「今の政治に『諦め』を感じている人たちに『政治は変えられる』ことを理解してもらいたい」と語る中村喜四郎氏

キミは中村喜四郎(なかむら・きしろう)を知っているか? 「田中角栄最後の愛弟子」とも言われ、27歳で衆院選に初当選。40歳で初入閣を果たすなど、一時は「自民党建設族のプリンス」として注目されるも、1994年にゼネコン汚職で逮捕され、有罪判決で収監。だが奇跡の復活を果たし、これまで出馬した14回すべての選挙に勝利している「無敗の男」だ。

94年に自民党を離党して以来、無所属で戦い続けてきた中村が、新・立憲民主党に加入。彼が仕掛ける野党共闘の狙いと新党参加の真意に迫る! (聞き手:専修大学法学部教授・岡田憲治

■政治を諦めさせる仕組みが出来上がった

岡田憲治(以下、岡田) 1994年に自民党を離党して以来、四半世紀にわたって無所属を貫き、「党より人」を訴え選挙で勝ち続けてきた中村さんが、今回の野党合流の動きに関わり、新・立憲民主党に加わるという決断をされた背景にはどんな思いがあったのですか?

中村喜四郎(以下、中村) ひと言で申し上げるなら、安倍政権下の7年8ヵ月の間に「国民の心を縛り、政治を諦めさせるシステム」が出来上がってしまったことへの危機感です。

本来なら、政権与党である自民党がそういったことに対して危機感を持つべきで、かつて私がいた頃の自民党では、皆で侃々諤々(かんかんがくがく)と議論し、執行部を突き上げながら政治を変えてきたという自負がありますが、残念ながら今の自民党にはその力がない。ならば野党の側から変えるしかないと考えたのです。

岡田 自民党はなぜ変質したのでしょう?

中村 最大の要因は小選挙区制の導入(94年)です。その結果、党の執行部が圧倒的な権力を持つようになると、次第に「党より人」じゃなく「人より党」になり、党内での十分な議論もなく異論を排除してすべてがトップダウンで決まるような仕組みが出来上がった。

そして2014年に内閣人事局が発足すると、中央官庁の審議官以上は官邸で決めるということになり、この人事権をテコに行政もすべて官邸の顔色を見るようになってしまった。ほかにも、特定秘密保護法(13年)、共謀罪(17年)が成立し、マスコミに対しても相当の圧力がかかるようなシステムが作られました。

その象徴が森友・加計学園問題です。トップを守るために公文書が改竄(かいざん)される、秘匿される、破棄される......と、信じ難いことが起こって、犠牲になった方までおられるのに、それでも選挙をやれば自民党が勝っていく。

そうしたなかで、自民党内にも、官僚にも、そして何より国民の中に「結局、何をやっても何も変わらないのでは?」という諦めが広がっていると感じています。

この現状を変えるためには「何が原因でこういうことが起こっているのか?」をしっかりと解明し、その問題意識を多くの人たちが共有することが必要ですが、それはひとりではできない。

だったら、強い野党第1党を作るしかない。自分も野党に行って、みんなで汗をかき問題意識を整理し、共有して、強いものに向かっていくシステムを作らなきゃいけないと考えたのです。

■一生懸命汗をかく。手柄は人に渡す

岡田 中村さんは「野党の大きな塊」を作るために、立憲と国民民主党の合流に関しても昨年から動かれていたようですね。

中村 まずは自分が一生懸命汗をかく、そして手柄はできるだけ人に渡す、というのが、私が若い頃から田中(角栄)さんや竹下(登)さんから教えられてきた政治の一番の基本です。

だから、自分で日程を調整し、場所を用意して、オール野党の代表者の方々や幹事長、選対の委員長に集まってもらい、下座に座って司会も務めてきた。一番年配で一番経験のある人間がそういう役割を担うというのが政治なんだということを、みんなに認識してもらうことが大事なんです。

そうすると、お互いの立場の違いを超えて、全体が少しずつハーモナイズしていく。そうした運動が今回の合流につながる、ひとつの布石になったかもしれません。

岡田 今回の立憲と国民民主の合流に関しては、国民の玉木雄一郎代表や山尾志桜里(しおり)さんなどが新党に加わらなかったことも注目を集めました。玉木さんはなぜ、加わらなかったでしょうか?

