われるフランス出身のジャーナリストは、日本の「働き方改革」をどう見ているのか? 「週プレ外国人記者クラブ」第118回は、仏紙「ル・モンド」東京特派員、フィリップ・メスメール氏に聞いた──。

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─先日、取材でフランスに行ったのですが、フランス国鉄のストとエールフランス航空のストで酷い目に遭いました。フランスにおける労働者の権利意識の高さを象徴する出来事だと思いますが、日本では「働き方改革法案」に対する国民の関心はそれほど高いように思えません。

メスメール 多くの人たちは「自分にはあまり関係ない話」だと思っているのではないでしょうか。法案に盛り込まれた労働規制の変更は、第二次安倍政権の成立時からアベノミクスの一環として掲げられていました。その中身は当初、「正規雇用労働者と非正規雇用労働者の格差解消」、「裁量労働制の対象拡大」、「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」の3つの柱で支えられていました。

ご存知のように、裁量労働制拡大は厚労省が作った調査データの間違いなどが指摘され、法案から取り下げられました。そして野党は今、「高プロ」も取り下げるべきだと主張しています。「残業代ゼロ法案」とも言われる高プロは、現時点の想定では年収1075万円以上の「高度な専門職」に限って労働時間規制から外す制度で、年間104日の休日取得など一定の条件はあるものの、残業時間に対して割増賃金を支払うという労働基準法上のルールが基本的に適用されなくなる制度です。

「正規と非正規の格差解消」は一見、良いことのようにも思えます。しかし、格差解消のための「同一労働同一賃金」の導入は、安い賃金で働いている「非正規の賃金を上げる」ことを意味するのか、それとも「正規の賃金を下げる」ことを意味するのか...この点について、僕は楽観的には見ていません。

高プロに関しても、その対象が本当に今後も「高収入の一部の専門職」だけに限られるのか...将来的に少しずつ適用範囲が広げられていく可能性も否定できない。そうなれば、国民の誰もが「自分には関係ない話」とは言っていられません。

─確かに高プロは、一旦、適用に同意した人でも、自らの意思で撤回できる規定が加えられるなどの修正はありましたが、制度の対象となる業務や年収などの要件は国会での審議や法改正なしに「省令」で変えることができる形になっています。

メスメール そうですね。かつてはほんの僅かだった非正規雇用は1980年代後半から徐々に増え始め、今では日本の労働市場の40%近くを占めている。いつの間にか多くの人たちが、正規雇用よりもはるかに安い賃金で働くことが当たり前の国になってしまいました。長時間労働の問題もあり、他の先進国と比較すると日本の労働者の権利は十分に守られてこなかったのに今後、高プロのような制度がより広い範囲に適用されれば、労働者はより厳しい状況に置かれる可能性があります。

現在の想定のように高収入の労働者だけがその対象ならば、彼らは収入と労働時間のバランスを取ったり、雇用側と労使交渉したりする余地もあるでしょう。しかし、適用範囲が拡大されれば、不安定な雇用環境に置かれている低収入の労働者にとっては、労使交渉も簡単なことではないでしょう。

将来的な制度運用への不安という意味では「特定秘密保護法」の問題とも共通していると思います。特定秘密保護法も実際の運用、秘密指定の根拠、その後の管理が適切に行なわれているかを審査する仕組みが整備されていないのが大きな問題ですが、同じように高プロも実際の運用を監視する仕組みがないのは問題です。

労働者が取り替え可能な「部品」になりつつある

─「岩盤」にドリルで開けた「小さな穴」が将来、なし崩し的に広げられる可能性がある...と。そもそも、経団連など「人件費を抑えたい側」がこの制度の導入を強く希望しているのですから、それが「働く側にとって得な話」であるとは考えにくい気もします。

メスメール より大きな視点でいえば、これは日本の経済や労働環境の「アメリカ化」という大きな流れの中で起きていることだと思います。僕が日本に来て間もない2000年頃、あるアメリカ人が「日本の企業は株主に利益を十分に還元していない」と不満を語っていたのを思い出します。

かつては労働者の雇用の安定が優先されていた「日本式経営」が少しずつアメリカ型へと転換し、利益の配分についても株主の権利が優先されてゆく中で、元々、法的な規制が緩かった日本の労働者の立場はこの20年でどんどん不安定なものになってきています。

もちろん、時代に合わせて労働市場に関する仕組みも変化する必要はあるでしょうし、かつての「日本型雇用」にも問題がなかったわけではありませんが、少なくともそこには「人間性」があったと思います。それがいつの間にか労働者が必要に応じて調節できる、取り換え可能な社会の「部品」のような扱いに変りつつある。

本来ならば、こうした問題に対応すべき労組も日本では経営側に対して非常に融和的ですし、連合などもようやく非正規の問題に取り組み始めましたが、これまでは基本的に正規雇用の人たちの立場しか守ってこなかった。私が残念でならないのは、こうした日本社会の変化、労働に関する考え方の変化が、結果的に日本という国の大きな強みであった「ものづくり」の力を弱めることに繋がっているように思える点です。

ひとりの労働者が時間あたりにどれだけの価値≒お金を生み出せるかという、単純な「労働生産性」の基準ですべてを判断してしまうことが、「時間をかけてじっくりと何かに取り組む」という、日本のものづくりを支えてきた働き方から「時間」を奪いつつある。日本の発展を支えてきたものづくりの力が衰えていくことは、日本経済だけでなく、この国の将来にとって大きな損失ではないかと思うのです。

─しかし、そうした経済、社会のアメリカ化はフランスでも進んでいますよね。就任1年を迎えたマクロン大統領はそうした流れの象徴でもあり、フランスでも労働規制の緩和や国鉄の民営化、公務員の労働時間規制緩和などが議論になっている。それに関係したストなども頻発しているようですが。

メスメール そうですね。マクロンは1年前にそうした改革を主張して大統領選に勝利したわけですから、今起きていることは当初から予想されていました。もちろん、それに対してストなどで強く反発している人たちがいるのは事実ですが、そうしたストが広く国民の支持を得ているかというと、必ずしもそうではないと思います。

とはいえ、マクロン政権を支持した人たちがフランス社会のアメリカ化、新自由主義化を望んでいるかというと、そうとも言えない。特に若い世代の人たちは、既存の左翼でもなく、新自由主義的なアメリカ化を支持するのでもなく、「新しい社会の在り方、労働の在り方」を求めているのではないかと思います。

それは今後の日本についても言えることで、特に未来を生きていく若い世代の人たちが、従来の枠組みとは違う新しい形を模索すべき時期に来ている気がします。我々は「労働の在り方」について大きな過渡期の中にいるのかもしれません。

(取材・文/川喜田 研 撮影/長尾 迪)

●フィリップ・メスメール 1972年生まれ、フランス・パリ出身。2002年に来日し、夕刊紙「ル・モンド」や雑誌「レクスプレス」の東京特派員として活動している