現代を代表するふたりの「知の巨人」である内田樹氏・姜尚中氏が、歴史的大変革の時代を縦横無尽に論じ合った『新世界秩序と日本の未来』(集英社新書)。7月16日(金)発売予定の同書は、好評既刊『世界「最終」戦争論』『アジア辺境論』に続く対談シリーズ第3弾となる。ふたりの碩学(せきがく)の目に、2020年代の世界はどのように見えているのか。刊行決定を記念した対談から浮かび上がる「これからの日本が進む道」とは。

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■菅政権は究極の「自分ファースト」

内田 今の日本の状況は、ミッドウェー海戦やインパール作戦のときに近いですね。ポツダム宣言を受諾しないでぐずぐずしていた時もそうですけれど、日本人は「もうダメだ」とわかった後でも、頭を「どうやって被害を最小限に収めるか」というプラグマティックな問いことを考えることができない。

オリンピックという国際的なイベントでコロナが拡散すれば、被害は日本だけにとどまらない可能性が高い。せめて今度ぐらいは、どうにもならなくなる前にブレーキを踏むということをしないとまずいんじゃないかと思います。

 先の戦争では、広島・長崎、そして沖縄の人たちが甚大な悲劇を被(こうむ)りましたが、コロナ対策やオリンピックの失敗で今後、誰が犠牲になるのかと考えると、非常に暗澹(あんたん)たる気持ちになります。

なんというか、政治家の中から最後の何かが抜け落ちているという気がして仕方がありません。以前、菅首相は師と仰ぐ故・梶山静六(かじやま・せいろく)から「政治の要諦、ミッションは雇用だ」と言われたと語っていましたが、今、彼がやっていることは、日本国首相である自分の雇用だけは確保しようということじゃないですか。これはもう、究極の自分ファーストだと思います。

内田 もうひとつの「ファースト」は「アメリカ・ファースト」ですね。自国の国益よりもアメリカの国益を優先的に配慮する政治家なんて、世界中探しても日本だけにしかいない珍種でしょう。だから、アメリカは自公連立政権が未来永劫続いて欲しいと思っている。コロナ対策で先進国最低のレベルにある日本に対し、アメリカが批判がましいことを一切言わないのも、なんとかして日本政府の面子(めんつ)を立てようとしているからでしょう。

5月にアメリカの感染症対策を担うCDC(疾病対策センター)が、「日本へのすべての渡航を避けるべきだ」と強い懸念を示しましたが(編集部注:その後6月8日に「渡航を再考せよ」のレベルに一段階引き下げ)、ホワイトハウスの公式メッセージが「菅政権の判断を尊重する」「オリンピックの成功を心から祈念する」となるのも同じ理由です。

 米中が対立を深めている状況では、アメリカにとって日本を自陣営につなぎとめておく重要性は増しているわけですからね。

■米中対立を生き抜く「第三の道」を進め

 かつての自民党はここまで「アメリカ・ファースト」ではありませんでした。やはり小泉政権以降、特に安倍政権が決定的だったと思いますね。

今回の本の中で、内田さんは安倍長期政権について「日本の国力の衰微を代償にした」と評しています。しかし、日本の国益が毀損され続けた約8年間、安倍政権の支持率はほとんど下がりませんでした。悪くても30%ぐらいで、だいたい40%台後半の支持率を維持していたのも、やはりアメリカの影響が大きいということでしょうか。

内田 内閣支持率のコアの30%は支持理由が「アメリカに信任されているから」だと思います。彼らはアメリカ大統領が「日本の首相はこの人で構わない」という「辞令」を出している限り、その人を支持する。その人が有能かどうか、適任であるかどうかを自分で判断しているわけじゃない。

ただ、アメリカにしても、アメリカの国益を優先的に配慮してくれるなら、もう少し賢い政治家の方がありがたいと内心では思っているんじゃないですか。民衆の怨嗟(えんさ)が無能な政治家を支えているアメリカに向かうことは避けたいはずですからね。

