金門島の中心部。かつては駐留する国軍兵でにぎわった場所だが、最近は中国人観光客だらけだ金門島の中心部。かつては駐留する国軍兵でにぎわった場所だが、最近は中国人観光客だらけだ

台湾の「統一」を狙う中国と、それを阻止したい台湾の水面下の戦いを追うルポ後編!

前編では、中国が台湾に仕掛ける世論工作「認知戦」の実態について取材したが、今回はこの紛争の"最前線"とされる台湾の離島「金門島」を取材した。台湾よりも中国大陸のほうがずっと近いこの島。台湾の政府は無関心、でも中国に占領されるのも本当はイヤだ――そんな切実で複雑な思いを抱えた住民たちがいた!

■平和な島に迫る中国の影

台湾(≒中華民国)の国内に、台湾ではない地域があるのをご存じだろうか? それは中国南部の島嶼(とうしょ)部、金門(ジンメン)群島(金門県)と馬祖(マァズゥ)列島(連江[リエンジャン]県)だ。 

近年、中国による台湾侵攻の可能性が盛んに報じられている。昨年8月のアメリカのペロシ下院議長の訪台直後には、人民解放軍による恫喝(どうかつ)的な大演習が行なわれ、多数の弾道ミサイルが台湾近海に撃ち込まれた。本格的な開戦の可能性はまだ低いとみられるが、中国の暴発リスクは以前よりも高まっている。

金門と中国大陸の距離は、最も近い場所では約2㎞しかない。地図の上では、紛争の"超"最前線だ。近年の国際情勢の中、現地はどうなっているのか。実際に行って歩いてみた。

上空から見た金門島上空から見た金門島

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地下通路への階段を下りると、白塗りの壁が延々と続いていた。大人が辛うじてすれ違える幅の坑道である。坑内にほかの見学者はおらず、自分の足音だけが響いて心細い。足元にはときおり泥水が溜(た)まっていた――。

金門島と周囲に散らばる12の島を合わせて構成されたのが「金門県」だ金門島と周囲に散らばる12の島を合わせて構成されたのが「金門県」だ

ここは金門群島の烈嶼(リエユイ/小金門[シャオジンメン])。新宿区ほどの面積の小島である。かつて国共内戦の最前線となり、県政府がある隣の金門島(大金門[ダージンメン])とともに島全体が徹底して要塞(ようさい)化された。

私が訪ねた坑道・沙渓堡(シャーシーバオ)も、かつて島内に無数に構築された中華民国軍(国軍[グォジュン])の地下陣地のひとつである。

坑道は枝分かれが多く、ドラクエのダンジョンさながらだ。突き当たりにはやや広いスペースがあり、岩盤に細長い窓がうがたれていた。

金門島内にある大規模な地下基地のひとつ、翟山坑道。岩盤を掘り抜いて地下深くに造られ、海水を引き込む。ここから小型船舶を出撃させることも可能だった金門島内にある大規模な地下基地のひとつ、翟山坑道。岩盤を掘り抜いて地下深くに造られ、海水を引き込む。ここから小型船舶を出撃させることも可能だった

外に見えるのは陰鬱(いんうつ)な曇天と、静かに波打つ南シナ海の濁った海である。空と海の狭間(はざま)に、超高層ビルがひしめく巨大都市が見えた。中国側の大都市・厦門(あもい)だ。

それに対して、中国側から目視できる金門側の島々の岸壁には、1980年代前半までに建てられた「三民主義統一中国」などのスローガンが書きつけられた壁(というより看板)がいくつも残されていた。

沿海部には、播音牆(ボーインチャン)と呼ばれる25㎞先まで音が届く巨大なスピーカーも4台設置されている。かつては中国大陸向けに、台湾の国民的歌手であるテレサ・テンの楽曲や、 "自由中国"への投降を呼びかける音声を大音量で流し続けていたという。

金門島の北の断崖に設置された巨大スピーカー「北山播音牆」。往年は数十㎞先までプロパガンダ音声が響いたという金門島の北の断崖に設置された巨大スピーカー「北山播音牆」。往年は数十㎞先までプロパガンダ音声が響いたという

もっとも、これらは中国が貧しい時代には効果があったかもしれないが、今や完全に時代遅れだ。三民主義の壁も播音牆も、現在は観光スポットのひとつである。

近年(コロナ前)は中国大陸との往来が自由化され、「島でのんびりしたいから」と、週末のレジャーに訪れる中国人も増えた。かつて緊張に包まれていた島は、すっかり平和になった。

