18年に完成した石垣島の海保新基地。深夜も早朝も関係なく、6つの岸壁から巡視船がひっきりなしに出撃している

お盆明けに予想されていた中国漁船団の襲来はなかったが、尖閣諸島周辺では近年、中国海警局の公船による領海侵犯が続き、沖縄県の石垣島に基地を置く海上保安庁の「専従部隊」が日々、ギリギリの対応を迫られている。

海保の活動を長年取材するフォトジャーナリストの柿谷哲也氏が、自前の組立式シーカヤックを現地に持ち込み、この部隊の活動に迫った!

■尖閣専従部隊は24時間体制で出撃

離島向けフェリーが発着する石垣島西岸の石垣港から、北に約5㎞の海岸。カヤックを組み立て、アイスボックス内の水と氷、食料のパン、カロリーメイト、ビーフジャーキーの量を確認する。万が一、漂流したらこれだけが頼りだ。撮影装備の最終動作確認をして海に漕(こ)ぎ出す。

この辺りは海流が速い。週プレ編集部から「海流図です」とURLが送られてきたウェブページの表題は「石垣島で行う海洋散骨葬」。

「『死んで骨になるまで頑張れ』ですか?」

いつも電話の長い担当者に対し、私はつぶやいた。

* * *

中国が設定した東シナ海の禁漁期間が明ける8月16日、尖閣(せんかく)諸島周辺に大量の中国漁船が押し寄せるとの予測があった。しかし、中国当局は自国漁民に対して自制を促し、大量襲来に対応するはずだった宮古島の海上保安庁部隊(と、その様子を取材しようと現地に飛んだ筆者)は肩透かしを食らった。

ただ、続いて8月18日夕方に訪れた石垣島の「尖閣領海警備専従部隊」は様子が違った。昨年4月以降、1年以上にわたりほぼ毎日、尖閣周辺で接続水域への入域や領海侵犯を繰り返している中国海警局(日本の海保に当たる人民解放軍の傘下組織)の公船に対応し続けている部隊だ。

石垣島の新基地は、この部隊のために2018年に完成した。埠頭(ふとう)の手前には、窓とシャッターがすべて閉じられた無機質な2階建てのコンクリート建物。表札や案内板は何もない。この重々しい雰囲気は、関西国際空港に駐屯(ちゅうとん)する海保の切り札、SST(特殊警備隊)の基地に似ている。

埠頭の海保施設。表札のない無機質なコンクリート建物は窓もシャッターもすべて閉じられ、秘密基地といった雰囲気だ

6つの岸壁がある桟橋には、ヘリ甲板を持つ1000tクラスの巡視船が並ぶ。すべて尖閣から引き揚げてきたばかりか、あるいは間もなく出撃する船だ。一番手前の船の近くまでは行けるが、その先は金網とゲートに遮(さえぎ)られ立ち入れない。

基地近くの宿泊施設からひと晩観察したところ、真夜中だろうが早朝だろうが関係なく巡視船が離着岸している。ほかの海保基地ではたいてい9時-5時の"お役所運用"なので、これは異例中の異例だ。

翌19日朝、筆者は冒頭の記述のとおり、海保船を撮影するためにカヤックで出撃。午前9時、巡視船「たけとみ」が尖閣から戻ってきた。後の発表によれば、この日も中国海警船が常時4隻、尖閣に張りついていた。

巡視船は帰港するとすぐ整備に入り、準備が整い次第また出撃する(写真は「ざんぱ」の20㎜多銃身機関砲の点検)

■戦時の米海軍と同じ乗員シフトを採用

8月21日午前7時、今度は石垣港から北へ約2㎞の舟蔵(ふなくら)公園から離岸した。

すると、北から巡視船「あぐに」が引き揚げてきた。そして石垣港からは、逆に尖閣へ向かう「たけとみ」が北上。筆者の目の前で両船がすれ違った。

8月21日朝、尖閣から引き揚げてきた「あぐに」(右)と、まさにこれから出撃する「たけとみ」(左)が石垣島西岸海域ですれ違う

海上自衛隊の艦艇同士のように、互いの隊員が舷側に並んで挨拶(あいさつ)するような儀式はない。黙々と励まし合うかのようにすれ違った。なんとも心にくるシーンだった。

しかし、その感動もつかの間、筆者のカヤックが流され始めた。風速6m。このままでは漂流してしまう。

「帰ろう」

そう声に出した瞬間、スマホの呼び出し音が鳴った。

「どーっすかあ?」

担当者の明るい声が響く。この人は電話が長い。応答中はまともに漕げず、電話が終わると2㎞も流されていた。間もなくスコールまで降り、風速は10mに達した。なんとか海岸に辿(たど)り着いたが、危うく長電話で死ぬところだった。