中村 今年1月に一度、立憲と国民に合流の動きがあって、そのときは立憲の側からの強い要請で「1月20日」という期限を定め、党名は立憲で、代表も枝野(幸男)さんという既定路線が前提の進め方でした。

その後、枝野さんは「新党の党名も代表も選挙で決める」と玉木さんの言い分を全部受け入れる方向に転換し、結果的には、そのことが功を奏して大多数の合流が実現したわけですが、それでも玉木さんが一緒にならなかったとなると、これはもう彼の政治的な判断で第三者がどうこう言う筋合いではありません。

ただ、玉木さんが要求したことの大部分が通ったのだから、本当は彼にも参加してほしかった。そして、堂々と選挙で代表を争って、そこで枝野さんが勝ったなら、枝野さんに協力するというのが政治の本来の姿だというのが私自身の考えです。

それでも、国民民主のナンバー3だった泉健太さんが新党の代表選に立候補して堂々と枝野さんと戦い、自分が率いてきた国民民主の議席よりも多い42票を獲得できたのはよかった。

また、新代表に選ばれた枝野さんが、泉さんを政調会長に任命するという「大人の野党」としての対応ができたのも、これまでの野党とは違うと感じています。

聞き手・岡田憲治氏

■保革伯仲になれば、政治は確実に変わる

岡田 その枝野代表ですが、2017年に彼が旧・立憲民主党を立ち上げた当時は最大17%もあった支持率が、今や数%しかない。少なくとも現時点で新・立憲民主党に対する期待感が醸成されているとはいえない気がします。

今の代表がもうワンランク、ツーランク高い水準のリーダーとして野党をまとめ上げていくためには、何が必要だと思われますか?

中村 私はそんなにレベルが低いと思ってないし、ダメだとも思っていません。そういう見方で政治を見てないし、世論調査とか支持率というのもまったくアテにしてない。むしろマスコミや識者が「野党は存在感がない」とか、「枝野さんがダメだ」と決めつけるような考え方こそが、ダメなんだと思います。

岡田 なるほど......。

中村 争点を明確にして、きちんと選挙をやれば、必ず野党は伸びると思ってるんです。なぜなら国民は間違いなく怒ってるんですから。

実際、選挙の数字を見れば自民党が強いから選挙に勝っているわけではないことは明らかです。2009年以降、過去4回の衆院選挙における絶対得票率を見ると、自民党の得票率はいずれも25%程度と横ばいで、支持を伸ばしてもいないのに勝ち続け、6割の議席を握っている。

岡田 その理由は、小選挙区制のなかで野党が戦略的に選挙協力をできず、票を分け合っているからですね。

中村 それでも全国289の選挙区のうち、59で野党系が勝っている。では、全部の野党の票をまとめることができればどうなるのか、さらに84の選挙区で勝つ可能性があり、そうなれば合わせて143と小選挙区でほぼ半分の議席を取ってもおかしくない。

その可能性がある以上は、まずそこをしっかりと固めるための努力をすることが大事で、そうすれば「保革伯仲」(国会の議席が与野党で伯仲していること)に近づくことができる。そして保革伯仲になれば、政治は確実に変わるんです。

岡田 その意味では立憲民主党だけでなく、ほかの野党との連携も重要ですね。

中村 ここにきて共産党との関係も極めて近いものになっているし、社民党も協力できるという態勢になっている。玉木さんの政党(国民民主党)だって、今回の合流には間に合わなかったけど、今後、合流のほうに舵(かじ)を切ってくる可能性がないわけではありません。

岡田 山本太郎氏のれいわ新選組はどうみていますか?

中村 山本さんとは直接、会ってお話をしたこともないのでよく存じ上げないのですが、選挙で消費税の話をするのはどうなのかというのは議論のあるところでしょうね。

税制や社会保障といった問題は野党一党だけで主張しても実現は不可能で、与野党を巻き込んでしっかりと議論する必要がある。

いずれにせよ、政治で大事なのは「来るものは拒まず、去って行く人は待っている」こと。玉木さんや山本さんたちも将来は一緒になるかもしれないという気持ちで、我慢すれば必ず流れは変わる。

今の政治に対して不満や不信を抱きながらも「諦め」を感じている人たちに「政治は変えられる」ことを理解してもらい、選挙の戦い方さえ間違えないようにやれば、必ず国民に理解してもらえると思います。

■選挙に強い野党が与党を変える

岡田 一方で立憲や共産など、考え方が違う野党が選挙でまとまっても、その人たちに政権を委ねるのは不安だと感じる有権者も多いのでは?

