狐のお面をつけて踊る鋸南町吉浜地区の子どもたち(写真提供/笹生浩樹氏)

全国各地に転がる有形、無形の富を掘り起こし、ニッポンの隅々にまで広めるーー週刊プレイボーイ46号(11月29日発売)からスタートした、文筆家・前川仁之氏による不定期新連載『郷土史の逆襲』。

第1回は江戸時代から続くハロウィン的な子供の行事、「稲荷万年講(いなりまんねんこう)」を取り上げる。お稲荷さまを祀るすべての土地よ。思い出せ、そして呼応せよ!

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■男の子のお祭り。稲荷万年講

毎年ハロウィンが近づくと、わが町、与野(よの/現さいたま市中央区)でかつて行なわれていたという稲荷万年講を思い出す。初午(はつうま)、つまりお稲荷さまの祭日とされる2月の最初の午の日に、7歳から13歳くらいまでの男の子が集まる。

そして、「イナリマンネンコウ」と呼ばわりながら家々を回り、菓子や小遣いをもらうのだ。この稲荷万年講、地域によって呼称は異なるが、似たような行事は昭和初期頃まで各地で行なわれていたようだ。

だが残念なことに、今では廃れ、子供たちが大っぴらに大人にたかれるイベントといっては、パリピ的なノリに支配されつつある舶来のハロウィンがのさばるばかり。

嘆かわしい!と思っていたところ、現在も稲荷万年講を続けている地域が見つかったのだ。千葉県鋸南町(きょなんまち)の吉浜地区。ここを発火点に、ぜひとも稲荷万年講の逆襲に持ち込みたい! さっそく現地に乗り込んだ。

■日本版ハロウィン? いや、はるかに深い!

東京駅から電車に揺られることおよそ2時間。霊山・鋸山(のこぎりやま)のトンネルを抜けて間もなく、内房線保田(ほた)駅に着く。駅から5分も歩けば、文豪・夏目漱石が学生時代に海水浴を楽しんだ保田の海岸に出る。目指す吉浜地区は目と鼻の先だ。

吉浜地区は正面の海と背後の山の間に家々がぎゅっとつまった漁師町だ。真っ直ぐな路地がなく、こういうところを子供たちが練り歩くのか、と思うとわくわくしてくる。

井戸神様を大事に祀(まつ)る家の主人に話を聞いた。

「ああ、稲荷万年講ね。俺の時は、小5から中3までだったかな。男子だけで。上級生は太鼓叩いて、下級生は新聞屋に新聞紙もらって、狐(きつね)のお面つくって踊るんだ。全部で140軒くらい回ったと思うよ。それで小遣いもらってきてみんなで分けるの」

吉浜の稲荷万年講の特色のひとつは、狐のお面だ。子供が仮装するわけで、いよいよハロウィンみたいだ。

鋸南町歴史民俗資料館(菱川師宣[ひしかわ・もろのぶ]記念館)の元学芸員・笹生(さそう)浩樹氏は語る。

「まさに日本版ハロウィンです。江戸時代には始まり、昔はほかの地区でもやっていたようですが、今も続いているのは吉浜だけです。

子供にとっては、一年で一番楽しみな行事でした。お小遣いをもらってくると、最上級生(親方、と呼ぶ)が多めにとって、残りを下級生で分けるんです。だからやっぱり、上でいばる時が一番楽しかったなあ(笑)」

上下関係と自然な出世を学べるようになっているのだ。

「また、子供たちだけでとるわけじゃなくて、ちゃんと子供会や地区に配分して寄付します。そうやって子供たちは地域の仕組みを学んでいったと思います」

ここまでくると、ハロウィンなど逆立ちしたって太刀打ちできない。稲荷万年講の圧勝と言って差し支えない奥深さだ。だが......。

僕の地元近辺で同様の行事が廃れた理由のひとつとして、大人が反対するようになったというのが挙げられる。反対の矛先(ほこさき)はまさに、子供がお金をもらって歩くという行事の形態そのものに向けられていたらしい。

「吉浜でも昔、中止にすべきだという声が強くなった時期がありましたよ。やっぱり、お金をもらうからという理由もあって。だけど、その時の中学校の校長先生が吉浜と縁の深い方で、『これは伝統なんだから続けよう』と、おかげで続けられたんです。

しかし、子供が減っていますからね。吉浜には中学生がいま確か、ふたりしかいない。次の回はやれるかどうか、というところまで来てるんじゃないでしょうか」

なんと吉浜地区でも、稲荷万年講の伝統は存続の危機に直面しているようだ。

その後、戦前生まれで吉浜地区の"生き字引"のような男性ふたりの話を聞き、興味深い事実がいくつも出てきた。

例えば、戦後しばらくの間は隣の大六地区でも稲荷万年講は続いていたようだ。それが中止になったのは、歌詞が問題視されたせいもあると言う。

「稲荷万年講、お稲荷さんのお初、御十二銅おあげ、おあげの段から落っこって、赤いチ○ポすりむいた......」

なお歌詞のここまでは、さいたま市の一部地域で歌われていたものとほとんど同じだ。ご覧の通り、伏せ字がある。潔癖な保護者は文句を言いたくなるかもしれない。

■今こそ、稲荷万年講を全国展開すべし!

では、ここから逆襲に転じよう。問題はざっと3つ。

まず歌の文句についてだが、小中学生の男子は放っておいてもチ○ポとかチ○コとか言いたがるものだ。これぞ不滅の伝統。問題なし(吉浜ではこの歌詞で続いている)。

次に、子供がお金をもらって歩くことについて。

実はこの点、ハロウィンの対抗馬(狐?)として稲荷万年講を持ち出した僕の目は、それ相応に曇っていた。話を聞くうちに晴れたのだ。子供たちはなぜお金をもらえるのか? 家々に来て、踊り、稼業の繁盛を祈ってくれるからだ。大人たちはよろこんで、お礼をやるのだ。

「トリック・オア・トリート(おごってくれなきゃイタズラするぞ!)」などと脅迫じみた文句を笑顔で言わせるハロウィンの方がよっぽど罪つくりではないか。別にハロウィンにうらみがあるわけではないが、どっちにありがたみを感じるかと言ったら、そりゃ稲荷万年講でしょう?

金銭感覚に与える影響ということで言えば、一周回って現代こそ、稲荷万年講でお金の大切さと身軽さを学ぶべきだろう。課金ゲームやネットでの小遣い稼ぎの登場で、お金の流れと青少年とを隔てていた堤防は決壊しつつあるのだから。「マンネンコ勘定」と呼ばれるお金の分け方に、世の不条理と長い目で見た公平性を学ぶもよし。

最後に少子化だが、これは隣の地区に動員をかければなんとかなる。

「なんとか工夫して維持していきたいね。人がいねえんだったら、極端な例だけど、老人がやってもいいよ(笑)」

外国航路の元船長で現在は酒屋を営む笹生(さそう)榮氏は言う。しかし長い人生で酸いも甘いも味わってこられた方々にご足労願うのは申し訳ない。やはりこの行事は、酸いや甘いの知り初めの場として、子供たちにこそやってほしいものだ。今こそ、全国で稲荷万年講を組織せよ!

○前川仁之(まえかわ・さねゆき)
文筆家。1982年生まれ、大阪府生まれの埼玉育ち。著書に『韓国「反日街道」をゆく。 自転車紀行1500キロ』。郷土史関連の著作は『ブルゴス賛歌』(2014年の開高健ノンフィクション賞次点作品)や『下高井戸「丸シ商店」物語』