ところで、尖閣専従部隊は「スコードロン方式」という海保では異例の乗船シフトを採用している。

海保では通常、船長とクルーが特定の巡視船を受け持ち、愛着を持って仕事をする。一方、米海軍が戦時に作り上げたスコードロン方式は、船長とクルーが陸で準備をし、同型の船であればどれにでも乗り、瞬時に出撃する。

尖閣専従部隊は、2016年時点で総員650名。今はもっと増えていると推測されるが、尖閣近海に巡視船を常駐させるためには、運用効率のいいスコードロン方式がベストだったのだろう。

巡視船は帰港後すぐに整備に入り、クルーは休息に向かう。船の整備が終わると、出航用意の整った別のクルーが乗り込み、また出撃する。だから、2日前に帰還したばかりの「たけとみ」が、筆者の目の前で出撃していったのだ。

■船の数、人員数共に海保はギリギリの状態

残念ながら、報道関係者が実際に尖閣近海で海保の活動を見ることは難しい。その詳細を海保が明かすこともない。

しかし、神風が吹いた。8月22日、与那国(よなぐに)島の南南西で台風8号が発生し、尖閣に展開していた海保船隊の一部が台湾海峡に避難したのだ。避難先で巡視船が出す信号を見れば船名などが把握できるため、ある程度の作戦概要を推測することができる。避難したのは、3000tクラスのヘリ搭載大型巡視船「うるま」と、1000tクラスの巡視船5隻。計6隻だ。

横浜を母港とする7000t級の大型巡視船「あきつしま」に搭載のEC225大型ヘリコプターも石垣空港に駐機

これとは別に、尖閣では台風が発生した後も、対波性が強い7000tクラスの大型ヘリ搭載巡視船数隻が引き続き警戒監視を行なっていたようだ。南シナ海では以前、台風から避難したフィリピンの警備船が翌朝、当該海域に戻ると、岩礁の上に中国国旗がはためき、実効支配状態をつくられていたという事件があった。

その岩礁は埋め立てにより拡大され、今や中国軍の"人工要塞(ようさい)"となっている。尖閣がその二の舞いとならぬよう、海保の大型巡視船は台風の暴風高波にも耐えたのだ。

話を戻そう。台風襲来直前の海保部隊の編成は、ヘリ搭載の大型巡視船が4隻と、ヘリ甲板付きの1000t型巡視船が6隻程度。2、3隻ずつが1チームとなり、合計4チームで尖閣周辺を固めていたのだと思う。

"主戦場"の魚釣(うおつり)島に西から近づく中国海警に対して1チーム、北側にもう1チーム、70㎞ほど北東にある大正島にも1チーム。そして、どちらにでも行ける遊撃の1チーム。そんなシフトだろう。

しかし、中国海警船が4隻までならいいが、もっと大規模になればこれでは足りない。東シナ海を担当する中国海警東海分局には計20隻が在籍している上、その気になれば数年以内に40隻、50隻と増やすこともたやすい。人員的にもまだまだ余裕がある。

となると、海保の尖閣専従部隊も今の10隻から、少なくとも20隻体制にする必要がある。他管区の巡視船も加え、計28隻程度で運用できればしばらくはしのげるだろう。

しかし、最大の問題はその巡視船に乗せる隊員の確保だ。

陸上型ミサイル防衛システム「イージス・アショア」の配備が白紙となり、イージス艦を増やす必要に迫られた海自は先日、2000人の隊員増計画を発表した。海保も広報活動に力を入れなければ、海自との人員争奪戦に敗れ、乗員の確保もままならない。

尖閣専従部隊は本当によくやっているが、これがいつまでも続かないことも彼ら自身が一番理解しているはずだ。

●フォトジャーナリスト・柿谷哲也(かきたに・てつや)
1966年生まれ。各国の軍や海上組織を長年取材。著書に『鷲の翼 F-15戦闘機』(撮影、並木書房)、『知られざるイージス艦のすべて』(笠倉出版社)、『海上保安庁「装備」のすべて』(サイエンス・アイ新書)など