だが、ここのところ悪化している中台関係の影響は"最前線"の金門に真っ先に及んでいる。ペロシが訪台した昨年8月以降、対岸から金門に向けて謎のドローンがしばしば飛来。9月1日には烈嶼の北にある小島・獅嶼(シーユィ)で、ついに国軍の守備隊が、カメラを搭載した「民間」の中国ドローンを撃墜したことが報じられた。

また、今年の2月上旬には、金門と同じく最前線にある馬祖列島の近海で、台湾本島と馬祖島を結ぶ海底ケーブル2本が、やはり「民間」の中国籍の船舶によって切断される事件も起きた。

現地で聞き込むと、ドローン撃墜事件を「気にしない」と語る島民も多い。だが、ひとたび平和になったはずの島に、紛争の影が再び忍び寄っていることも確かである。

■「基地の島」が誕生するまで

金門で目立つのが、あちこちに建てられた戦史記念館や記念モニュメントだ。

中でも、金門島北部の古寧頭(グゥニントウ)戦史館は大規模である。往年の国民党指導者・蒋介石(しょうかいせき)が、しばしば視察した地下基地を改装した施設だ。金門が"最前線"に変わった転換点こそ、1949年10月にここで起きた古寧頭戦役だった。

当時、国共内戦に敗れた中華民国政府(国府)は台湾に国家機能を移しはじめていたが、中国南部の島嶼部にはまだ多くの部隊を残していた。そうした拠点のひとつだった金門に、敵の人民解放軍が上陸作戦を仕掛けてきた。だが、このときは国軍が奮起して撃退に成功する(旧日本陸軍の将校らが防衛の作戦指導を行なったことで知られている)。

それまでは連戦連敗だった国軍の大金星に、蒋介石は驚喜した。さらに翌年6月、朝鮮戦争の勃発で国際情勢が不安定になると、それまで国府をなかば見捨てていたアメリカが、一転して台湾海峡の防衛に積極性を見せる。

金門島の将兵を視察する蒋介石(中央)の写真。彼は国軍が大金星を挙げた金門を好み、しばしば訪れた。そのおかげで島の軍事化が進んだともいえる。古寧頭戦史館で撮影金門島の将兵を視察する蒋介石(中央)の写真。彼は国軍が大金星を挙げた金門を好み、しばしば訪れた。そのおかげで島の軍事化が進んだともいえる。古寧頭戦史館で撮影

結果、金門はアジアの冷戦構造の最前線になった。台湾から200㎞以上も離れた島は補給が難しく、戦略的価値は低かったが、「中国の正統政府」を自称した国府側にとっては中国本土に残る数少ない実効支配地域だ。島は政治的理由ゆえに「絶対に譲れない土地」に変わっていく。

やがて金門には最大で10万人規模の国軍兵が駐屯した。住民よりも軍人のほうが多い「基地の島」の誕生だった。

一方、人民解放軍はその後も金門を狙った。中でも58年、アメリカのダレス国務長官の訪台に抗議して起きた「八二三砲戦」では、約1ヵ月半で47万発近くの砲弾が撃ち込まれた(昨年8月のペロシ訪台後、中国が台湾近海に大量のミサイルを撃ち込んで抗議したのは、この歴史を踏まえた行動だろう)。

八二三砲戦では、住民の大部分が集まる金門島と烈嶼のほぼ全域が射程に入り、民間人にも多数の犠牲者が出た。砲撃はやがて決まった曜日だけ実施されるようになり形骸化したが、その後も79年まで21年間も続いた。

金門の国軍兵士の慰問にやって来た台湾の歌姫、テレサ・テン。湖井頭戦史館で撮影金門の国軍兵士の慰問にやって来た台湾の歌姫、テレサ・テン。湖井頭戦史館で撮影

金門では軍政が敷かれ、民間人の移動が厳しく制限された。お金も金門限定の地域通貨が使われ(レートは台湾本島と等価)、島民の暮らしは大きく変わった。

「当時は島の経済が軍隊を中心に回っていた。何せ10万人の大軍で、消費がすごい。島民は生活用品を売ったり、軍服のクリーニング業をやったりと『兵隊さんに食わせてもらっている』感じ。国軍に親近感を持っていた」

金門県議の陳泱瑚(チェンヤンフゥ/47歳、無所属)は、往年の様子をそう振り返る。すべてが軍隊優先の島で名産品になったのは、大量に撃ち込まれた砲弾を加工した金門包丁と、軍高官の指示で製造した高アルコール度数の高粱(コーリャン)酒だった。

21年間にわたり撃ち込まれた砲弾殻を加工した包丁は、今や島の名産品。1発の砲弾から40~60本の包丁が作れるらしく、島内にはまだまだ「資源」があるという21年間にわたり撃ち込まれた砲弾殻を加工した包丁は、今や島の名産品。1発の砲弾から40~60本の包丁が作れるらしく、島内にはまだまだ「資源」があるという