 そういう思惑はあるでしょうね。韓国で朴正煕(パク・チョンヒ)によるクーデターが起こったとき、アメリカは一応容認したけれども、朴正煕独裁政権のオルタナティブとして、当時の野党指導者だった金大中氏を念頭に置いていた形跡があります。1973年に金大中氏が滞在先の日本のホテルでKCIA(韓国中央情報部)に拉致された事件で殺害されなかったのは、アメリカの関与があったからだと言われています。

民主国家である日本のオルタナティブとして、野党にお鉢が回ってくる可能性は当然、あるでしょう。

内田 もし僕がアメリカ国務省の人間だったら、立憲民主党の指導部にそっと会いに行って、「政権交代したければ、俺たちは全然構わないよ。君たちがもっとリベラルな政治をやりというのなら、どうぞやってください。ただ、対中国戦略に関しては足並みを揃えて欲しいんだよ」くらいのことは言っておくでしょうね(笑)。

 実際のところ、米中の狭間で日本は非常に難しい舵取りを迫られていると言えます。そう考えると、現政権の無能さを修正する動きが内部から出てこないというのは、本当に由々しき事態だと思います。政治家たちにはもっと大局を見てほしいですね。

内田 今回の本でも主要な論点になりましたが、米中どちらの陣営にも与(くみ)しない、日本にとっての「第三の道」はあるはずなんですよ。でも、そういう大ぶりな外交戦略を提言できる人間がいない。

■オリンピックの大失敗が大きな転換点になる

 今回の本の結論は、「振り子の原理と同じで、日本は行くところまでいかないと、その反動が出てこない」ということでしたが、内田さんとしては、今後、どういうシナリオがあると思いますか。

内田 コロナにしてもオリンピックにしても「行くところまで行って、そこで大きく方向転換する」ということについては、何となく国民全体が暗黙の合意に達しているという感じがします。コロナ対策の失敗は犠牲者が出るので絶対に避けなければいけませんが、オリンピックの運営の失敗が国民に「敗戦」に匹敵するような深い敗北感をもたらした場合、それが転換点になるかも知れない。それが一番有り難いシナリオかなという気がします。

 でも、オリンピック後に総選挙をやれば自民党が大勝するというシミュレーションをしている人もいます。僕も、その可能性は捨てきれないんじゃないかという気がするんです。

内田 うーん......どうでしょうかね。現政権が、失敗続きのコロナ対策を劇的に転換して成功に導くためには、どこかで自分たちの失敗を認めるしかない。でも、彼らは絶対に自分たちの失敗を認めない。失敗を認めないから、修正がきかない。このままコロナ対策で後手に回り続けた場合、第五波あるいは第六波の渦中で選挙を迎えることになる可能性があります。コロナ政策の成否は、自公の支持層にとっても、自分の命に関わることです。あまりに仕事ができない政権の場合には、「もう別の人間に代わってくれ」と言ってバツを付けるというのはごく自然な反応だと思います。政権交代まではゆかなくとも、自民党が大きく議席を減らすことは避けられないんじゃないでしょうか。

 これからの10年、日本は文字通り激動の時代になっていくと思います。大変なことも多いかもしれませんが、今回の本でも「希望はある」とふたりの意見は一致しましたし、考えようによっては、おもしろい10年になるんじゃないかと思うんですよ。

これまで僕は、あまり長生きはしたくないと思っていたんですが、やっぱり日本を愛するがゆえに、これから先の日本がどうなるのか、この目で確かめてみたいと最近思うようになりました。内田さんと僕は同い年で古希を迎えているわけですけれども、お互い80歳になっても、こんな風に今の世を語り合いたいですね。

内田 僕らの「時事放談」はまだまだ続くことになりそうですね。こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします!

■『新世界秩序と日本の未来』(集英社新書)
現代を代表するふたりの「知の巨人」である内田樹氏・姜尚中氏が、歴史的大変革の時代を縦横無尽に論じ合った。7月16日(金)発売予定。