陸自特殊武器防護隊の化学戦装備。先頭の化学陸曹は検知器を持ち、ガスの種類を特定。後方には除染用水タンクを背負った除染班が控える

イギリス情報筋によると、ウクライナ領内にロシア軍の化学兵器を扱う部隊と、NBC戦(核・生物・化学戦)に対応可能な特殊部隊が入ったとの報道があった。また別の報道によれば、アメリカ情報当局はロシア軍のサリン攻撃を危惧しているという。

各国が危惧する「化学兵器戦」とはどういうものなのか。元・陸上自衛隊中央即応集団司令部幕僚長の二見龍元陸将補に解説してもらった。

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現在、ウクライナ都市部では市街地戦闘が展開されている。

「市街地戦闘において、なかなか陥落できない地域に対して化学兵器を使用し、その地域が混乱している状態又は兵器の効能が切れてから部隊が侵入することによって、敵からの反撃を抑制でき効果的に占領することができます」(二見元陸将補)

だからこそ、現状思うように作戦が進んでいないロシア軍が化学兵器を使用する可能性が高い、というわけだ。生物・化学兵器とは、いかなる兵器なのか。

「まず生物兵器とは、細菌により病気を発症させる細菌兵器のことです。これには即効性が無く、また敵味方が近接する市街地戦闘では味方も罹患するので、使われる可能性はかなり低いといえます」

では化学兵器とは?

「戦闘で使われる化学兵器は、いわゆる毒ガスです。呼吸するだけで危険なサリン、皮膚に付着するとただれるマスタード、非常に危険なソマンなどがあります。戦闘で使われやすいのは、敵兵に対し即効性があり、その効力の滞留が短いタイプの毒ガスです。半日で効力が消えるものもあります。もし化学剤の効力が消えていない段階で侵入しようとする場合には、除染が必要となります。

サリンはその点において使いやすいとされています。1980年代、陸上自衛隊では対ソ戦を対象に訓練していましたが、毒ガスは使われる想定で、防護マスクは常時携帯でした」

化学兵器戦闘最前線から後方に戻ったポルトガル軍兵士。水シャワーで全身を水洗いしている

その化学兵器戦の推移を、陸自の場合を例に解説してもらった。

「まず敵からの砲弾があり、ミサイルで液状の毒ガスが散布されます」

そうすると、空襲警報と同じように化学警報が部隊へ伝達される。隊員は『ガス!』の警報でヘルメットをずらし、腰の装備袋から防護マスクを取り出して、目を閉じ息を止め数秒で装着、ヘルメットを戻す。

化学剤の使用が迫っている場合、またはその情報がある場合は、当初から戦闘用化学防護衣(各人が背嚢の中に携行している)を着用して配備につきます。そうすれば、防護マスクを装着するだけで済むからです。

戦闘用化学防護衣は迷彩柄で、オーバーズボンを履きジャンパーを羽織るのに1分かかりません。夏場は厚手のジャンパーを着るようで暑いですが、そんなに大変なことではありません。

そのまま戦闘は継続しますが、毒ガスで怖いのは「吸い込ませる」「神経剤」「戦闘服に染み込む」など、各タイプのどれか分からないことです

防護マスク装着時の水分補給は専用のチューブ付き水筒から可能だという。食事はどうするのだろうか。

「食事はとれません。隊員たちは激戦が続けば、応援部隊が来るまでは水分補給で持ちこたえます。使われた化学兵器がサリンであればその効力は長くはなく、地域が限定された状態になります。

防護マスクは対化学の特技を持つ隊員から『ガスなし!(外して良し)』の号令がかかってから外します。戦闘が止むと、防御可能な人員を残し、交代で汚染された最前線から後方へと下がります。

除染は、まずアーチ状の水のシャワー施設を通過して、対化学の特技を持つ隊員がガス検知器で除染できたか確認します。ガスが検知されなければ統制線を越えて安全地帯に行くことができます。サリンガスならば、水で洗い流して除染します。

強い毒ガスの場合は、防護服を脱ぎ、直接触らないよう手袋も脱いで、ビニール袋に入れ金属缶に廃棄します。さらに強い毒ガスの場合は半長靴、戦闘服上下、下着まで脱ぎ、裸の状態で除染の水を掛けられます。そして新しい戦闘服、ガスマスク、戦闘用化学防護衣を受け取り、除染された小銃を渡されます」

除染を終えたオーストラリア軍兵士は、化学防護服、手袋を金属缶に廃棄。化学兵器の種類によっては、戦闘服上下、靴も廃棄となる

そうなると、除染のためには膨大な水や戦闘装備が必要だ。

「さらに化学兵器の種類によって対処が異なる防護体制をとらねばならず、除染する液剤も違います。除染のため除染剤を撒けば発火する化学兵器もありますから。だからこそ、対化学戦は訓練をしておかなければなりません」

ロシア軍に包囲されたウクライナ市民は電気水道ガスが止まり、もし化学戦装備があったとしても除染することは不可能に近い。

「もしロシア軍が化学兵器を使う場合は、情報戦に勝利する必要があります。どういうことかというと、化学兵器により一般人が死に瀕しているような映像が配信されることがあれば、世界的に大問題となる。そこで、『〇〇という地域で毒ガスが製造されている可能性がある』との情報を掴んだとして急襲し、そこで敵側(ウクライナ側)が化学兵器を使用した、と主張します。または、その市街地を完全に包囲し、情報が外に出ないように遮断してしまえば、情報戦は自由自在です。

そう考えると今、化学兵器使用の可能性が最も高いのは、ロシア軍が包囲しているマリウポリです。しかし逆に、ウクライナ軍がここの包囲を解くことができれば、ロシア軍は化学兵器攻撃をすることは難しくなります」

25日に行われたG7首脳会談において、プーチン大統領に対しロシア軍が化学・生物兵器ならびに核兵器を使わないよう警告している。さらなる戦争被害の拡大は、回避されなければならない。