やがて台湾は高度経済成長を遂げ、アジアNIEs(ニーズ/急速な工業化と高い経済成長率を達成したアジア諸国の総称)の一角に加わった。また、80年代半ば以降は社会の民主化も進んだ。

しかし、金門では92年まで軍政が敷かれ続けた。結果、島は台湾の経済発展からも政治の変化からも取り残される形になる。

台湾の人々の間では、自分が中国人ではなく「台湾人」だとする意識が強まったが、金門はそもそも地理的に台湾ではないので、島民はその考えを受け入れなかった。ゆえに、金門では現在でも、台湾独立派の与党・民進党の支持率が極端に低く、中華民国意識が高い国民党系の政党が圧倒的に強い。

軍政の終了後、駐留する国軍兵士の人数が激減したことで、皮肉にも島の経済は困窮した。だが、当時の台北の政府は、島民に対する軍政時代の補償や景気のテコ入れ策を充分に行なわなかった。

■中国とうまくやっていくしかない

忘れられた島・金門の運命を再び大きく変えたのが、2001年から始まった中国大陸との往来の解禁政策「小三通(シャオサントン)」だ。

遠い台湾とは違い、対岸の大都市である厦門や泉州(チュエンヂョウ)はたった数㎞から数十㎞向こうであり、軍事境界線をまたいで親戚がいる島民も多い。双方はもともと、分断以降も密貿易や密航で人知れぬ交流があり、それが小三通政策で合法化されたともいえた。

「金門は地理的にも文化的にも台湾と距離がある。中国大陸と仲良くしないと生きていけない土地なんです。中国の政治体制の怖さについては、意識的に考えないようにしている島民が多いですね」

金門島内の中心部に立つ中国国民党の巨大な党支部。台湾は民進党・国民党の二大政党制の国だが、この島では「国民党一強」だ金門島内の中心部に立つ中国国民党の巨大な党支部。台湾は民進党・国民党の二大政党制の国だが、この島では「国民党一強」だ

現地で観光ガイドをしてくれた人がそう説明する。国軍が去り、ろくな産業もない島で、人々が目の前の中国大陸と経済的に結びつくのは必然でもあった。

金門の人たちは厦門に土地を買い、中国の不動産バブルの利益を享受した。やがて中国経済が成長すると、逆に投資マネーが金門に流れ込み地価が上昇。近年は1坪72万新台湾ドル(約318万円)と、台湾の首都の台北並みの地価を誇る高級住宅も出現した。

また、観光業が発展し、往年の基地が観光地に、古民家はゲストハウスになった。

台湾人客もいるものの、よりお金を落とすのは陸客(ルークー/中国人観光客)や台商(タイシャン/中国に拠点を置く台湾人ビジネスマン)など中国側から来る人たちだ。免税で商品を買えることもあり、コロナ前には県民人口の3倍以上となる年間50万人もの陸客が訪れていた。

「なので、コロナ禍で中国大陸との往来が断絶した影響は深刻でした。この3年間の金門県の経済損失は約80億新台湾ドル(約354億円)に上るとみられています」

金門地区選出の立法委員(国会議員)・陳玉珍(チェンユィヂェン/49歳、国民党)はそう嘆く。

金門県選出の立法委員(国会議員)の陳玉珍氏。台湾の議員はよくこのベストを着ている。写真は本人のフェイスブックより金門県選出の立法委員(国会議員)の陳玉珍氏。台湾の議員はよくこのベストを着ている。写真は本人のフェイスブックより

インフラ面でも中国大陸との融合が進んだ。18年からは中国側から金門島に向けて水の供給が始まった。

島民の間では、中国からの電力の供給や、厦門と金門島を結ぶ橋(金厦跨海大橋[ジンシャークアハイダーチャオ])の建設を求める声も大きい。私が話を聞いた立法委員の陳玉珍も県議の陳泱瑚も、これらの計画に大賛成していた。

■"台湾のドネツク、ルハンスク"

「金門の位置づけは、ウクライナ東部のドネツク州やルハンスク州に近い。複雑かつ特殊な地域なんです」

台湾の国軍のシンクタンク、国防安全研究院の関係者は取材にそう話した。彼が言うウクライナ東部の両州は、隣国ロシアにルーツを持つ住民が多く、昨年2月のロシアの侵攻前に親露派の傀儡(かいらい)政権が樹立されて分離独立工作がなされた地域だ。

確かに、自国の併呑(へいどん)を狙う大国との最前線に位置しながら、敵側と親和的な気質を持つ地域という点で、金門とウクライナ東部は類似点が多い。むしろ金門のほうが"しんどい"部分すらある。