中村 だから、私はいきなり政権交代を目指すのではなく、まずは保革伯仲を目指すことが大事だと言っているんです。

保革伯仲を目指して、実現できたらそこで一回止まって、野党共闘に共産党も入っている以上、憲法問題をどうするのか、外交防衛問題をどうするのか、天皇制をどうするのか、きちんと話し合いをしなくちゃいけない。

まずはシンプルに戦略的な選挙協力をしっかりやって、ひとりひとりが真剣に選挙区の有権者と向き合い、やるべきことをやれば、伯仲国会までは持っていけるはずです。

一方、そうやって野党が議席を伸ばせば、政権交代が起きなくても、危機感を感じた自民党自体が変わる可能性がある。もしかすると、自民党が目覚めてくれれば国民にとってはそっちのほうが安心かもしれません。逆に、それでも自民党が変われなければ野党にとってチャンスで、政権交代を目指せばいい。

岡田 大事なのはそうした政治的な緊張感ですね。

中村 そう、その緊張感を国民にはカードとして選択してもらう。それが政治です。

私は次の総選挙で最低でも野党が40議席ぐらい伸びるとみています。もちろん伯仲国会には80議席ぐらい必要ですが、野党が40、50伸びたというだけでも自民党は大騒ぎになる。菅政権は政権与党に日本維新の会も加えて作り変えなきゃならんでしょう。

岡田 それは当然、来年9月の自民党総裁選にも影響を与えることになると。

中村 与党が変わるのは選挙に負けたときです。だから野党を「選挙に強い野党」に変えれば与党は変わる。

例えば、自民党でも石破(茂)さんが主張していることと私が主張していることは、ほとんど変わらない。それも当然で、私ももともと自民党で同じ派閥(旧竹下派)でしたから。

だけど、私は無所属では自民党を変えることはできないと思ったんで、野党に入って外から圧力をかける。その結果、伯仲国会が実現すれば、自民党は目覚め「石破氏を立てなければ次の総選挙を戦えない」という状況になるかもしれない。

それに、ひとたび伯仲国会が実現すれば、すべてが変わりますよ。与党は自分たちの法案を通すために、野党に対して気配りもする。与党が今みたいにふんぞり返っているのは、野党に数がないからバカにしているんで、野党が数を増やすと、ガラッと、もう手のひらを返してきます。

岡田 今回、中村さんとは縁浅からぬ小沢一郎さんが、共に新党に合流されたわけですが、小沢さんとの役割分担についてはどうお考えですか?

中村 選挙を頑張って勝とうということについては小沢さんも私も同じで、選挙の勝ち方だって、二つも三つもあるものじゃない。ただ、私が伯仲国会を目指そうと考えているのに対して、小沢さんは政権交代を目指すと考えているのかもしれない。ただ、選挙を勝たなくちゃダメだよねというところは一緒だと。

過去には私と小沢さんはぶつかったことが多々ありました。今後、小沢さんがどんな考え方で臨もうとしているのかは見極めてみないとわかりません。だけど私は、大義のために動こうと思ってますから。

個人的な気持ちは、政治の世界で持ち出すべきではないと。日本国のために、日本再建のためにどうすべきなのか。公正で公平な国を造りたい、社会正義が貫けるような国にしたい。

小沢さんだって疑いを向けられて苦労した。私は、さらにもっと極地までいった。そういうなかで経験した者でなければわからない公正公平とは何か、ということについての認識は共有できるかもしれない。

岡田 いっそのこと、野党が首班指名で石破さんを担いで、石破総理大臣を実現させるというのは「悪手」ですか?

中村 うん、それは劇場型であまり続かない。それよりは、保革伯仲を実現して、それでも自民党が石破さんを選択しないというようなことになったら、そのときは石破さんがどう動くかです。

ともかく、次の選挙がどういう結果になるか。まずは結果を見てみましょう。全力で頑張りますから。

●衆議院議員・中村喜四郎(なかむら・きしろう)
1949年生まれ、茨城県出身。27歳で衆議院選に初当選し、建設大臣などを歴任。94年、ゼネコン汚職事件で逮捕。同年、自民党を離党。2003年に実刑が確定し、失職するも05年に国政復帰。初当選以来、14選無敗で"選挙の鬼""日本一選挙に強い男"と呼ばれる。今年9月、立憲民主党に入党

●専修大学法学部教授・岡田憲治(おかだ・けんじ)
1962年生まれ、東京都出身。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了(政治学)。専攻は現代デモクラシー論。近著に『デモクラシーは、仁義である』『なぜリベラルは敗け続けるのか』などがある