「心の底で、金門が自国から離れても構わないと考えている台湾人はかなり多いんだ」

台湾の宜蘭(イーラン)県出身で、金門に親戚がいるビジネスマンの男性(41歳)はそう話す。

昨今の台湾では、中華民国の枠組みを重視する国民党系の候補者ですら「台湾のために」を連呼するほど人々の台湾人意識が高い。中国への警戒意識も強まっている。ゆえに、台湾への帰属意識が低く中国と親和的な金門(と馬祖)は、国内世論の中でかなり浮いた存在だ。

若者から嫌われている国民党の岩盤選挙区なこともあって、ネット上に「金門と馬祖は中国に帰れ」といった中傷コメントが書き込まれることも少なくない。しかも、冷淡なのは民意だけではない。

「台湾海峡の中間よりも向こうに飛行機や艦艇を派遣するのは、補給の問題もあり難しい。現在、金門や馬祖の防衛は事実上すでに不可能だ」

台湾の複数の軍事筋はそう話す。敵兵が漁船に乗って攻めてきた古寧頭戦役の時代と違い、ハイテク化を遂げた21世紀の人民解放軍から離島を守ることは難しいのだ。金門は現在も約4000人の国軍守備隊がいるが、中国が本気で攻めてきた場合は蟷螂(とうろう)の斧(おの)に等しい戦力である。

「有事のときに金門が守ってもらえないことも、台北の政府が金門に何の関心もないこともよく知っている。だからこそ、金門は両岸(中国と台湾)の指導者に向けて声を上げたいと考えている」

県議の陳泱瑚は話す。今年2月6日、金門県議会(定数19人)に所属する超党派の県議8人が、なんと金門全域の「永久非軍事化」を求める声明を発表。陳泱瑚はこの中心となった議連の代表者だ。議連には国民党のみならず、民進党の県議も名を連ねた。

取材に応じた金門県議の陳泱瑚氏。金門県生まれの金門県育ちである取材に応じた金門県議の陳泱瑚氏。金門県生まれの金門県育ちである

「かつての戦争で親族や地域社会をバラバラにされ、いちばん被害を受けたのが金門の地元民だ。戦争は困る。中国とは仲良くするべきだ」

紛争の最前線の島から無防備宣言が提案される仰天の事態は、こうした事情で生まれた。陳泱瑚らは2月21日、台北の蔡英文(ツァイ・インウェン)総統に向けた陳情書も提出している。

■「中国の支配を受け入れられますか?」

ここまで中国に親和的ならば、金門の島民たちは中華人民共和国に併合されても大丈夫なのではないか。島にいるとそんな疑問も覚えたが、これは大きな誤解だった。

取材で出会った人たちに「仮に今夜、人民解放軍が密上陸して金門県政府を"無血占領"した場合、その支配を受け入れられますか?」と尋ねてみたのだ。

「金門は確かに大陸と近いし、あっちに親近感はある。でも、政治体制が違う。台湾に逃げるかも......。いや、占領されても故郷は捨てたくない。かつて親族が八二三砲戦で亡くなったが、自分の親は島を離れなかったんだ。俺が逃げちゃ申し訳が立たないよ」

金門包丁の販売店内で、包丁職人の男性はそう言った。彼はちょうど八二三砲戦の年の生まれで「俺はここの砲弾と同じ年なんだ」と話した。

一方、立法委員の陳玉珍に同じ質問をぶつけると、彼女はいったん「占領を受け入れる」と口にしてから、「それ以外に選べる答えがあるの? ないでしょう?」と同じ言葉を何度も繰り返した。国会議員とは思えないほど投げやりな口調だった。

台湾の軍事筋によると、仮に人民解放軍が本気で台湾併合に動いた場合は、台湾本島を攻撃する前に、金門などの離島を占領するという。

実は"無血占領"は、極端にいえば明日いきなり起きても不思議ではない。島民の多くはその事実に思い当たっているものの、誰もがあえて口にせずに暮らしている。

49年10月の戦闘以来、金門は中国と台湾というそれぞれ外部の政治勢力によって、運命を何度も転換させられてきた。現在、中台関係が徐々に険悪になるなか、この平和で美しい島は現在の風景を維持し続けられるのだろうか。

●安田峰俊(やすだ・みねとし)
1982年生まれ、滋賀県出身。ルポライター。中国の闇から日本の外国人問題、恐竜まで幅広く取材・執筆。第50回大宅壮一ノンフィクション賞、第5回城山三郎賞を受賞した『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』、第5回及川眠子賞を受賞した『「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本』(共にKADOKAWA)など著書多数。新著は『北関東「移民」アンダーグラウンド ベトナム人不法滞在者たちの青春と犯罪』(文藝春秋)